満月の約束
満月まであと三日。
赤いキツネの里の集会所には、二つの里の長老とワイチたちが集まっていた。
「彦様と織様が現れる場所は、毎年違うのです。北の森を通る年もあれば、谷底へ下りる年、小川沿いや高台に姿を現す年もあります。二頭がどこから来ても見失わぬよう、谷の周囲へ見張りを置かねばなりません。」
「彦様と織様を見つけたあとは、どうやって皆に知らせるんだ?」
「赤いキツネの里は狐火、緑の狸の里は腹鼓を使います。一頭目を発見したら一度、二頭目も発見したらもう一度合図を送ります。合図が届いても、彦様と織様が谷から去るまでは誰も近付いてはならんぞ。」
「なら、見つける者と合図を送る者、角を回収する者を分けた方がいいね。」
「見張りは谷を囲むように配置し、赤いキツネの里は北側と東側、緑の狸の里は南側と西側を受け持つのはどうでしょう?
彦様と織様が中央へ向かったら、狐火と腹鼓を一度ずつ送り、二頭が森へ戻ったら、続けて二度送る。
それを回収の合図にすれば、離れた場所にいても分かるのではないですか?」
「回収した角は、そのまま赤いキツネの里へ運んで、角を骨へ加工しましょう! 加工できるのは、こちらの里だけじゃからな。」
「運ぶ途中で傷付けるわけにもいかないので、一本ずつ布で包み、二人一組で運ぶのはいかがでしょうか。」
「彦様と織様がどの道を通るか分からないなら、本番の前に一度、谷全体を使って確認しておいた方がいいんじゃないか?」
「だったら、俺が彦様をやるよ。」
「おいらが織様!」
「二人が好きな道を歩けば、どこから現れても見つけられるか確かめられます。出会ったあとは、角に見立てた枝を残して森へ戻り、回収役が里まで運ぶところまでやればいいですね。」
その日の午後、しん吉ときゅうすけを彦様と織様に見立てた確認が始まった。
二人には道順を知らせず、それぞれ別の場所から谷へ入ってもらうことになり、見張り役は北の森、谷底、小川沿い、高台まで谷全体を見渡せる位置へ分かれ、赤いキツネの里と緑の狸の里の者たちが互いの担当場所を補うように配置された。
しん吉は北の森から谷底へ下り、小川沿いを通って中央へ向かい、きゅうすけは南側の高台から西の森へ入り、木々の間を抜けて反対側から谷へ現れた。
北側から狐火が上がり、少し遅れて南側から腹鼓が響いた。二つの合図は谷の端まで届き、見張り役から回収役へ彦様と織様の位置が伝わった。
しん吉ときゅうすけが谷の中央へ着くと、狐火と腹鼓が一度ずつ送られ、回収役は中央へ向かわず、その場で次の合図を待った。
二人が角に見立てた枝を残して別々の森へ入ると、狐火が続けて二つ上がり、腹鼓も二度響いた。それを受けた回収役が谷へ入り、四本の枝を布で包んで赤いキツネの里まで運んだ。
「谷のどこから現れても、合図は届いたな。」
「彦様と織様が出会ってから森へ戻るまで、誰も中央へ入らなかったので、回収の流れもこれでいいと思います。」
「本番では二頭が同じ道を通るとは限らんからな。片方が中央へ向かっても、もう片方が谷へ下りてこないこともある。そのときは急がせず、見張りを続けるんじゃ。」
「角を手に入れることばかり考えて、彦様と織様を追い立てたら全部台無しになる。俺たちは見つけて、知らせて、待つ。それだけだね。」
「満月の夜までは、谷へ入る者も減らそう。人の匂いや足跡が増えれば、二頭が警戒するかもしれん。」
「明日から谷へ入るのは見張り役だけにしましょう! 回収役は里で待機し、合図が届いてから決められた場所へ向かいます。」
二つの里は翌日から谷へ続く道を閉じ、彦様と織様を迎える準備を整えた。角を包む布と運ぶための台を赤いキツネの里へ集め、見張り役は担当する場所と合図の順番を確認した。
満月を迎える日、夕暮れとともに谷へ続く道から人の声が消えた。
月が山の上へ昇るにつれ、谷底まで白い光が届き、北の森も南の高台も、小川の流れも、昼間とは異なる銀色に染まっていった。
見張り役は決められた場所で谷を囲み、回収役は森の外で合図を待っていた。
満月が谷の真上へ達した頃、北の森から一頭の大鹿が現れた。
体を覆う毛は淡い金色を帯び、頭には枝分かれした二本の大角が伸びていた。月明かりを受けた角は、内側から光を放つように輝いていた。
北側から一つの狐火が上がった。
「彦様が現れたぞ!」
彦様は谷底へ下り、小川の近くまで進んだあと、その場にとどまっていた。
しばらくして、南の高台に鮮やかな白い姿をした織様が現れた。
織様は雪のような毛に包まれ、彦様よりも細く長い二本の角を持っていた。白銀の角には満月の光が集まり、歩みを進めるたびに谷の中へ淡い光が広がった。
南側から腹鼓が一度響いた。
「織様も現れたぞ!」
彦様は小川の北側から、織様は南側から谷の中央へ向かい合った。二頭の間にあった距離が少しずつ縮まり、狐火と腹鼓が一度ずつ送られた。
二頭が出会った場所は、満月の光が最も強く差し込む谷の中央だった。
彦様の黄金色の角と、織様の白銀の角が向かい合い、二つの角から放たれた光が重なり、谷の中央に大きな光の輪が生まれた。
光の輪は地面からゆっくり昇り、彦様と織様を包みながら満月へ向かって伸びていった。小川の水面にも黄金色と白銀の光が映り、谷全体が二つの色に満たされた。
「これが満月の約束……。」
彦様と織様の角が触れ合うと、鐘の音にも似た澄んだ響きが谷の奥まで広がった。
黄金色と白銀の光が一つになり、満月へ届いた光の柱が谷へ降り注ぐと、二頭を包んでいた光は角の付け根へ集まり、古い角と新しい角の境目に細い光の線を作った。
最初に彦様の右の角が外れて草の上へ落ち、続いて左の角も外れ、その下から短い黄金色の角が現れた。
織様の白銀の角にも同じ光の線が走り、右の角、左の角の順に地面へ落ちた。新しく生まれた二本の角は月明かりを受けながら伸び、以前より短い形で止まった。
四本の角が落ちると、谷を満たしていた光の輪が小さくなり、最後には彦様と織様の間へ吸い込まれた。
二頭は再び黄金色と白銀の角を触れ合わせ、最初に彦様が北の森へ向かった。織様は谷の中央に残り、彦様が森へ入るまでその場にいた。
彦様の姿が北の森へ消えると、織様も南の高台へ続く道を進み、白い姿は月明かりの中へ溶けるように見えなくなった。
北側から狐火が二つ続けて上がり、南側から腹鼓が二度響いた。
回収役が谷へ入り、黄金色の角と白銀の角を一本ずつ布で包んだ。彦様の角は二人がかりでも持ち上げるのが難しいほど重く、織様の角は細い形に反して、同じほどの重さがあった。
「彦様の角、二本とも傷はありません。無事に回収しました。」
「織様の角も二本とも傷はありません。無事に回収しました。」
四本の角は用意していた台へ載せられ、赤いキツネの里まで運ばれた。
集会所には角を置くための台が用意され、右側へ彦様の黄金色の角、左側へ織様の白銀の角が並べられた。満月の光が窓から差し込み、四本の角は輝きを保っていた。
「彦様と織様から授かった四本の角、確かに受け取ったぞ。」
満月の夜に交わされた彦様と織様の約束によって、小次郎の右腕を取り戻すための最初の材料がそろった。
ワイチたちは四本の角を持って、村正宗のもとを訪れた。
「村正宗さん、戻りました。」
「来たか。ずいぶん時間がかかったな。小次郎は……おい、その右腕はどうした?」
「闇神獣の砲撃を受け、吹き飛ばされました。」
「闇神獣だと……そんなものと戦っていたのか。」
「若雷が生み出した魔物です。あと少しで全滅するところでした。」
「小次郎が右腕を失うほどとはな。よく全員で戻ってきた。」
「緑の狸の里で、小次郎さんの右腕を元に戻せると教えてもらいました。必要な骨は、赤いキツネの里で作れるそうです。」
「おーそうなのか?良かったな小次郎!その角で骨を作るのか?」
「素材となる彦様と織様の角を取ってきたんです。これから里の工房へ持って行くところなんです。」
「角から人の骨を作る技術なんて聞いたこともねえ。鍛冶とは違う技術だが、素材から形あるものを生み出すことに変わりはない。俺も立ち会わせてくれ。」
「村正宗さんにも手伝っていただければ心強いです。一緒に来てください。」
ワイチたちは村正宗とともに、赤いキツネの里の工房へ向かった。
「彦様と織様の角を取ってきました。」
「よく取ってきてくれた。この四本があれば、小次郎の右腕の骨を作れる。」
「村正宗さんにも来ていただきました。」
「村正宗だ。角から骨を作る技術を学びながら、俺にもできることがあれば手伝いたい。」
「名高い刀鍛冶に加わってもらえるなら頼もしい。さっそく始めよう。」
工房の奥から職人たちが集まり、四本の角を使った骨作りが始まった。
最初に作られたのは、肩から肘までを支える骨だった。
職人たちと村正宗は、角の強さを損なわないよう何度も確かめながら、小次郎の腕に合う形へ仕上げていった。
「ここまでなら問題ない。次の骨をつなげても耐えられるはずだ。」
「では、肘から手首までを作ります。」
二本目の角を使った作業が始まり、工房には素材を削る音が長く響き続けた。
形が整った二本の骨をつなげると、右腕の長さがわずかに合わなかった。
「少し長いな。このままでは肘が曲がらないな。」
「上の骨は変えられないので、下の骨を合わせ直しますね。」
「それなら強さも残せるな。もう一度やろう。」
作り直された骨がつながり、肩から手首までの形が整った。
三本目の角から手の骨が作られ、最後の一本から指の骨が作られていった。
細かな骨が一つずつ組み合わされるたび、小次郎の右手が少しずつ形になっていった。
寸法を確かめ、つながりを直し、再び組み合わせた。
四本の角すべてを使い終えた頃、工房の中央には小次郎の右腕と同じ形をした骨が完成していた。
「完成したぞ。」
「おお、これが!ありがとうございました。」
ワイチたちは完成した右腕の骨を持ち、緑の狸の里へ戻った。
「長老様、右腕の骨が完成しました。こちらです。」
「……見事じゃ。申し分ない出来じゃな。」
「これで小次郎さんの右腕は元に戻せますか。」
「あ!……肝心なことを忘れておったわ。」
「右腕を再生させるには、鳳凰の羽が必要じゃ。」
「鳳凰の羽……。」
「骨だけでは右腕は再生できないのじゃ。」
次回予告 阿国
お国です。
赤と緑、長く続いた二つの里の歩みが、一つの道となって動き始めます。
小次郎さんの右腕を取り戻すため、皆さんは新たな一歩を踏み出します。
その先で待っているものは、希望でしょうか。それとも、新たな試練でしょうか。
次回、第66話 「赤と緑の合わさる道」
お楽しみに。




