黒い雷
土雷と鳴雷が守るそば屋の暖簾をくぐり抜け、一行は根の国の底知れぬ暗がりへと足を踏み入れた。
足元から立ち込める冷気は肌を刺し、息を吸うたびに肺が凍りつくような錯覚に陥る。
道行きを遮るようにそびえ立つのは、巨大な「根の国 第一の門」だった。
「ここが第一の門か。」
門柱の陰から、虚無僧姿の男が音もなく滑り出るように現れた。
男は深く被った笠をわずかに持ち上げると、ねっとりとした笑みを浮かべ、
「待ってたぜ。俺様は八雷の一人、黒雷だ! 早く戦おうぜ。グズグズしてると退屈で死んじまう。……まあ、戦えば分かるさ、俺様の強さがよ!」
「そうか。なら遠慮はいらねえ。ここを越えて先へ進ませてもらう。」
黒雷は手に持った蝋燭へ火を灯した。
ボウッ――。
その炎を浴びた瞬間、黒雷の肉体が凄まじい音を立ててミシミシと膨れ上がり、笠を弾き飛ばし、着物を引き裂きながら人間を遥かに超える巨体へ変わっていく。
牛の頭蓋を持つ巨大なミノタウロスの姿となった黒雷が地響きのような唸り声を上げると、その背後では黒い地面が盛り上がり、大盾を構えた屍盾兵が最初に這い上がり、続いて二体の屍薬師が薬壺を抱えたまま姿を現し、最後に刀を握った屍侍が黒雷の脇へ並んだ。
黒雷は身の丈ほどもある漆黒の棍棒を握り、
「さあ、始めようぜ! 早くお前達の力を見せてくれ!」
ドゴォォォォンッ!!
黒雷が地面を蹴り砕きながら一気に間合いを詰め、そのまま振り下ろした棍棒を村正宗が玄武の盾で真正面から受け止めると、激突した衝撃が両腕を突き抜け、踏み締めた足元の石畳が放射状に砕け散った。
「甘いわっ!」
村正宗が盾を押し返した隙へ武蔵が飛び込み、
「なら、これはどうだ! 天魔流――天魔剛衝斬!!」
二刀が黒雷の胸へ叩き込まれた。
ガギィィィィンッ!!
火花を撒き散らしながら刃を押し込んでも、胸へ残ったのは一本の浅い傷だけだった。
「ハハハハハッ!! その程度か!!」
黒雷は跳ね返った棍棒を止めることなく下から振り上げ、
ドガァァァンッ!!
玄武の盾ごと村正宗を浮き上がらせた瞬間、
「小次郎! 今だ!」
「瞬燕流――飛燕!」
小次郎が黒雷の脇腹を一閃で斬り抜け、そのまま身体を返して、
「瞬燕流――飛燕返し!」
背中へもう一筋の斬撃を刻んだ。
だが、黒雷は傷へ目も向けない。
「ハハハハハッ!! 速ぇ! だが軽すぎる!!」
阿国が横笛を吹き、澄んだ音色が戦場へ広がり、武蔵と小次郎の身体へ力が満ちていった。
晴明が印を結び、
「火術・豪火炎陣!」
炎の中へさらに印を組み替え、
「雷術・轟雷閃!」
宙に描かれた五行の文様が激しい閃光を放ち、灼熱の炎と凄まじい雷撃が同時にミノタウロスの巨体を包み込んだ。
術の奔流が黒雷の皮膚を焦がし、初めて怪物が苦悶の声を漏らしてわずかに怯んだ。
ワイチは黒雷から目を離さず、気・血・潤水・瘴気の流れを追い続けた。
棍棒を振るたび右腕へ瘴気が集まり、気と血もそこへ重なるように流れ込み、武蔵と小次郎の斬撃を受けてもその流れは変わらない。
だが、晴明の術を受けた直後だけ瘴気の巡りが乱れ、流れを立て直すように全身を巡り始めていた。
ワイチはその変化を見逃さず、黒雷の身体を追い続けた。
「術は効いているなら、もう一発!」
「火術・豪火炎陣!」
黒雷を狙って噴き上がった炎の前へ屍盾兵が大盾を滑り込ませ、そのまま盾へ激突した炎が四方へ弾け飛ぶ中、後ろでは二体の屍薬師が薬壺を掲げて詠唱を重ね、溢れた緑色の光が黒雷へ流れ込み、武蔵と小次郎が刻んだ傷を包みながら塞いでいく。
「まとめてぶち抜く!」
「天魔流――天魔剛衝斬!!」
ガギィィィィンッ!!
武蔵が叩き込んだ二刀は大盾を激しく削り、火花を散らしながら押し込み続けるが、屍盾兵が盾を斜めへ返したことで刃は盾の面を滑り、その勢いごと武蔵の身体が外側へ流されたところへ、盾の陰から飛び出した屍侍の刀が肩口へ振り下ろされた。
武蔵は流された勢いのまま上体をひねってかわし、そのまま脇差を斬り上げた。
ギィィィィンッ!!
振り下ろされた刀と脇差が激しく噛み合い、火花を散らしながら押し合ったところへ屍盾兵の大盾が横からねじ込まれ、武蔵の腕ごと押し返して鍔迫り合いを崩すと、屍侍は開いた間合いを滑り抜けて再び盾の陰へ戻り、屍盾兵が正面を塞いだ。
二体の屍薬師は詠唱を止めない。
薬壺から溢れた緑色の光が黒雷へ流れ込み、胸と背中の傷がみるみる閉じていく。
晴明が印を結び、
「雷術――轟雷閃!」
頭上へ巻き上がった黒雲が白く弾け、轟音とともに落ちた雷が屍薬師へ迫ると、屍盾兵は大盾を薬師の前へ滑り込ませた。
バリバリバリィィィッ!!
雷が盾へ激突し、青白い稲妻が盾一面を駆け巡って縁から地面へ流れ落ち、黒い土を爆ぜさせながら四方へ走っても、屍盾兵は両足を踏み締めたまま受け止め切った。
その隙に晴明は印を組み替え、
「光術――光芒!」
白い光が一直線に走り、雷撃で押し戻された大盾の脇を駆け抜け、そのまま屍薬師の胸を貫いて背中から突き抜け、抱えていた薬壺まで砕き割った。
砕け散った破片と緑色の液体が宙へ舞い、屍薬師は後方へ吹き飛ばされて黒い地面へ叩きつけられた。
黒雷は腰の袋から黒い雫の小瓶を一本取り出した。
「ハハハハハッ!! それで終わると思ったか!!」
パリンッ――。
小瓶が砕けた瞬間、
「ギャァァァァァァッ!!」
地の底から絶叫が噴き上がり、黒い大地を突き破って半透明の亡霊たちが次々と這い上がり、
「早く成仏させてくれぇぇぇ!!」
「お願いだぁぁぁ!!」
「もう離してくれぇぇぇ!!」
亡霊たちが天へ向かって手を伸ばした瞬間、地面から伸びた無数の黒い腕が身体へ絡みつき、悲鳴ごと地の底へ引きずり込むと、黒い靄へ変わった亡霊たちは倒れていた屍薬師へ吸い込まれ、屍薬師は薬壺を拾い上げながら立ち上がり、そのまま黒雷の後ろへ戻って再び詠唱を始めた。
「ハハハハハッ!! 何度でも戻してやる!!」
ワイチは屍薬師から黒雷へ視線を移し、回復術を受けた黒雷の気・血・潤水が立て直されていく様子を追い続けた。
そこへ屍盾兵が立てば黒雷まで続く道筋は大盾で塞がれ、左右へ回ろうとすれば屍侍が刀を差し込み、黒雷へ杭を打ち込める位置が一瞬で消えていく。
「盾兵と侍が前を塞いでいます! このままでは黒雷へ杭を打ち込めません!」
「ほらほら、こいつも受け取れ!!」
ブォンッ!!
封じの仮面が晴明へ飛び、晴明は避け切れず顔へ張りつかれ、結びかけた印が途切れた瞬間、屍侍が間合いへ飛び込んで刀を振り下ろす。
ギィィィィンッ!!
武蔵が二刀で受け止めた。
そのまま押し返そうと踏み込んだところへ屍盾兵の大盾が横から割り込み、体勢を崩された隙へ、
ドゴォォォォンッ!!
黒雷の棍棒が村正宗へ叩き落とされた。
玄武の盾が真正面から受け止め、衝撃で両足が地面へ沈んだ脇を屍侍が駆け抜け、脇腹を斬り裂いた。
「回復魔法!」
ナリアの光が裂けた傷へ流れ込み、流れ落ちる血が止まった。
黒雷は跳ね返った棍棒を止めず、そのまま横薙ぎに振り抜いた。
ゴォォォォンッ!!
玄武の盾が二撃目を受け止めた瞬間、屍侍の返す刀が肩口を斬り裂き、今閉じたばかりの傷口から再び鮮血が飛び散った。
「回復魔法!」
ナリアの光が再び傷口を包むが、その光が傷を塞ぎ切るより早く、
ドゴォォォォォンッ!!
黒雷が全体重を乗せた棍棒を玄武の盾へ叩き落とし、受け止めた衝撃が盾越しに村正宗の全身を貫き、村正宗の膝だけが地面へ沈んだ。
「ハハハハハッ!! 盾は壊れねぇな!! 頑張れよ!!」
「まだ受けられますか!」
「盾は持つ……だが、俺の身体が限界だ。」
ワイチは黒雷から屍盾兵、屍薬師、屍侍へ視線を走らせた。
黒雷を狙えば屍盾兵が立ちはだかり、左右へ回れば屍侍が斬り込み、薬師を狙っても大盾が割り込んで道を塞いだ。
「この三体が連携している限り、黒雷へ攻撃を通せません!」
「ハハハハハッ!! そろそろ終わらせちゃおうかな!!」
ドゴォォォォォンッ!!
黒雷が再び棍棒を振り下ろし、玄武の盾へ叩きつけた衝撃で村正宗の身体がさらに沈み込み、盾を支える両腕が震え始める。
「絶界!!」
空海が広げた光の壁へ黒雷の棍棒が叩きつけられ、
ゴォォォォォンッ!!
結界全体へ亀裂が走り、
「村正宗は限界じゃ! 絶界が持つうちに退くぞ!」
ドゴォォォォンッ!!
もう一撃が絶界を揺らし、光の壁は激しく明滅した。
「退路は開いた! 一気に退くぞ!」
武蔵が村正宗を支え、小次郎が追ってくる屍侍を斬り払い、晴明、阿国、ナリア、しん吉、きゅうすけ、ワイチも絶界の内側を駆け抜け、一行は第一の門から撤退した。
「ハハハハハッ!! なんだ、逃げちまうのか!! また来いよ!! 次はもっと楽しませろ!!」
次回予告
村正宗だ。
黒雷の強さは、本物だった。
玄武の盾は耐えたが、このままじゃ勝ち目はねえ。
王都へ戻り、封じの仮面を破る薬も、黒雷を倒す策も全部揃えてやる。
次回、第83話「根の国の恐ろしさ」。
絶対に見逃すんじゃねえぞ!




