勝利の先に……
黒雷を倒したワイチたちは、重い足を引きずりながら転移の祠を抜け、黄泉坂の社へ戻ってきた。
「はぁ……さすがに今回は、きつかったな。」
「武蔵さん……すみません、もう少しだけ肩を貸してください。」
「分かってるって。お前、ほとんど体重かけてんじゃねえか。」
武蔵に身体を預けた小次郎は、足を前へ出すだけでも精一杯で、右腕も力なく垂れ下がっていた。
村正宗たちも社へ入るなりその場へ腰を下ろし、空海は柱にもたれながら大きく息を吐いた。
「黒雷め……倒したというのに、こっちまで魂を抜かれそうじゃ。」
「少し休んでから戻りましょう。この状態で緑狸の里まで歩くのは危険です。」
誰も反対する余裕すらなく、そのまま身体を休めていたが、しばらく経っても小次郎だけは立ち上がれなかった。
「小次郎、まだ無理か?」
「申し訳ありません……足に力が入りません。」
「ったく、しょうがねえな。」
再び小次郎を支えた武蔵だったが、数歩進んだところで、
「阿国、ちょっと代わってくれ。俺もさすがに疲れた。」
「えっ、私ですの?」
武蔵から小次郎を預けられた瞬間、予想以上の重さが阿国へ一気にのしかかった。
「きゃっ!」
よろけた阿国が近くに積まれていた書物の一冊を咄嗟につかむと、小次郎の身体が傾き、そのまま阿国の胸元へ倒れ込んだ。
「小次郎さんのエッチ!」
パァン!
天照の名が記された教本が、小次郎の頬を打った。
「な、何をするんですか!」
「何をするんですかじゃありませんわ!」
「私は何もしていません! 武蔵が急に身体を離したから……。」
「俺だって、まさかそっちに倒れるとは思わなかったんだよ。」
「もう、お二人とも何なんですの!」
そのやり取りを見ていたワイチが、突然、小次郎の身体を巡る変化に気づいた。
それまで弱々しかった白い流れだけが、全身を駆け抜けるように勢いを増していた。
「あれ? 小次郎の白い流れだけ、急に速くなった。」
「白い流れが?」
小次郎が足に力を入れると、阿国の支えから離れ、そのまま一人で立った。
「……立てますね。」
「さっきまで足に力が入らなかったんですが……かなり楽になっています。」
「気が増えたわけじゃないよ。白い流れだけがものすごい勢いで巡ってる。」
「さっきまでそんなことありませんでしたわよね?」
「教本で叩かれた直後からだよ。」
「……これですの?」
阿国の手には、先ほど小次郎を叩いた天照の教本が残っていた。
「これ、持っていきますわ。」
「また誰か叩く気じゃねえだろうな。」
「武蔵さんで試して差し上げてもよろしくてよ♪」
「絶対やめろ。」
先ほどまで歩くことさえ難しかった小次郎は自分の足で社を出ると、一行とともに緑狸の里へ向かった。
黒雷との戦いで消耗した身体にはまだ疲労が残っていたが、阿国の手には一冊の教本が加わっていた。
緑狸の里へ戻ったワイチたちは三吉たちの治療を受け、そのまま数日間、戦いから離れて身体を休めた。
黒雷との戦いで最も激しく消耗した小次郎も、ようやく一人で歩けるまでに回復し、病室で刀の柄を握った。
「どうだ、握れんのか?」
「握るだけなら問題ありません。ただ、まだ少し力が入りにくいですね。」
「あれだけの技を使ったんだ。すぐ元通りってわけにはいかねえか。」
小次郎は握る力を確かめてから刀を置いた。
「攻撃力は申し分ありません。ですが、あれほど気力を消耗するとは思いませんでした。頻繁に使える技ではありませんね。」
「そりゃ俺も同じだ。奥義を使えば一気に持っていかれる。何発も好き勝手に撃てるようなもんじゃねえ。」
「私の場合、それ以前の問題があります。あの力を使おうと思って出せるわけではありません。」
「自分で出せねえんじゃ、使いたいときに使えねえもんな。」
「あの炎を自分の意思で出せれば、戦い方も変わるんですが。」
「この先はもっと厳しくなるだろうし、あの力は絶対に必要になる。ワイチに一度見てもらえよ。身体の中で何が起きてるのか分かれば、何か方法が見つかるかもしれねえぞ。」
「それがよさそうですね。回復したらワイチさんに診てもらいます。」
その頃、別の部屋では晴明が机いっぱいに札を広げ、黒雷との戦いで失った式神を補うため、一枚ずつ新たな式神を作っていた。
ワイチはしばらくその作業を見ていたが、目の奥に重さを感じ、目元を押さえた。
「最近、なんか目が疲れるんだよね。前より疲れやすくなった気がするんだ。」
「その感じなら分かりますよ。私も式神を作っていると目を酷使しますから、細かな作業を続けているとかなり疲れます。」
「晴明もなるんだ。」
「そんなときは、いつもここを押しているんです。」
晴明が目頭の脇を指で押した。
「ワイチさんもやってみませんか?」
「ここか……おお、ずいぶん楽になるね。これはいいよ。」
ワイチも同じ場所を押していると、指先に集まる流れに気づいた。
「あれ? そういえば、ここにも流点があるな。」
「そこにも流点があるんですか?」
「今まで気にしてなかったけど、ちゃんと流れが集まってる。しかも押すと目が楽になる。」
もう一度押して感覚を確かめると、目の奥に残っていた重さが和らいでいった。
「晴明が教えてくれた場所だし、この流点、晴明って名前にしていいかい?」
「私の名前が流点になるんですか。それは光栄ですね。」
「じゃあ決まりだ。今日からここは『晴明』だね。」
同じ頃、空海、ナリア、阿国も黒雷との戦いで感じた問題を話していた。
「ワシの絶界も黒雷の攻撃には何とか耐えたが、この先もあれほどの攻撃を受けるとなると厳しいのう。もう少し長く維持できればよいんじゃが。」
「私は回復する力そのものは足りていると思うんです。でも、今回みたいに攻撃が続くと、治している間にも次の傷が増えてしまいます。もっと早く回復できれば、皆さんをすぐ戦いに戻せるんですけど。」
「私も、皆さんの力を上げたり守ったりするだけでは足りないと思いましたわ。小次郎さんみたいに気力を使い切ってしまったら、今の私には何もできませんもの。」
「攻撃する者だけ強くなっても、ワシらが支えきれなくなれば同じことじゃ。この先も黒雷のような奴が出てくるなら、ワシらも今のままではいかんのう。」
「もっと長く絶界を維持する力、もっと早く傷を治す力、それに皆さんの気力が戻るのを助ける力……何か一時的にでも、今より力を引き上げる方法があればいいんですけど。」
「それなら、作れないことはありませんよ。」
薬草の入った籠を運んできた三吉が、三人の話を聞いて足を止めた。
「作れるんですの? どんなものですの?」
「一時的に、その人が持っている力を大きく引き出す薬です。空海さんなら絶界を維持する力、ナリアさんなら回復する力、阿国さんなら皆さんを支援する力も、今より強くできると思います。」
「それなら作ってくれんか? 黒雷のような相手がまた出てきたとき、使えるものは一つでも多い方がよい。」
「ただ、かなり無茶をする薬ですよ。本来以上の力を無理に引き出すんですから、効果が切れた後に反動が一気に来ます。使った後は少なくとも三日、まともに動けなくなると思ってください。」
「三日も動けなくなるんですか。それでは、使った後に戦いが続いたら回復もできなくなってしまいますね。」
「そこが一番の問題です。次の戦いが控えている状態では使わない方がいいでしょう。」
「それでも、黒雷みたいな相手に追い詰められたとき、何もできないよりはいいですわ。使うかどうかは、そのときに決めればいいんですもの。」
「ワシもそう思う。使わずに済むなら、それが一番じゃ。じゃが、本当に必要になったときのために持っておきたい。」
「そこまで覚悟しているなら作ります。完成まで少し時間をください。」
三吉が薬を作るために部屋を出ようとしたところで、阿国が社から持ち帰った教本を取り出した。
「三吉さん、もう一つ聞きたいんですけど、この教本と同じもの、この里にありませんの?」
「ちょっと待ってください。それ、天照様の教本じゃないですか! 阿国さん、どこで見つけたんですか?」
「根の国から戻る途中、社で見つけましたの。小次郎さんが倒れ込んできたので、ついこれで叩いてしまいまして♪」
「天照様の教本で小次郎さんを叩いたんですか!?」
「だって、いきなり倒れ込んできたんですもの♪ でも、そのあと小次郎さんが急に動けるようになったんですの。」
「そうなんですよ! 僕も見てたんですけど、叩かれた直後、小次郎の白い流れだけが急に勢いよく流れ始めたんです。」
「そんな力がこの教本にあるなんて聞いたことありませんよ。天照様からいただいた教本なら、この里にも何冊か保管されています。大きさが違うものもあったはずです。」
「ぜひ見せてくださいな♪ 同じことができるなら、皆さんが疲れたときに役立つかもしれませんわ。」
「書物を保管している部屋にあります。ただ、かなり古いものも置いてありますから、扱いには気をつけてくださいね。」
「小次郎さんを叩いたりしませんから大丈夫ですわ♪」
「そこじゃないと思うよ。」
阿国は三吉に教えてもらった書物の保管部屋へ向かい、棚に並ぶ書物の中から社で見つけたものと同じ表紙を探していくと、ひと回り大きな教本が何冊か見つかった。
「あった! これですわ♪」
一冊を広げると、天照の教えが紙いっぱいに記されていた。
「これだけ大きければ、もっと叩きやすそうですわね♪」
「やっぱり叩くことしか考えてねえじゃねえか。」
「武蔵さん、いつからそこにいましたの?」
「お前が何するか気になって来てみたら、案の定じゃねえか。」
「ちゃんと皆さんのお役に立つ方法を考えてますのよ♪」
「だったら、まず俺以外で試してくれ。」
「武蔵さんなら丈夫そうですのに♪」
「絶対嫌だ。」
さらに教本を探していると、その後ろから黒ずんだ古書の端が覗いていた。
「これも天照様の教本ですの?」
引き出した途端、乾き切った表紙がぱきりと割れ、茶色く変色した紙が床へ崩れ落ちた。
「きゃっ! ちょっと、これ崩れてしまいますわ!」
残った部分を両手で支えたものの、古書は触れるたびに細かな欠片となっていく。
「おい、みんな来てくれ! 何か書いてあるぞ!」
武蔵の声を聞いて仲間たちが集まると、辛うじて形を残している紙の上部に文字が残っていた。
「八雷……?」
その下には、八つの名前が並んでいた。
「若雷……土雷……鳴雷……柞雷、黒雷……伏雷、火雷、大雷。」
「若雷や黒雷だけではなく、今まで出会った者たちは八雷と呼ばれる八人だったんですね。」
「そういや、土雷と鳴雷もその一人ってことだよな。あいつら……実は強えのか? バカだけど。」
「蕎麦屋では勝手に自滅しておったからのう。まともに戦ったらどうなるかは分からんぞ。」
「それより、伏雷、火雷、大雷ってのは誰だ? まだ会ったことねえよな。」
「この三人が、この先の根の国にいるのかもしれないね。」
「能力について何か書かれていませんか?」
「この先に何か……あっ!」
阿国が続きを確かめようとした瞬間、残っていた紙に亀裂が走り、八つの名前より下に残っていた文字がさらさらと崩れ落ちた。
「名前しか分かりませんでしたわ……。」
「黒雷みたいなのが、あと三人いる可能性もあるってことか。」
黒雷との戦いでは、これまでのように先手を取り、一気に攻め込むだけでは通用せず、村正宗を中心に守りを固め、仲間全員の力を重ねてようやく勝つことができた。
「もし同じくらい強い相手が待ってるなら、このまま進むのは危ないね。」
「三吉殿に薬を頼んでおいて正解だったかもしれんのう。使わずに済めば一番じゃが、黒雷のような相手がまた現れれば必要になるかもしれん。」
「私たちも、できることを増やしておいた方がよさそうですね。」
まだ見ぬ伏雷、火雷、大雷がどれほどの力を持っているのか、それを知る手掛かりは古書とともに崩れ落ちた。
黒雷との勝利の先へ進むため、ワイチたちは今ある力をさらに引き出す方法を探すことになった。
次回予告
阿国ですわ♪
黒雷には勝てましたけど、この先にはまだ伏雷、火雷、大雷が待っているかもしれませんの。
小次郎さんの炎も、三吉さんにお願いしたお薬も、そして私が見つけた天照様の教本も、まだまだ使い方を考える必要がありますわね。
でも、この教本……もっと叩きやすくしたら、皆さんのお役に立てるんじゃありませんこと♪
さあ、次の戦いに備えて、皆さんまとめて強くなっていただきますわ!
次回、第88話「バージョンアップ」。
ぜひ、お楽しみに♪




