第六十八話 ゴブリンどもの悪臭がぷんぷんするぜ
犬たちに導かれること約一時間、急に視界が開けた。
枝葉に遮られ木漏れ日だった陽光が途端に強く降り注ぎ、俺は思わず目を細めた。
ぱちぱちと瞬いてから、おもむろに目をしっかり開くと、案に相違して、そこは洞窟ではなく村だった。
長閑な印象の村だ。それも絵本に出てくるような。
そう感覚した瞬間、張り詰めていた緊張の糸が緩み、自然、安堵の溜息を漏らした。
山を背負った村には、同じ形状の赤いとんがり帽子のような屋根を被った家屋が軒を連ねていた。
視線を上に少し向けると、山の斜面には段々畑があり、あそこで葡萄を栽培しているようだった。
出入り口いわゆる村の名前が彫られたウェルカムアーチを通り抜け、足を踏み入れ、暫くまっすぐ歩くと、井戸が見えてきた。白い石で作られた円形の井戸だ。
近寄って、中を覗き込むと、底が見えないほどの深さがあった。
顔をあげて首を巡らせる。
どうやらここは、公共の広場らしい。白く塗られた木製のベンチのような腰掛けがいくつか設置されていた。
ここまできて、ふと首を傾げた。まだ昼さがりだと言うのに、人の姿がまったく見当たらない。それに、神経を集中させても気配すら感じない……。
「なんか変じゃないか? 人が見当たらないし、気配もない。見てくれは平和な感じの村なのに、それが張りぼてで、なんて言うか……まるで廃墟って言うか……その、もぬけの殻って感じだ」
「ああ、たしかに生きてる人間のニオイがまったくしないな……。するのは古いニオイだけだ……。たぶん、やつらに連れ去られたんだろうな……」
犬の言に俺はゴクリと喉を鳴らした。
「やつらって……」
「ゴブリンども……だろうよ」
「じゃあ、早く、連れ戻さないと」
「そうだな……。連れ戻さないとな……」
犬が言うと、犬の隣に並んだ雉がくつくつと笑い、つられたように猿が、けたけたと笑声を漏らした。
何が面白いんだ? と言う代わりに、眉を顰めて、二匹を見やると、犬が、「気を悪くしないでくれ。こいつら、笑っちゃいけない場面になるとつい笑っちまう悪い癖があんだ。悪気はないんだ。勘弁してやてくれ」とヘラヘラしながら口にした。
俺は釈然としない気持ちを抱いたまま、「そうか、わかった……」とだけ呟いた。
薄ら笑いを浮かべた雉と猿は、詫びるように、軽く俺に向かって会釈した。
山の裾に沿ってぐるっと歩くとすぐに洞窟は見つかった。
洞窟の前は、空き地のようになっていて、土砂や砕かれた岩なんかがうずたかく積まれた小山が点在している。
周囲に目を配ると、ツルハシやシャベル、木製の手押し車がいくつも放置されており、その光景を呼水に、洞窟の奥には鉱床があり、村人たちは採掘に勤しんでいたが、鉱物が取れなくなって、放置したその洞窟にゴブリンが住みついてしまったのだろう……という憶測が頭を去来してきた。
洞窟の前に立って、右手にいる犬に顔を向けずに、あたかも確認するように言った。
「この奥にゴブリンがいるんだな」
「ああ、そうに違いねぇ。ゴブリンどもの悪臭がぷんぷんするぜ」
「よし、じゃあいくか」
決然と言って、一歩を踏み出そうとしたところで、「おい、その前にあれ食べといた方がいいぜ、兄弟」と犬が助言するように言った。
「あれ? あ、『キィビィーダンゴォー』か! 忘れるところだった!」
「そうそれだ! 食っといた方がいいぜ、兄弟」
俺は袋を出現させると、紐を解いて、『キィビィーダンゴォー』を取り出した。
「じゃあ、ちょっと失礼しまして、いただきます! はむ、うんうん、なんというか口の中の水分を持ってくな、これ……」
眉を曇らせる俺に犬が問いかける。
「兄弟、味の方はどうだい?」
「ん? 味? 何味だこれ? 特別……味はしないけど……なんか舌がピリピリするな……隠し味に辛子でも入れてんのかな?」
「そうかそうか……で、どうだ何か変化は感じるか?」
「うーん、そうだな、ん? なんか手足に違和感があああああああ」
急に全身が痺れ、俺はその場に膝から崩れ落ちると、腹這いに倒れ伏した。
「どうやらようやく効いたみたいだな! すげーよお前、普通なら一秒かからずそうなるのによ! 十五秒もかかりやがった! さすがスライムとコカトリスを討伐しただけあるぜ!」
犬は興奮気味にそう言ってから、俺の前方に回り込むと、そのまま目を落とした。
直後、耳に猿と雉の笑い声が届いた。
混乱した俺は、懸命に口を動かして問い質そうと努めたが、「なんでそんなこと知ってええええええええええるんだああああ! 痺れるうううううう!」といった具合に麻痺には抗えなかった。
すると、にわかに、がさがさという茂みを搔きわける音がして、「どうやらうまくいったようじゃな」という声が耳を掠めた。
「マスター!」
犬が振り返りざま、朗々たる声で言って、霞み始めた視界の中で、犬の尻尾がワイパーよろしく連続的な動きを見せた。
「マああああああスター?」
そう言って、目を凝らすと、不鮮明だった視界が、急に鮮明になり、犬にマスターと呼ばれた人物の顔が明らかになった。
「お前ええええええはあああああああああ!」
声を振るわせる俺の前にいたのは、ギルドで俺にゴブリン討伐を依頼してきた老人だった。
老人は不敵に笑うと、片手をあげた。
瞬間、森の茂みから老婆が出てきた。
老婆が出てくると、それを皮切りに、茂みを搔きわける音、枯れ木や枯れ葉を踏み砕く音が立て続けに俺の鼓膜を揺らした。
あっと言う間に、目睫には農民の格好をした老人と老婆。その背後に黒ずくめ衣装を纏った明らかにやばそうな五十人規模集団が姿を現していた。老人と老婆の存在が、その集団の異様さを際立たせていた。
背筋を凍らせ、ぞっとしたのが悪かったのか、それとも、『キィビィーダンゴォー』の麻痺毒が全身にまわったのか、またぞろ視界が不鮮明になると、ついで俺の意識は遠のき始めてしまい、その一瞬後に俺は顔面を苔塗れの地面にすっかりうずめてしまった。




