根の国の人?
黒雷が守っていた門を抜けたワイチたちは、荷車を引きながら根の国のさらに奥へ進んでいた。
乾き切った大地には相変わらず草一本生えておらず、ねじれた枯れ木と岩が闇の中に連なっている。
「また来たぞ!」
岩陰から飛び出した魔物が荷車へ向かって駆けてくると、武蔵が斬り伏せ、その脇から現れた屍武者へ小次郎の飛燕が走り、さらに枯れ木の陰から二体が迫ったところを晴明の式神が食い止め、その隙に武蔵と小次郎が続けざまに斬り込んだ。
「ったく、次から次へと出てきやがる!」
「このまま進むなら、どこかに拠点を作った方がよさそうだね。毎回、黄泉坂の社まで戻るのも大変だし。」
魔物を退けて再び荷車を進めると、しばらくして岩壁の一角が大きく窪み、三方を囲まれた場所が現れた。
「ここ、使えそうじゃない?」
中へ入ってみると、荷車と天幕を置いても十分な広さがあり、外からは奥まで見通しにくい。
「ここなら魔物にも見つかりにくそうだな。」
「出入口も一つですから、守るなら開けた場所よりずっと楽でしょう。」
「よし、ここにしよう。」
ワイチたちは荷車を窪みの奥へ運び入れ、杭を打ち込んで天幕を張り、必要な荷物を中へ運び込むと、何もなかった岩場に小さな拠点が出来上がった。
「おいらたち、ちょっと周り見てくるよ。この辺に魔物が近づいてないか確かめてくる。」
「じゃあ僕も行くよ。」
しん吉ときゅうすけは窪地を出ると、遠くをうろつく魔物に見つからないよう岩陰を使いながら周囲を確かめていった。
「向こうに二匹いるな。今のところ、こっちに来る気配はなさそうだぞ。」
「うん。もう少しだけ向こうを見たら戻ろう。」
そのとき、別の岩陰で何かが動いた。
「しん吉……あれ、人じゃない?」
「え? 本当だ! なんで、こんなところに人がいるんだろう?」
二人が覗き込むと、髪を乱し、汚れた服を身につけた若い女性が覚束ない足取りで岩陰から現れた。
ところが、女性はしん吉ときゅうすけの姿に気づいた途端、びくっと身体を震わせて後ずさった。
「ひっ……嫌、連れて行かないで!」
「待って! 待って! おいらたち、敵じゃねえよ!」
「僕たちは何もしないから、大丈夫だよ。」
「え? 狐と狸が……喋るの?」
女性は二人を見つめたまま、戸惑いを隠せずにいた。
「へへ、喋るよ。おいらはしん吉、こっちはきゅうすけだ。」
女性は遠くをうろつく魔物を気にしながら二人の様子を窺い、やがて震える声を絞り出した。
「お願いです……助けてください……。私、ずっと逃げてきて……もう……。」
その身体がふらつき、きゅうすけが倒れかけた女性を支えた。
「しん吉、みんなを呼んで! この人、一人じゃ歩けないよ!」
「分かった! おーい! みんな! 人がいたぞー!」
声を聞いたワイチたちが窪地から駆けつけ、きゅうすけに支えられた女性を見た。
「えっ……本当だ! 本当に人じゃん! こんなところにどうして……。」
「おい、待て待て! ここは根の国だぞ。こんなところに普通の女が一人でいるなんて怪しすぎる。罠かもしれねえぞ。」
武蔵に制止され、ワイチも思わず足を止めた。
「そ、それはそうだけど……でも、このまま置いておけないよ。」
「周囲に敵が潜んでいる様子はありませんが、警戒はしておいた方がいいでしょう。」
小次郎たちが周囲を警戒する中、女性はきゅうすけに支えられたまま必死に訴えた。
「罠なんかじゃありません……何もしませんから、お願いです……助けてください……。」
「とりあえず天幕まで連れていこう。ここで話してる間に魔物が来たら、それこそまずいよ。」
武蔵たちは警戒を解かないまま、女性を連れて拠点へ戻った。
天幕の中で女性を座らせると、ワイチたちは少し距離を取り、武蔵たちはいつでも動けるよう警戒を続けた。
「俺はワイチ。まず君の名前を聞いてもいい?」
「エレナです……。」
「エレナさんね。さっき、ずっと逃げてきたって言ってたけど、どうしてこんなところに一人で……。」
そこまで聞いたところで、ワイチはエレナの異変に気づいた。
「……あれ?」
エレナの顔は異様なほど白く、まったく血の気がないため、最初はひどく弱っているせいだと思っていたが、こうして目の前に座っている彼女を見ているうちに、それだけではない妙な違和感が膨らんでいく。
「ちょっと待って……なんだこれ。」
ワイチはエレナから感じるはずのものを探るように意識を集中したが、目の前で話し、こちらの言葉にも反応しているにもかかわらず、生きている人間なら必ず感じるはずの気がどこにもない。
「エレナさんから生気が全然感じられないんだけど……なんで?」
「それは……私がもう死んでいるからだと思います。」
「……は? 死んでる?」
ワイチの身体が固まり、天幕の中から声が消えた。
エレナはそんな反応をされるとは思っていなかったのか、困惑しながら言葉を続けた。
「私は病気で亡くなりました。ですから、生きている人のような気がないのは当然なのだと思いますけど……。」
「ちょ、ちょっと待って! 亡くなったって……死んでるの!? だって今、普通に喋ってるし、俺たちのことも見えてるじゃん!」
「死者か……いや、だったらなんでお前がここにいる? 死んだ奴らがいるのは黄泉坂の方だろ?」
武蔵の言葉に、エレナは少し俯いた。
「私も……最初は黄泉坂にいたんです。」
「じゃあ、どうして根の国に?」
「突然、鎧を着た死人のような者たちが現れて、私たちを捕まえたんです。抵抗してもどうにもならなくて、そのままここまで連れてこられました。」
「鎧を着た死人……屍武者たちか。」
「たぶん、俺たちが何度も戦ってきた奴らだね。」
エレナは戸惑いながらも話を続けた。
「連れてこられたのは私だけじゃありません。ほかにも大勢いました。みんな一つの場所に閉じ込められて、ずっと見張られていたんです。」
「大勢って、どれくらい?」
「私がいたところだけでも……百人くらいはいたと思います。」
「百人!?」
「はい。でも、あそこだけなのかは分かりません。私たち以外にもいるのなら……もっと大勢いるかもしれません。」
「何のためにそんなことを……。」
「分かりません。ただ、私たちが閉じ込められていた場所のもっと先に、とても大きな建物があるんです。」
「建物?」
「工場のように見えました。でも、中で何をしているのかは誰も知りません。ときどき、見張りが何人かを選んで、その工場へ連れていくんです。でも……そこへ連れていかれた人は、一人も戻ってきませんでした。」
天幕の中から声が消えた。
「最初は別の場所へ移されたんじゃないかって話していたんです。でも、何人連れていかれても、誰も戻ってこないんです。次は自分なんじゃないかって、みんな怯えていました。」
「気味の悪い話だな……。」
「でも、エレナさんはどうやってそこから逃げてきたの?」
「閉じ込められている間に、おじいさんとおばあさんと仲良くなったんです。二人とも私のことをずっと気にかけてくれて……あるとき、おじいさんが見張りの注意を引いて、おばあさんが私を逃がしてくれました。『ここにいたら、いつかあそこへ連れていかれる。あなただけでも逃げなさい』って……。」
「それで一人でここまで来たの?」
「はい。もし誰かに会えたら、ここに大勢の人が閉じ込められていることを伝えて、助けを呼んでほしいって言われました。でも、外へ出ても魔物ばかりで……何度も見つかりそうになって、隠れながら逃げてきたんです。」
ワイチは、しん吉ときゅうすけを見た瞬間にエレナが「連れて行かないで」と怯えた理由をようやく理解した。
「それで、しん吉たちを見てあんなに怖がったんだ……。」
「ごめんなさい。最初は、また捕まるんだと思って……。」
「謝らなくていいよ。あんな目に遭ったら、そりゃ怖いよ。」
「しかし妙だな。黄泉坂からわざわざ死者をさらってきて、こんなところに閉じ込めてやがる。そのうえ、何人かずつ工場へ連れていって戻ってこねえ……。」
「何か目的があるのは間違いないでしょうが、今の段階では何も分かりませんね。」
「とにかく、放っておけないよ。百人も閉じ込められてるんでしょ?」
「ただ、罠じゃねえって決まったわけじゃねえぞ。」
「分かってるよ。でも、本当だったら今も誰かがあの工場に連れていかれてるかもしれないじゃん。」
「なら、まずは自分たちの目で確かめるべきでしょう。相手の数も、収容されている場所がどうなっているのかも分かっていません。」
「それがいいじゃろう。まずは様子を探り、それからどうするか決めればよい。」
「エレナさん、その場所まで案内できる?」
「……あそこへ、戻るんですか?」
「あ、ごめん。怖いよね。」
「……行きます。あの人たちを置いてはいけませんので、私が案内します。」
「じゃあ、まずは行ってみよう。閉じ込められてる人たちが本当にいるのか、それから確かめよう。」
「ありがとうございます……!」
エレナの目から涙がこぼれた。
命を終え、黄泉坂へ辿り着いたはずの人々が、なぜ根の国へ連れ去られているのか。
そして、誰一人戻ってこないという工場で、一体何が行われているのか。
ワイチたちは思いもよらなかった根の国の一面を知り、エレナが逃げてきた場所へ向かうことを決めた。
【次回予告】
エレナです。
まさか、逃げてきた場所へもう一度戻ることになるなんて思っていませんでした。
怖くないと言ったら嘘になります。でも、私を逃がしてくれたあの二人も、まだあそこに残っています。
それに、ほかにもたくさんの人たちが……。
今度は一人じゃありません。ワイチさんたちと一緒なら、きっと……。
次回、第91話「捕らわれの収容所」。
お願い……みんな、どうか無事でいてください。




