鎮まらぬ怒り
黄泉の第二の門は、黒く切り立った岩壁の中央に口を開けていた。
門柱には無数の亀裂が刻まれ、その隙間から漏れ出た瘴気が地を這い、武蔵たちの足元をゆっくりと流れていく。
その門の前に、一人の虚無僧が立っていた。
深くかぶった編み笠が顔を隠し、風が吹くたび僧衣の裾だけが静かに揺れる。
一行が門前まで歩み寄ると、虚無僧がゆっくりと口を開いた。
「ま、待っていま、ました。」
少しだけ言葉を詰まらせ、小さく息を吐く。
「阿、阿吽は……う、討たれたそうですね。」
「さ、最後まで、わ、私の命令を聞かない……こ、困った者でした。」
その一言が、武蔵の胸に積もっていた怒りへ火をつけた。
阿吽が傷だらけになりながらも風来を守り抜いた姿が脳裏によみがえる。
命を懸けて戦い、最後まで立ち続けた仲間だった。
「……困った者、だと。」
右手が柄を握る。
怒りに震える指へ力がこもり、鍔が小さく鳴った。
鋼が鞘を擦る音を響かせながら刀が抜き放たれ、その切っ先が真っすぐ虚無僧を捉える。
「仲間を道具のように扱う貴様だけは、俺が斬る。」
武蔵の怒気に呼応するように、小次郎も刀を抜いた。
晴明は札を指先へ挟み、空海は錫杖を構え、ナリアは杖を握り締めた。
ワイチも霊杭を構え、全員の視線が虚無僧へ集まった。
虚無僧は懐から一本の白いろうそくを取り出した。
細い指でろうそくを支え、親指で芯をゆっくりと擦る。
ボッ。
小さな火が灯り、揺れる炎へ静かに息を吹きかけると、橙色の火が白く染まり、その白炎がろうそくを伝って指先へ流れ移った。
炎は腕を這い、肩へ駆け上がり、編み笠を包み込んだ。
藁が乾いた音を立てながら燃え崩れ、灰となって風へ舞い、続いて僧衣へ火が走り、袖口から胸元、背中、裾へと白い炎が駆け巡り、布が次々と焼け落ちていった。
メリメリメリッ――。
骨が軋むような音が門前へ響き、肩が大きくせり上がり、背骨が押し伸ばされ、胴が膨れ、胸板が分厚く盛り上がり、裂け目から僧衣が耐えきれず弾け飛び、燃え残った布切れが周囲へ舞い散った。
武蔵の背丈を追い越し、小次郎の頭上を越え、二倍近い巨体となって門前にそびえ立ち、盛り上がった胴体の左右が大きく裂けた。
裂け目の奥から一本の腕が押し出され、続いてもう一本、さらにもう一本。
肉が脈打つたびに新たな腕が次々と現れ、それぞれの手へ刀が握られている。
最後の白い炎が消え去ると、そこには幾本もの腕を持つ巨大なからくり人形が立っていた。
「わ、私は……さ、柞雷。」
幾本もの刀がゆっくりと持ち上がり、
「だ、第二の門を……あ、預かる者です。」
その声が響いた直後、門前を覆っていた瘴気が渦を巻き始めた。
地面が大きく盛り上がり、次の瞬間、土が弾け飛び、錆びついた鎧をまとった屍武者が地中から次々と這い上がってきた。
刀を握ったまま首を鳴らし、武蔵たちを取り囲むようにゆっくりと歩き始めた。
さらに少し離れた場所でも土が静かに崩れ、ひび割れた薬箱を抱えた一体の屍薬師が、土の中からゆっくりと姿を現した。
濁った眼が戦場を見渡し、薬箱を胸へ抱き寄せると、柞雷の後方へ静かに歩いていった。
第二の門の前は、わずかな時間で戦場へと姿を変えていた。
武蔵が二刀を構え、小次郎と同時に柞雷へ踏み込んだ。
「小次郎、一気に斬り込むぞ!」
「承知しました。正面から崩します!」
「飛燕!」
小次郎が一瞬で間合いを詰め、柞雷の胸元へ刀を走らせると、その横から武蔵が太刀と脇差を重ねるように振り下ろした。
「天魔剛衝斬!」
四本の刀が一斉に持ち上がり、小次郎の斬撃と武蔵の二刀を受け止めた。
ギィィィンッ!!
激しい火花が飛び散る中、小次郎は受け止められた刀を引き、すぐさま返しの一撃へ移った。
「飛燕返し!」
初撃を受け止めた腕の外側から刀を回り込ませた瞬間、柞雷の別の腕が小次郎の脇腹へ振り抜かれる。
「小次郎さん、右から来ます!」
ワイチの声に反応した小次郎は身体をひねって横薙ぎをかわしたものの、同じ腕が、脇腹に迫る。
「な、なんだと!」
なんと体を大きく捻り紙一重で交わした。直後に再び同じ手の刀が脇腹へ目掛けて飛んできた。
カキーン
今度は、刀で受け止めてから、後ろに飛び退いた。
「おかしい、確かにかわしたはずなんだが。」
武蔵も天魔剛衝斬を押し返された直後に胴を狙った横薙ぎを脇差で受け止めた。
だが、横薙ぎの刀は再び襲い掛かり、脇差に重い衝撃がくる。
「何!」
気がつけば同じ横薙ぎが飛んできて、武蔵は弾け飛ばされた。
「何だ、この攻撃は!?」
柞雷の首がぎこちなく傾き、
「わ、私のうご、動きは、ど、独特ですよ。」
村正宗が大盾を突き出し、武蔵と小次郎の前へ出た。
「とにかく、この盾で止めてやる!」
柞雷の四本の刀が上下左右から襲い掛かり、残る二本の腕に付いた回転ノコギリが唸りを上げて盾へ食い込み、激しい火花を散らしながら村正宗の身体を後方へ押し始めた。
「くっ……多くの衝撃がきて、もたねぇぞ!」
「正宗さんから離れろ!」
武蔵が柞雷の左側へ回り込み、小次郎も飛燕で右側へ抜けた。
「天魔剛衝斬!」
武蔵の二刀が柞雷の脇腹へ叩き込まれ、分厚い胴体の表面を砕いた。
「飛燕返し!」
小次郎の二連撃が背中を斬り裂き、傷口から黒い液体が飛び散った。
錆びた鎧をまとった屍武者たちが刀を振り上げ、柞雷から武蔵と小次郎を引き離していった。
その後方では、屍薬師が薬箱から黒く濁った薬液を取り出し、武蔵と小次郎がつけた傷へ振り掛けた。
砕けた胴体と切り裂かれた背中から黒い泡が膨らみ、流れ出していた液体を吸い込みながら傷口が塞がっていった。
「せっかく斬った傷が治っていきます!」
ナリアの声が戦場へ届く中、武蔵は屍武者の刀を太刀で押し返し、脇差で鎧の隙間を斬り裂いた。
「なら、あの薬師を先に斬るぞ!」
武蔵が屍薬師へ向かおうとした瞬間、柞雷が横へ滑るように移動し、回転ノコギリを武蔵の進路へ振り抜いた。
武蔵が二刀で受け止める間に屍武者が屍薬師の前へ並び、その背後へ下がった屍薬師は再び薬箱へ手を入れた。
小次郎が屍武者の脇を飛燕で抜けようとすると、柞雷は一本の刀を小次郎へ突き出し、二本目で武蔵を牽制しながら、いつの間にか屍薬師の前へ回り込んでいた。
ワイチは柞雷のその動きと周囲の魔物の配置を見続けた。
「一回の動きで、攻撃しながら避けて、屍武者や屍薬師まで守っているぞ、これは?」
「何をしても先回りしてきやがる!」
武蔵が屍武者を斬り倒して前へ出ると、柞雷は一本目の刀で武蔵を迎え撃ち、二本目の刀で小次郎の接近を止めると同時に屍武者を屍薬師の前へ移した。
武蔵と小次郎が同時に攻めても、柞雷は二人の攻撃をそれぞれ受けながら後方の守りまで崩さない。
「前を屍武者に固められるのでしたら、上から術で崩します。」
柞雷の回転ノコギリが左右へ開き、その内側から黒い仮面が飛び出した。
晴明は印を結び、
「光芒!」
光が放たれるより早く黒い仮面が晴明の顔へ張り付き、表面に刻まれた黒い紋様が首筋から両腕へ広がった。
晴明が印を結び直しても霊力は指先へ集まらなかった。
「くっ術が…放てない!」
「これは…術封じ!今すぐ解除します!」
ナリアが晴明へ杖を向けて浄化を発動しようとすると、柞雷は武蔵へ刀を振り下ろし、小次郎の斬撃を別の腕で受け止めながら、三度目の動きで二枚目の仮面をナリアへ放った。
「ナリアさん、避けて!」
ワイチの警告を聞いたナリアが避けようとしたところへ屍武者が横から斬り込み、足を止めた一瞬に黒い仮面が顔へ張り付いた。
黒い紋様が杖を握る腕まで広がり、集まりかけた浄化の光が消えていく。
「魔力が…集まらない。」
晴明とナリアが術を失った直後、屍武者たちが一斉に前線へ押し寄せた。
武蔵は左右から振り下ろされる刀を二刀で受け止め、小次郎も飛燕で屍武者の間を抜けようとするものの、柞雷が進路へ刀を差し込み、回転ノコギリを横へ薙ぎ払って押し戻した。
村正宗は武蔵たちの前で盾を構え続けていたが、四本の刀を受け止めたところへ二本の回転ノコギリを重ねられ、足元の黒い地面を削りながら後退していく。
「このままじゃ、盾ごと押し切られるぞ!」
村正宗が押し込まれた隙間から屍武者が刀を突き込み、空海の結界へ刃を叩き付けた。結界の表面へ波紋が広がり、続けて別の屍武者たちも刃を振り下ろした。
空海は錫杖から力を送り込み、崩れかけた結界を支えた。
「皆、結界から離れるな!」
武蔵と小次郎が結界の近くまで押し戻される間にも、屍薬師は柞雷の傷へ薬液を振り掛け続け、二人が与えた傷は次々と塞がっていく。
晴明は術を放てず、ナリアも回復と浄化を使えないまま、屍武者の数だけが前線へ集まっていた。
柞雷は武蔵を刀で攻め、小次郎の飛燕を回転ノコギリで阻み、村正宗の盾へ残る腕を叩き込みながら、屍武者を屍薬師の護衛へ回した。
武蔵たちが一度攻撃する間に柞雷は行動を終え、傷を与えても屍薬師が回復し、屍薬師へ向かえば屍武者と柞雷が進路を塞ぎ、術で崩そうとしても晴明とナリアは仮面に力を封じられていた。
ワイチは結界の内側まで押し戻された武蔵たちと、傷を治しながら前へ迫る柞雷を見比べた。
「完全に戦い方を崩されている。このままでは前から押し切られる。」
柞雷の六本の腕が一斉に振り上げられ、四本の刀と二本の回転ノコギリが村正宗の盾へ叩き込まれた。
ドォォォンッ!!
村正宗の両足が地面から離れ、巨大な盾ごと結界へ叩き付けられた。
結界全体が大きく揺れ、その隙を狙った屍武者たちが刃を突き立てると、光の壁へ細い亀裂が走った。
空海は錫杖を地面へ突き立て、結界へ流す力を強めたものの、晴明とナリアを覆う黒い紋様はさらに濃くなり、前線では武蔵、小次郎、村正宗が柞雷と屍武者に押し込まれ続けていた。
結界へ力を注ぎ続ければ、晴明とナリアの術封じを解除できない。術封じを解くために力を移せば、結界は維持できなくなる。
「このまま守っていても押し切られます。ワシが結界を解き、ナリア殿の術封じを解除します!」
錫杖の先から広がっていた光が薄れ、屍武者の刃を受け止めていた結界が消え始めた。
武蔵たちを包んでいた結界が消えた瞬間、屍武者たちが一斉に踏み込んだ。
「浄化」
ナリアの顔へ張り付いていた黒い仮面が剥がれた。
「ナリア殿、今です!」
空海は錫杖を振り上げた。
「ディスペル!」
白い光がナリアを包み込み、晴明の顔へ張り付いていた黒い仮面が砕け散る。
「ありがとうございます!これで術が放てます。」
柞雷は、一本の刀を武蔵へ振り下ろし、もう一本で小次郎の飛燕を受け止め、屍武者を屍薬師の前へ回して護衛させると、その後方では屍薬師が薬箱から黒い薬液を取り出して柞雷の傷へ振り掛け、武蔵と小次郎が苦労して与えた傷は瞬く間に塞がっていく。
晴明が式紙を放ち、
「鬼よ、奴を叩け!」
巨大な鬼の式神が姿を現し、棍棒を振り下ろして屍武者たちをまとめて吹き飛ばした。
「今がチャンス!」
武蔵と小次郎が同時に駆け出す。
「天魔剛衝斬!」
「飛燕返し!」
武蔵の一撃が屍薬師を正面から吹き飛ばし、小次郎の二連撃が胴と首を切り裂いた。
屍薬師は薬箱を落とし、黒い煙となって崩れ落ちた。
「やりました!」
ナリアが声を上げた。
しかし、柞雷は小さな黒い小瓶を取り出した。
「く、黒の雫……で、です。」
栓が抜かれた瞬間、
「ギャァァァァァァッ!!」
地の底から無数の絶叫が噴き上がり、黒い地面から半透明の亡霊たちが次々と這い上がり、
「早く成仏させてくれぇぇぇ!!」
「お願いだぁぁ!!」
「もう離してくれぇぇぇ!!」
亡霊たちが天へ向かって必死に手を伸ばした、その瞬間、地面から無数の黒い腕が這い出し、亡霊たちの足や腕、身体へ一斉に絡みついた。
「いやだぁぁぁ!!」
「助けてくれぇぇぇ!!」
必死にもがく亡霊たちは黒い腕に地の底へ引きずり込まれ、黒い靄となって屍薬師へ吸い込まれていく。
黒い靄が消えると、崩れ落ちたはずの屍薬師が再びゆっくりと立ち上がった。
「これは、若雷が使った蘇生するやつか!」
武蔵が目を見開く。
「あれは厄介だな……。」
後方ではきゅうすけが拳を握り締め
「武蔵さん! 小次郎さん! 負けないでください!」
しん吉も必死に声を張り上げた。
「おいらたちは信じてるよ! 絶対に勝てる!」
「こいつの特殊能力と連携で、一連の流れを崩すには、戦略を立てないと攻略ができない!」
小次郎も柞雷の刀を受け流しながらうなずいた。
「私も同じ判断です。このままでは消耗するだけです。」
晴明も鬼の式神を前へ出し続けながら、
「次へ繋げるためにも、一度退くべきでしょう。」
「結界もいつまでも、もちません。ここで全滅しては元も子もありません。」
「ちっ……気に食わねぇが仕方ねぇ!」
「今は無理せず、撤退します!」
晴明の鬼が最後尾で屍武者を食い止め、その間に武蔵と小次郎が互いを援護しながら後退していった。
村正宗は巨大な盾を構えたまま最後尾へ回り、柞雷と屍武者の追撃を受け止め続けた。
空海が再び結界を張り直し、一行は結界の内側へ入りながら黄泉坂を駆け下りていく。
柞雷は第二の門から一歩も動かず、六本の腕をゆっくりと下ろした。
「つ、次は……か、必ずこ、殺しますよ。」
「た、楽しみに……し、しています。」
第二の門の前には柞雷、屍武者、屍薬師が静かに並び、一行の姿が黄泉坂の闇へ消えるまで、その場を動くことはなかった。
次回予告
よう、村正宗だ!
今回は、あの妙ちくりんな人形相手に、とんでもねぇ目にあっちまった。
同じ攻撃が何度も飛んできやがるし、まるで手の内が読めねぇ相手だったぜ。
でもな、一度負けたくらいで終わる俺たちじゃねぇ。
風雷の仇も、まだ討っちゃいねぇからな。
次回、第77話「 からくり人形対策会議」。
今度こそ、あのからくり人形をぶっ壊してやるぜ!
ぜひ、お楽しみに♪




