第一章 更地
父が死んで、土地が残った。
霧生台五番地の四と、五番地の五。二つとも五十坪ある。
権利証は仏壇の引き出しに入っていた。封筒ごと入っていて、封は切ってあった。中の紙は日に焼けて、折り目のところだけが茶色くなっている。買ったのは昭和四十九年だった。わたしは十一で、そのころ父は工場の夜勤に出ていた。
父が霧生台を見に行ったという話は、一度も聞いたことがない。
四十九日が済んで、四月の終わりに、はじめて行った。妻は行かなかった。行っても何もないでしょう、と言われて、そのとおりだと思ったが、いちおう鎌と軍手を積んだ。
国道から県道に入って、そこから二十分ほど登る。途中でバス停の標識が一本立っていた。時刻表の入るところが空だった。枠だけが残っていて、金具が錆びている。
登りきると、道が平らになった。
そこから先が霧生台だった。
入口に石の門柱が二本立っていて、片方に字が彫ってある。霧生台。もう片方は、字があったらしい跡だけが残っていて、読めなかった。
門柱の脇に、看板が立っていた。
鉄の枠に板をはめたもので、板の色はほとんど抜けていた。近づくと、線が残っているのがわかった。細い線が縦横に引いてあって、四角がびっしり並んでいる。その四角のひとつひとつに数字が入っていた。数字は読めるものと読めないものがあった。
区画図だった。
四角のいくつかに、赤いものが貼ってあった跡があった。丸い形で、紙の厚みの分だけ色が残っている。剥がれたのではなく、日に灼けて消えたらしかった。
看板の下のほうに会社の名前と電話番号が入っていた。市外局番が三桁だった。
道は舗装されていた。白い線も引いてある。片側に側溝があって、蓋がところどころ外れている。街灯が二十メートルおきぐらいに立っていて、どれも上のほうのカバーが割れていた。中に何も入っていない。
道の両側は、草だった。
背の高いものではない。膝の下ぐらいで、そこらじゅうが同じ高さで揃っている。そのなかに、コンクリートの杭が出ていた。十センチ角ぐらいのもので、上のところに数字が彫ってある。
杭から杭までを目で追うと、線が見えた。
線の内側が一区画で、その次が一区画で、そのとなりも一区画だった。草はどこも同じ高さで、どの区画にも同じように生えている。
車を降りて歩いた。舗装は途中で切れた。切れたところから先は砂利で、その砂利も草に埋もれている。それでも道の形は残っていた。曲がるところでちゃんと曲がっていて、突き当たりで丁字になっている。行き止まりには転回場らしい丸い広がりがあった。
家が見えたのは、丁字を右に折れてからだった。
二階建てで、雨戸が閉まっていた。庭に物干しがあって、竿が一本かかっている。表札は出ていない。郵便受けの口が、テープで塞いであった。
そのさらに先に、もう一軒あった。こちらは屋根にブルーシートがかかっていて、押さえの土嚢が転がり落ちている。
わたしは五番地の四を探した。
杭の数字を順に見ていって、五の四を見つけた。杭は少し傾いていた。押してみると動いた。抜けそうだったので、それ以上は触らなかった。
そこが父の土地だった。
草だった。
となりの五の五も草だった。区切りが何もないから、どこまでが四でどこからが五なのか、杭を見ないとわからない。杭を見てもよくわからなかった。
鎌を出して、しばらく刈った。刈ったところだけ土が出た。赤茶けた土で、細かい石が混じっている。三十分ほどやって、手を止めた。刈った面積は、両手を広げたぐらいだった。
刈った草を端に寄せていると、後ろから声をかけられた。
「どちらさん」
八十ぐらいの男の人だった。首にタオルを巻いて、長靴を履いている。
わたしは父の名前を言って、息子ですと言った。
「ああ」
男の人はうなずいた。それから杭のほうを見た。
「五の四と、五の五だね」
そうです、と答えた。
「久世といいます。そこの、青いのがかかってる家」
久世さんは自分の家のほうを指した。
「越してきたの」
「いえ。見に来ただけです」
「そう」
久世さんはまた杭を見た。何か言うかと思ったが、何も言わなかった。
「草は、勝手に刈っていいんですか」
「自分の土地でしょう」
「そうなんですけど」
「いいよ。誰も何も言わない」
久世さんは笛を吹くように息を吐いた。
「わたしは、昭和五十二年に建てたんだ。ここが一等地になるって言われてね。駅ができるって。すぐそこまで線路が来るって」
来ましたか、と聞かなくてもよかったが、聞いた。
「来ないよ」
久世さんは笑った。怒っているふうではなかった。
「四百七十二あるんだよ、ここ」
「区画がですか」
「そう。四百七十二」
久世さんは道の先を見た。草と、杭と、街灯が並んでいた。
「家が建ったのは、九軒」
「九軒」
「いま住んでるのは、五軒だね。うちを入れて」
わたしは道の先を見た。丁字の向こうはよく見えなかった。
「残りは」
「残りは、こういうことだよ」
久世さんは足元の草を長靴で押した。草は倒れて、すぐに戻った。
帰りに、もう一度五の四の前を通った。刈ったところが、道から見えるかどうか確かめた。見えなかった。
家に帰ったら、妻が夕飯の支度をしていた。
「どうだった」
「草だった」
「それだけ」
「それだけ」
妻はそれ以上聞かなかった。わたしも言わなかった。
軍手は玄関の外に置いておいた。土がついていたからだが、翌朝には忘れていて、雨に濡れていた。
六月に、市から封筒が来た。
固定資産税の納税通知書だった。相続の届けを出したので、わたしの名前になっていた。中に明細がついていて、細かい字で並んでいる。
土地 霧生台五番地の四 宅地 一六五平方メートル
価格 四万二千円
土地 霧生台五番地の五 宅地 一六五平方メートル
価格 四万二千円
価格、というのは売り値のことではないのだと、あとで市の人に教わった。評価の額のことで、税を計算するための数字なのだという。
父がいくらで買ったかは、どこにも書いていなかった。
権利証にも書いていない。契約書は残っていなかった。母は先に死んでいるので、聞ける人がいなかった。
通知書の下のほうに、納める額が出ていた。二区画でいくらでもなかった。払える額だった。それがかえって、なんというか、始末が悪かった。
払えないほどなら、何かしたのだと思う。
わたしは通知書を封筒に戻して、仏壇の引き出しに入れた。権利証の隣になった。引き出しはそれで少しふくらんで、閉めるときに指で押さえる必要ができた。
翌年もおなじ通知書が来た。その翌年も来た。額はほとんど変わらなかった。
十月に、もう一度行った。
理由はなかった。休みで、天気がよくて、車に鎌が積みっぱなしになっていたからだと思う。妻には、ちょっと山、とだけ言った。
門柱も、看板も、四月と同じだった。街灯も同じだった。
五の四に着いて、わたしはしばらく立っていた。
刈ったところが、わからなかった。
草は膝の下で、そこらじゅうが同じ高さで揃っていた。地面が出ていたところにも、同じものが同じだけ生えている。色も、まわりと変わらなかった。
土を見ようと思って足で草を分けたが、分けた先にも草があった。
わたしは鎌を出さなかった。
帰りに久世さんの家の前を通った。ブルーシートは前と同じところにかかっていて、土嚢は前と同じように落ちていた。人はいなかった。
車に乗ってから、四月に聞いたことを思い出した。
四百七十二区画のうち、家が建ったのは九軒だった。




