シーン9:魔法使い、分析する
「……それにしても」
僧侶が、すっかり冷めた紅茶を見つめながら呟いた。
「なんで恋愛禁止なんでしょうねえ」
「吊り橋効果」
魔法使いが静かに答えた。
「……へ?」
「危険な状況を共に乗り越えることで、互いに恋愛感情を抱くことがあります。冒険を経て、仲間同士が結ばれる。よくあることです」
「ああ! ありますね!」
僧侶の目が輝いた。
「命を預け合って、助けたり助けられたりして! 最初は喧嘩ばかりだった二人が、いつしかお互いを意識するようになって!」
「……ええ」
「いいじゃないですか! 最高じゃないですか!」
「ですから、それを防ぐための規則なのではないでしょうか。転移者さんが来る前に、物語の人間関係が出来上がってしまいますから」
「……あ」
僧侶は固まった。
「……なるほど」
しばらく考え込む。
「……でも、それって」
「はい?」
「つまり、恋愛できる状況は、すでに整ってるってことですよね?」
「……まあ、そういうことになりますが」
「なのに禁止!」
「……はい」
「生殺しじゃないですかぁぁぁ!」
僧侶が天を仰いだ。
そのとき。
「それならば!」
女将軍が勢いよく立ち上がった。
二人が振り返る。
「魔王様と勇者殿には、ぜひ一緒に冒険していただきたい!」
「……はい?」
「共に困難を乗り越え、互いの命を預け合い、時には傷つき、時には支え合い……!」
女将軍の目が輝いている。
「やがて二人の間に、言葉では言い表せぬ感情が芽生えるのだ!」
「……将軍?」
「敵同士という立場を超え、二人だけの秘密を分かち合う! ああ、なんという……!」
「将軍!」
「……何だ?」
「魔王様と勇者さん、敵同士ですよ?」
「だからこそだ!」
即答だった。
僧侶が魔法使いを見る。
魔法使いも僧侶を見る。
「……もう、何でもいいんですね」
「……そのようですね」
女将軍は、満足そうに頷いた。
「実に有意義な意見交換であった」
「……どこがですか」
女将軍は涼しい顔で紅茶を飲んだ。
「恋愛禁止令には従うべきだ。私事を任務に持ち込むべきではない」
「将軍はいいですよね。妄想だけで満足できるんですから」
カップが止まった。
「……妄想?」
「……あ」
「何の話だ?」
「……いえ、何でも。お茶、おいしいですね」
魔法使いはそっと息を吐き、ポットを持ち上げた。
「……もう一杯、いかがですか?」
「いただこう」
「私もお願いします」
紅茶が注がれる。
「……ほんと、早く転移者さん来ないかなあ」
僧侶の言葉に、魔法使いが頷いた。
「そうですね」
女将軍は物憂げな表情で頷く。
「うむ」
三人の気持ちが、初めて一致した。
ただし、その理由は三人とも違っていた。
そのとき、庭園の向こうを一人の魔族の騎士が通りかかった。
銀色の長い髪。端正な顔立ち。引き締まった体躯に磨き上げられた黒い鎧。
騎士は東屋に気づき、丁寧に一礼した。
「ご歓談中、失礼いたしました」
涼やかな低音を残し、颯爽と立ち去っていく。
僧侶の目が、その背中を追った。
「……あの人です」
「はい?」
「さっき話した、銀髪の……」
「……ああ」
僧侶はぷるぷると震え始めた。
「……ガルルルルルル」
「僧侶さん。お茶が冷めますよ」
「……ガルル」
女将軍は静かに紅茶を飲み、魔法使いはため息をついた。
やがて三人がお茶会を終え、庭園の外へ姿を消した瞬間。
ふっ、と陽光が途絶えた。
花は枯れ、樹木はねじれた枝を伸ばし、白亜の東屋も噴水も消え失せる。
再び暗雲が空を覆い、獣の唸り声が響いた。
そこには、いつもの禍々しい魔王城の庭があった。
何事もなかったかのように。




