第六十六話 俺の片脚には老人がしがみついており、片手の手首は老婆の両の手によって握りしめられていた
クエストボードの前で腕組みをしながら、「ん〜なかなか、いいのがないな〜」と思わず零した。
パッとしない依頼ばかりで、なかなかいいクエストを見出すことができないでいたからだ。
と、そのとき、カウンターのある方向から、騒がしい声が聞こえてきた。「どうか、どうか、村を救ってくだされ!」という嗄れた男の声だ。
見やると、カウンターの縁を両手で掴むようにして、あたかも断崖絶壁から落ちそうな格好で、老人が受付嬢に何かを喚いているところだった。その斜め後ろには、乞うように手を組み合わせている老婆の姿がある。
受付嬢のお姉さんは、困り顔を浮かべている。
「申し訳ありませんが、きちんと手続きを踏んでいただかないと……」
言うと、老人がカウンターの縁を支えに立ちあがりざま、「このままでは村が! ゴブリンどもに!」と声を震わせ、口角泡を飛ばさんばかりに訴えた。
その大音声にお姉さんは耳を両手で塞ぐと、気圧されたように数歩後ずさり、眉を顰めて言った。
「お静かに願います。そんな急に冒険者は派遣できかね……」
だぶん、ます、と言いかけて……お姉さんはその一部始終を見守る俺に気がついたのか、一瞬その眉を開くと、俺の目をじっと見つめてきた。
それから、微笑みを浮かべる。
俺は自分を指差し、首を傾げた。
お姉さんは、微笑したまま、小さくうなづく。俺も思いがけずそれに倣い、首を小さく縦に振ってしまった……。
そうすると、お姉さんは莞爾とした笑みを浮かべて、片手で俺を指し示して言った。
「あちらの冒険者のお方がどうやら力になってくださるようです。彼、かなりの凄腕冒険者なんですよ。なんとあのスライムやコカトリスの討伐に成功したんです。すごいですよね」
瞬間、老人と老婆の視線が俺に殺到した。
俺はギョッとして、思いがけず生唾を飲み込んだ。
俺の片脚には老人がしがみついており、片手の手首は老婆の両の手によって握りしめられていた。
そうしながら、彼らは口々に泣く泣く繰り返す。「どうかどうか村を」と老婆が言うと、「お救いくださいませ」と老人が繋ぎ、その逆の場合もままあった。
顔をひきつらせながらも、ここで彼らを無下にすれば、後ろでこちらを、にこやかな表情で見据えてくるに受付嬢のお姉さんたちからの白眼視は免れないだろう、と考えた俺は、笑みを取り繕うと、「落ち着いてください。何があったんですか?」と彼らに問うた。
すると、老人が急に喚くのをやめて、こちらを仰ぎ見つつ、言った。一際大きな声で。
「村がああああああ! 救ってくだされえええええ!」
俺は顔にかかった唾を拭うと、笑顔のまま、おもむろに老人の首に手をかけようとした。
が、お姉さんたちの目があることを、すんでのところで思い出して、首の代わりに老人の双肩に手を置いて言った。
「何から救えばいいんですか?」
と、老人は目を暫時ぱちつかせると口を切った。
「え? なんだって?」
カチンときた俺は、軽々老人を持ちあげると、高い高いの要領で、天井に投げ飛ばし、天井に頭を強打し落下してきた老人を剣で一刀両断……しようかと思ったのだが、代わりに深呼吸すると、一語一語明瞭にはっきりと声に出して聞かせた。
「な、に、か、ら、す、く、え、ば、い、い、ん、で、す、か?」
そうしてみると、老人が言った。
「ゴブリンじゃ……。ゴブリンを退治して欲しいのじゃ」
老人が硬い声で言うと、俺の手首を掴んでいた老婆の手に力がさらに籠り、こくりこくりとうなずいてみせた。老婆の金壺眼には涙があり、加えて恐怖心を湛えているように見えた。
「ゴブリン……」
俺はそう呟いて、またぞろ唾を飲み込んだ。
耳に入れた老人の話を纏めるとこうだった。
老人と老婆は夫婦で、老人はこの都市から北の方角に見える山地その一つの山の、麓の村の村長で、老婆は副村長だと言う。
村はだいたい五十人規模の小さな村で、酪農、牧羊、葡萄栽培が盛んであるとのことだ。
で、本題はここからで、その村を見下ろす山から、ゴブリンがときどき降りてきて悪さをするそうだ。
この世界のゴブリンは、肌が緑色のずんぐりとした体型で、深夜村に忍び込んでは、村の子どもや家畜をさらって、頭からむしゃむしゃ食べてしまう、肉食性の怪物なのだとか……。
ゴブリンは単体だと頗る弱いのだそうだが、その山に潜むゴブリンが、今年、近年稀に見る大繁殖をしてしまったとかで、村人の手に余る状況なのだと言う。
ゴブリンは普通ならスリーマンセルかフォーマンセル程度の小規模陣形で村にやってくると言うのだが、今年は五十を超えるゴブリンの大群が何度も村を襲撃してきたらしい。
通常、三、四体のゴブリンなら、数匹の番犬が瞬く間に八つ裂きしてしまうとのことなのだが、今年度は逆に五十を越えるゴブリンたちによって、村中の番犬がことごとく連れ去られてしまったのだとか。
そういうわけで、俺はその村を救うべくギルドをあとにした。
ちなみに、一刻も早くと言うことだったので、老人と老婆をギルドに残した俺は、件の村を目指して、大道を一気に駆け抜けた。




