第5話
黒板からチョークの音が聞こえてくる。
書かれていく文字たちは読めるが、内容が頭に入ってこない。
「『 ひさかたのーーー』この短歌は…」
梅雨の時期だからなのか、今日は雨の短歌らしい。そもそも古語が読めないのだから、何を言っているのか全くわからない。
日曜日。望月さんとは、三時間ぐらいあの場所で話した。
「また一緒にどこか行かない?」
別れ際にそう望月さんに言われた。いつもならここで、断っていただろう。僕はなぜかうなづいていた。
楽しかったとかではない気がする。多分、特別一緒にいたいとかでもないと思う。
「今度は一ノ瀬くんが行ってみたい場所に行こうよ!」
あれから一週間考えても、行きたい場所が思い浮かばない。
そもそも近くにどんなものがあるか、それすら知らないことに気づいた。
スマホには『おすすめスポット20選』の大きな文字が見える。
(この前の喫茶店もいいけど…)
僕が行きたい場所かは、わからなかった。
確かにあの場所の雰囲気は心地よかったと思う。また行ってもいいなとも思った。
でも、『同じ場所へ行くのは正しいんだろうか?』そう思うと、違う場所がいい気がした。
「咲夜は、休日どこ行きたい?」
意図せずその言葉が聞こえてきた。声の方を見ると、望月さんが数人と談笑している。
「私は水族館とか好きかも!色んな楽しみ方があるから」
「いいね〜」
「楽しいけど、最近行かないかも」
「清夏は?休日どこ行きたい?」
「私はね〜」
話はまた自然と流れていく。みんなが笑顔で自分の行きたいところ、好きなところを言い並べていくのが聞こえる。
望月さんも、もちろん笑っていた。だけどあの日僕が見た笑顔とは何か違った気がした。
「休日どこ行きたい?」
「…急にどうした?」
放課後。幼なじみの蓮が驚いた顔で僕を見ていた。
口が半分開いて、飲みかけのジュースが少しだけ漏れ出ている。
「柚葉…お前高校でなんかあったのか?」
蓮と僕は別々の高校に通っている。週に2回ぐらい、帰り道の公園で話すのが日常だ。
「多分何かあったわけじゃないかな…今日、そんなことを話してるの聞いて」
「なるほどなー…休日に行きたい場所か」
蓮は紙パックを片手にしばらく考える。
遊んでいる子供たちの声、小さな風に揺れる葉っぱの音が聞こえる。
「俺が行くとしたら、食べ歩きできる場所かな。例えば江ノ島とか」
蓮は食べたいものを一つ一つ挙げていく。
望月さんも、そういうの好きなのだろうか。
「蓮はさ、そういうのどうやって決めてるの?」
「どうやって…今おなか空いてるから、なんか食べたいな〜みたいにかな」
そう言ってジュースを一口飲む。
「柚葉はどうよ?なんとなくでいいからさ、ここ行ってみたいな〜とかない?」
「わかんないんだよね。調べたりしても、これだ!ってなるものがなくて…」
「100%を求めすぎなんだよ。これだ!じゃなくてさ、ちょっといいかもぐらいでいいと俺は思うけどな〜」
そんなことを言っていると、遊んでいた子供たちのボールが転がってきた。
蓮はボールを拾うと軽くリフティングをして返す。子供たちから歓声が上がる。蓮は得意げに少し笑っていた。
それを見ながら缶コーヒーに口をつける。
「そういえば柚葉。お前コーヒー飲むっけ?いつも水とかお茶じゃなかった?」
「なんとなく…飲めたらかっこいいかなって」
「なにそれ」
蓮は軽く笑ってまた隣に座る。
僕はスマホを取り出し、メッセージを開く。
『行きたい場所決まったら教えてね!』
望月さんとの会話を開くと、真っ先に目に入ったのはこれだった。
同時に今日の望月さんの言葉が思い浮かんだ。
『考えてみたけど水族館に行きたい。今度の休みの日って空いてる?』
彼女からの返信はすぐだった。
『土曜日なら空いてるよ!水族館に行くならこの前の駅集合にしよっか』
一緒に送られてきたイルカのスタンプは、3匹で『OK』の文字を作っていた。
それを見て肩の力が抜けた気がした。




