二話
「べた?」
朝長義兄が首を捻られた。
……時代的にも、この世界でも、まだ存在しない言葉だったか。
「……お二方の出会われた状況が、昔読んだ物語にあったような気がしただけにございます。それより、義兄上のお話を伺いたく存じます」
「……此度は、騙されてあげよう」
義兄上が妖艶にお笑いになる。
姿勢を正す私の頭の中で、「〝うっかり〟はアカンて!」と(前世の)ご近所のおばさまの声がこだました。
「さて、どこまで話したか……そう、千歳様がお召しになっていらしたのが、美福門院様の家臣の方の、ご子息の装束によく似ていてね。千歳様のご尊顔を拝見して、おそらく親王殿下ご本人だろうな、と」
「家臣の方にお借りした、ということでしょうか」
「菊の御紋が入ったお召し物では、お忍びはできぬだろう?」
……なるほど。
「……確か、お生まれになって間もなく、美福門院様のもとへお出でになったのでしたね」
「ご生母様の懿子様が、産後間もなく身罷られたからね。念のために『美福門院の方ですか?』とお伺いしたら、『その通りだ』と仰られたのだよ」
その際に親王殿下が名乗られた御名が、『千歳』だったそうだ。
「もしかしたら、ご生母様の分まで生きようとなさる御意思から、そのような御名を口にされたのかもしれないね」
「……左様でございますか……」
しんみりとした空気の中、私はふと気づく。
「お一人だったのですか」
「いや。お供を連れていらしたよ。一人ね」
「えっ……」
「私も、今のそなたのように絶句したよ。お供の者も子どもだったゆえ、尚更」
「子ども……」
千歳様の御身が心配になった。
「千歳様はその者を、『空木』と呼んでいらしたのだよ」
「……柊家の方、ですね」
皇族の方々を密かにお護りする、影の一族だ。
護衛としてこれ以上の有能な……ん?
「お忍び中に、柊家の方の名を呼ばれたのですか」
「そう。私も気づいたが、千歳様はお気づきになっていないご様子だった。むしろ空木殿のほうが慌てていらしたかな」
「護衛として、困ったでしょうね」
「お忍びであるはずの護衛対象の方が、御自ら素性を明かしてしまわれたのだからね」
義兄上が「ふふ」とお笑いになる。
「出会いはそのようだったが、ご縁があったと言うべきかな。何度かお会いする機会があってね。同い年ゆえ……というのがすべてでもないが、不思議と気が合ったのだよ」
千歳様のご容貌は懿子様に似ておいでのようで、大層お美しいそうだ。
溌剌としたお振る舞いからすると、印象に多少の差違はあるものの、むしろ好意的に受け取ることができたらしい。
美福門院:藤原得子の院号。鳥羽天皇が譲位して上皇となってからおよそ10年後、寵愛を受け始めた女性です。近衛天皇の生母となったため、上皇の后である証の院号宣下により「美福門院」を称しました。※鳥羽上皇は仏門に入った1142年より『法皇』となります。
院号:ここでは、上皇の后を尊ぶ称号の意。
※敬称略
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