黄泉への道
赤きキツネの里と緑の狸の里――その険峰が重なる谷の奥深く。
切り立った漆黒の岩壁の前に、忘れ去られたかのような小さな祠がひっそりと佇んでいた。
「ここが、黄泉への入口です。」
空海の静かな声に、一行は息を呑み、その祠を見据えた。
「――これほど小さな祠で、本当に黄泉へ繋がっているのかい?」
「人目を欺き、その強大な気配を隠すためでしょう」
「なら、始めよう」
ワイチが懐から鏡を取り出し、枠を外した、その瞬間だった。
――ビュンッ!
鏡、勾玉、剣、三種の神器が意志を持つかのように、一斉に眩い白い光を放った。
「勝手に……っ!」
三つの光は祭壇の上空で激しく激突し、やがて一つへと融け合っていく。
「神器が……共鳴している……!」
白い輝きは心臓の鼓動のように脈打ち、凄まじい熱量を伴いながらその姿を変形させていく。
やがて光は凝縮されて細く伸び、威厳を放つ**一振りの「鍵」**となって祭壇へと舞い降りた。
「これが……黄泉の鍵……」
鍵は再びふわりと浮き上がり、岩壁に隠された祭壇の中央へと吸い寄せられる。
――カチリ。
澄んだ小さな音が、静まり返った谷に響き渡った。
ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
直後、岩壁全体が地鳴りのような轟音とともに激しく震え始めた。
亀裂のような一本の光が岩壁を走り抜け、地底の底からせり上がるように巨大な「石の扉」がその姿を現す。
重々しい摩擦音を響かせながら扉がゆっくりと開き――その隙間から、すべてを飲み込むような漆黒の霧が噴き出した。
「ようこそ、お越しくださいました」
底知れぬ深淵から響くような、聞き覚えのある声。
渦巻く黒い霧の向こうから、一人の狸が静かに姿を現した。
「三吉……っ!」
「お待ちしておりました」
「どうして、お前がこんなところにいるんだ?」
「黄泉へ足を踏み入れる方々をご案内すること――それが私の、真の役目ですので」
「俺たちがここにたどり着くことも、知っていたのか?」
「はい、天照大神様より、すべからくお伺いしておりました」
「だから、ここで待っていてくれたんだね」
「もちろんです。皆様がこの場所にたどり着く日を、ずっとお待ちしておりました」
「……ここから先も、一緒に来てくれるんだな?」
「無論でございます。黄泉の社に至るまで、この私が責任を持ってご案内いたしましょう」
「……助かる!」
三吉は深く一礼すると、黄泉へと続く暗黒の道へと言の葉を向けた。
「それでは――参りましょう」
異界の風が吹き抜ける中、ワイチたちは三吉の背を追い、黄泉の深淵へと足を踏み入れた。
黄泉へ続く一本道の両脇には、等間隔に石灯籠が並んでいた。
灯籠には青白い灯火が静かに揺らめき、参道だけを淡く照らしている。その光は遠くまで途切れることなく続き、闇に包まれた世界の中へ一本の道を描いていた。
黒い空には太陽も月もない。
それでも参道だけは灯籠の明かりによって照らされており、歩みを止めるほどの暗さではなかった。
「三吉、この道は思ったより明るいんだな」
「黄泉へ導く参道でございます。迷われぬよう、古くから灯火が絶えることなく守られております」
「この灯火は消えることはないのか?」
「黄泉へ導く光として、この道を照らし続けております」
「三吉、景色がほとんど変わらないけど、本当に進んでいるのか?」
「進んでおります。黄泉は、生者の世界のように距離で場所を測る世界ではございません」
「距離じゃないなら、どうやって黄泉の社へ着くんだ?」
「この参道は、黄泉の社へ招かれた者だけが進める道でございます。招かれていない者は、どれほど歩き続けても同じ景色を巡るだけでございます」
「だから案内役が必要なんだね」
「はい、案内役は道をご案内するだけではございません。黄泉の社へ生者が参られたことを伝え、そこへ続く道を開く役目も担っております」
「入口で待っていたのも、そのためか」
「私がお迎えしなければ、この参道は黄泉の社へ続きません」
「生きたまま黄泉へ来た者は、本当に俺たちが初めてなのか?」
「私が案内役となってからは初めてでございます。先代からも、そのようなお話は聞いたことがございません」
「三吉は、いつから案内役なんだ?」
「何年という数え方はいたしませんが、人の世では数百年になるかと存じます」
「数百年も一人で、この参道を守ってきたのか」
「黄泉には、それぞれ役目を持つ者がおります。この参道を預かり、生者を導く者は私一人でございます」
「黄泉の社には、誰でも入れるのか?」
「許しなく立ち入ることはできません」
「俺たちは大丈夫なのか?」
「皆様は三種の神器によって黄泉の扉を開かれました。私が社までご案内いたしますので、このままお進みください」
しばらく進むと、前方を覆っていた黒い霧が薄れ、その奥から巨大な鳥居が現れた。鳥居の先には石畳の参道が真っ直ぐに伸び、左右には数え切れないほどの石灯籠が並んでいる。
「あそこから先が、黄泉の社なのか?」
「はい、黄泉の社へ続く最後の参道でございます」
鳥居をくぐると、参道の両脇に並ぶ石灯籠の青白い灯火は、先ほどまでよりも一層強く輝きを増した。
淡い光は社へ近づくほど静かな神々しさを帯び、石畳をやさしく照らしている。
「灯火が明るくなったな」
「黄泉の社へ近づいた証でございます。この灯火は、社へ導く道を照らしております」
青白い灯火が続く先に、幾重もの鳥居に囲まれた巨大な社が現れた。漆黒の屋根が闇の中へ広がり、正面には固く閉ざされた大扉がそびえている。
「あれが黄泉の社か」
「はい、こちらが、私のご案内する黄泉の社でございます」
社内は外光を断たれ、鉛色の薄闇に沈んでいた。
「――やはり違う。黄泉の気が、すでにここまで侵食している」
「以前は、この社まで届くことはなかったのか」
「ここは黄泉へ向かう者が粛々と通る道だった。今のような、ただの邪気の巣窟などではない」
社を抜けた先、冷徹な一筋の川が流れていた。
対岸までは近い、叫ばずとも、肉声が容易に届く距離だ。
「この川の先が、黄泉なのか」
「この川が境界だ。渡った瞬間から、黄泉の深淵へと続く」
対岸には、黄泉へ呑み込まれるような緩やかな下り坂が伸びていた。
その道の両脇にも石灯籠が並び、青白い灯火が静かに続いている。
その先にそびえる第一の門――周囲は、おびただしい数の魔物に埋め尽くされていた。
「なんという数だ……」
空を狂い飛ぶ群れ、地を這う蠢き、そして門の前には、他の魔物とは比較にならない圧倒的な巨体が立ちはだかっていた。
距離があり、形状こそ定かではない。
それでも、第一の門を塞ぐように佇むその威圧感だけは、遠く離れたこの場所まで容赦なく伝わってくる。
「あの魔物を知っているか」
「……あんなのは、知らない。門の周辺に、これほどの群れが集うことなどあり得なかった。私が知る黄泉では、第一の門まで続く道が魔物で埋め尽くされることも、空を覆うほど魔物が飛び交うこともなかった。あのような巨大な魔物も見たことがない」
三吉が知る黄泉の面影は、もはやどこにも残されていなかった。
第一の門へ続く道は、無数の魔物と圧倒的な巨影によって完全に塞がれていた。
次回予告 武蔵だ。
黄泉へ足を踏み入れた俺たちを待っていたのは、三吉ですら見たことのない異様な光景だった。
行く手を阻む無数の魔物。
その先に待ち受ける最初の関門。
ここを越えなければ、黄泉の奥へは進めねぇ。
次回、第72話 「最初の門」。
最後まで、見届けてくれ!




