第六十三話 そ、その一応、毒消しのアイテムを使ったんだが、どうやら使うのが少し遅かったらしいな……
火だるまになったコカトリスの巨体が俺にぶつかった瞬間、パチンという泡の弾けるような音を耳が拾った。
俺は身じろぎ一つせず、その音がなんの音なのかを考えながら、コカトリスの一挙手一投足を固唾を飲んで見ていた。
コカトリスは俺と衝突すると、数秒間凝然と佇立していたのだが、急に「ぐぇぇぇ」という、か細い苦鳴めいた声をあげると、もんどりを打って仰向けに倒れてしまった。
その燃え盛る身体は、みるみる火になめつくされ、香ばしい……焼き鳥に酷似した香りが、不意に俺の鼻腔をくすぐった。
「じゅるり」という音を発した俺は、こんななりでも、食べたら美味しいのだろうか、と考えつつ、その焼けた巨体を見おろして、改めてコカトリスの大きさを目算する。
全長二メートル……下手したらそれ以上あろうか、という怪鳥。
この巨体に体当たりされたのにもかかわらず俺は、吹っ飛ばされることも、轢死することもなく、こうして、ここに達者な状態で突っ立ている……。
コカトリスから視線を外し、念のため自身の身体を見やる。
案の定、かすり傷一つ見当たらない。
はっきり言うと、この俺の身に起きた不可思議な出来事には、覚えがあった。
どんなダメージでも一回だけ無効化してくれる便利な魔法。
俺をピンチから何度も救い出してくれた水属性魔法。
……そう『ウォーターベール』だ。
身体を魔法の水の泡で包むこの魔法は、知らぬ間に封印されていた。
だからこそ、俺はコカトリスの毒をもろにくらうという憂き目を見たのだ。
そして、この魔法を封印したその犯人は、俺の中にいた。名も顔も知らぬ男。そいつがウォーターベールを封印してしまったはずだったのだが……。
「どういうことだ? 封印したんじゃなかったのか?」
口に出して、誰に言うともなく、そう疑問を口にすると、やにわに脳中で男の声がした。
(まあ、毒はともかく、さっきのは直撃したら、回復薬ではどうにもならない、長期間に及ぶ昏睡は避けられんほど重症を負う可能性があったからな。間一髪のところで、特別に封印を解除してやったわけだ。お前が怪我で寝たきりなんかになってしまうと、せっかくの異世界が満喫できん可能性があるからな。死なない程度に痛い目を見るくらいで十分だ。これからも、ぎりぎりをせめていくから、安心して思う存分苦しむがいい)
男は、平然と、とんでもないことを言ってきた。
俺は、堪らず言い募った。
「安心できるわけねぇだろ! つか、マジでお前誰なんだよ⁉︎ 早く俺の中から出ていけよ!」
(それはできぬ。誰かも教えぬ。ではさらばだ!)
「待て! ふざけんな! 戻って来い!」
そう言い残して俺の身体のどこかに失せた男に、俺がそう叫ぶと、にわかに変な視線を感じた。
針の筵に座らされているかのような居心地の悪さに、反射的に前を見据えると、眼前、コカトリスの丸焼きの向こう側に、メアとジェルサが立っていた。
コカトリスの討伐に一応ではあるが成功したにもかかわらず、メアとジェルサの表情は朗らかとはほど遠い。
まるで、痛々しいものを見るかのような目をして、示し合わせたかのように眉を顰めている。
俺は、ハッとして、手で口を覆った。
脳内の男の声が周りに聞こえているわけもなく、傍から見れば、俺は怒りにまかせ、大音声で独り言を口にする、恐慌をきたしたやばい少年のように映ったのかもしれない。いや、絶対そうに違いない。
と、ジェルサが、恐る恐るといった風情で口火を切った。
「そ、その一応、毒消しのアイテムを使ったんだが、どうやら使うのが少し遅かったらしいな……。す……すまない」
言って眉を曇らせうつむくジェルサに、メアがフォローするように声をかける。
「問題ないわ。夜雲はたまにこうなるの……」
瞬間、ジェルサが顔をあげ、目を見張って、メアに顔を向けて言う。
「嘘だろ? そんな馬鹿な……」
両眉をあげ瞠目し困惑した様子のジェルサに、メアは、「毒とか関係なく、どこかおかしいのよ。……きっと」といくらか声を潜めて言った。
声を潜めようが、距離が距離だけに、メアの言は筒抜けであり、メアとジェルサの眼差しに、耐え切れなくなった俺は、堪らず弁解を口にした。
「いや、聞いてくれ! 男が話しかけてきたんだ!」
語調を荒げてそう言うと、メアは、またか、と言わんばかりに肩を竦めて頭をおもむろに左右に振る。
一方、ジェルサは、「ん? 男が? どういうことだ?」と言って首を傾げてみせた。
俺は一筋の光明が差したかのような心持ちがして、「そ、そうなんだ、頭の中で、そいつが、俺に理不尽なことを言ってきやがって、それで我慢できなくて……俺、それで」と、しどろもどろに述懐したところで、急に後ろ手から抱き竦められた。
「もうよい……。さあ、温かいお茶でも出そう」
そう口にしたのは、村長だった。
村長の声には慈愛が満ちているように思えた。
そうして、村長の腕の中、急に目頭が熱くなり、俺は、我にもなく「うっ」と嗚咽を漏らした。
涙を堪えながら前を見ると、正対する二人の目からは怪訝な色が失せ、代わりに憐憫の情のを思わせる色が浮かんでいた。




