一話
保元三年8月11日。
後白河天皇陛下が譲位なさった。
守仁親王殿下が〝しかるべき御歳〟におなりあそばしたからである。
大内裏では、12月の即位の儀に向けて、各部署が準備をしているところだ。
「此度の譲位は前々から決まっていたことゆえ、朝廷の混乱は少なくて済みそうだな」
父上が我が家の執務室にて、安堵の息を吐かれた。
「……突如祭り上げられるよりは、良いでしょうね」
朝長義兄上が目を伏せられる。まるで、友人を心配するような……
「親王殿下と、親しいご様子ですね」
「意外かな?」
「接点が見当たりませんので……」
「たびたび話していたとは思うが……『千歳様』が親王殿下だよ」
「えっ……」
私が目を見開くと、父上が嘆息なさった。
「誠にそなたは、己に感心のあることにしか目が向かぬな」
「……申し訳ございませぬ」
「今は、伊行殿に夢中であるしな」
「おや。鬼武者はそちらの気に目覚めたのかい?」
「昨年の『遷御の儀』の後、奉納した童舞を褒められて頬を染めていたそなたは、大層愛らしかったぞ」
「恋する乙女のようでしたね」
「……お二方とも、お揶揄いになるのは、おやめください」
伊行様のことは、敬愛しているだけだ。
私が口をへの字にすると、お二方はお笑いになった。
「冗談はさておき。そなたはもう少し、視野を広げよ」
「何事を判断するにも、情報は多いほうが良いからね」
「はい。精進致します」
「うむ」
父上が頷いてくださった。この話はここで終わりだろう。
「義兄上。改めてお伺いしたいのですが、千歳様とは、どちらでお会いになったのですか」
「……本当に、関心がなかったのだね」
仕方のない子だと苦笑なさり、義兄上は馴れ初め(?)を話してくださった。
「私が殿下童の頃のことだよ。当時も、中務省に関係する部署にいてね。必然的に、内裏に足を運ぶ回数が増えたのだよ」
内裏の女房さんたちから大人気だったという、あの頃か。
「その日はたまたま、少し近道をしていてね。生垣の前を通っていたら、木の間から飛び出していらした千歳様とぶつかった……のが始まりかな」
「……なんてベタな……」
思わず突っ込んでしまった。
どちらかがパンを咥えていたら、転校生とのラブロマンスが始まってしまうではないか。
内裏は千歳様のお住まいゆえ、この場合の転校生は義兄上か……?
この世界に存在しない言葉を思い浮かべてしまうほど、前世ではありがちとされる状況だった。
中務省:天皇の補佐、詔勅の宣下・施行から後宮女官の人事まで、朝廷に関する職務の全般を担う部署。
※敬称略
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