若雷の野望
赤いキツネの里をあとにしたワイチたちは、王都への帰路についた。
山道を抜け、街道へ出ると、遠くに王都の城壁が見えてくる。崩れていた外壁には新しい石が積まれ、門の周囲では大勢の職人たちが復旧作業を続けていた。
「だいぶ出来上がったな。」
「前に来た時より、ずいぶん復興が進みましたね。」
「街の中も、かなり戻ってそうだ。」
「王都のみんなが頑張った成果でしょう。」
「でも、安心できる状況じゃない。」
「今回わかったことを考えると、むしろこれからだ。」
「青白い男の名前もわかりましたしね。」
「目の前で六面鬼まで生み出したもんな。」
「あれを王都でやられたら大変です。」
「まずは、その話を王様に伝えましょう。」
「麒麟とのこともありますしね。」
一行は王都へ入り、そのまま王城へ向かった。
復興の進む街には人々の笑顔が戻り始めていた。しかし、修復途中の城壁や足場が、この国がまだ戦いの傷跡を抱えていることを物語っていた。
兵士に案内され、一行は玉座の間へ通される。
「戻ったか。無事で何よりだ。」
「ただいま戻りました。」
「青白い男の行方はどうであった?」
「青白い男を追って北西の大湖へ向かったところ、麒麟を襲っている現場に遭遇しました。そこで追い詰めて会話になりましたが、終始笑っていて、話すことは狂気的なものばかりでした。まともな話にはならず、その時に名乗ったのが若雷でした。」
「若雷という名だったのか?」
「その直後、黒い結晶を使って俺たちの目の前で六面鬼を生み出しました。」
「その場で魔物を生み出したというのか?」
「黒い結晶が六面鬼へ変わりました。六面鬼は六つの属性を操る魔物でした。討伐はできましたが、王都で同じことをされたら大きな被害になります。同じことを繰り返せるなら、六面鬼だけでは終わらないと思います。」
「遊ぶように魔物を生み出していたということか?」
「俺には、すべてを楽しんでいるようにしか見えませんでした。今も何かを企んでいるのは間違いないと思います。」
「各地への警戒を強めねばならぬ。」
「王都だけでなく、地方にも伝令をお願いします。」
「承知した。他には?」
「若雷が立ち去ったあと、麒麟と接触しました。」
「よく無事でいられたな?」
「敵意を見せなかったところ、麒麟の方から近づいてきて、俺に顔を擦り寄せると、そのまま去っていきました。戦いにはなっていません。」
「麒麟が自ら近づいたというのか?」
「理由はわかりませんが、敵意はまったく感じませんでした。」
「昔の勇者一行が接触した時とは様子が違うようだな。」
「今は若雷の方を優先した方がよいのではないでしょうか?」
「それもそうだな。若雷を最優先に調査させる。六面鬼のような魔物にも警戒を強め、各地へ伝令を出そう。新たな情報が入り次第、お前たちにも知らせる。」
「よろしくお願いします。」
一行は王へ一礼すると、玉座の間をあとにした。
一行は王城をあとにすると、その足で司馬懿の店へ向かった。
店の戸を開けると、店内には静かな空気が流れていた。棚には色とりどりの扇子が並び、奥では司馬懿が茶を飲んでいる。
「戻ったか。」
「ただいま戻りました。」
「その顔を見ると、何かわかったようだな。話してみろ。」
「青白い男の名前がわかりました。」
「名前が判明したのか。」
「若雷という名前でした。」
「若雷か。その男とは言葉を交わせたのだな?」
「言葉は交わしましたが、話はまったく通じませんでした。終始笑っていて、口にするのは狂気的なことばかりです。何を聞いてもはぐらかされ、名前以外は何もわかりませんでした。」
「そう簡単に尻尾は出さんか。続けてくれ。」
「その直後、黒い結晶を使い、目の前で魔物を生み出しました。」
「その場で魔物を生み出したというのか?」
「六面鬼という、六つの属性を操る魔物でした。討伐はできましたが、あれを何度も生み出せるなら、とても危険です。」
「六つの属性を操る魔物か。若雷一人を相手にするだけでは済まぬということだな。」
「若雷自身が戦わなくても、魔物だけで各地を襲わせることもできると思います。」
「王への報告も、それを伝えてきたのだな?」
「各地への警戒を強めてもらうようお願いしてきました。」
「判断は間違っておらん。他には?」
「若雷が立ち去ったあと、麒麟と接触しました。」
バンッ!
「何だと! あれほど麒麟には近づくなと言っただろう!」
「違います。俺たちから近づいたわけではありません。若雷が麒麟を襲っている現場に遭遇したんです。」
「そういうことだったのか。」
「若雷が立ち去ったあと、敵意を見せずに様子を見ていたところ、麒麟の方から近づいてきました。俺に顔を擦り寄せると、そのまま去っていきました。戦いにはなっていません。」
「麒麟の方から近づいてきたというのか?」
「俺たちにも理由はわかりません。」
「それなら今は若雷を追うことを優先するしかないな。」
「司馬懿殿、私からも報告があります。」
「お前から報告とは珍しいな。何があった?」
「六面鬼との戦いで、無属性の術が使えるようになりました。それに光芒も使えるようになり、式神も魔狼から摩天狼へ変化しました。」
「術だけではなく、式神まで変化したのか。」
「私も驚きました。」
「晴明、お前の力は確実に広がっている。一つの術を覚えただけではない。そこまで術の幅が広がったのなら、これまで使えなかった術や、お前にしか扱えない式神へ辿り着ける可能性もある。」
「まだ先があるということですね。」
「その可能性は十分ある。焦らず一つずつ積み重ねていけ。」
「王様には若雷を最優先に調査するようお願いしてきました。」
「それでいい。各地から情報が集まれば、奴の動きも見えてくるだろう。それまでは焦らず力を磨け。」
一行は司馬懿に一礼すると、店をあとにした。
◇
――数年前。
青龍の聖域。
静寂が支配する空間を、鋭い飛翔音が切り裂いた。
ヒュンッ!
ドスッ!
「ぬっ……!」
前脚へ深々と突き刺さった矢が衝撃に震え、青龍の巨体に鋭い痛みが走る。
「矢だと……人間の武器か。」
ヒュンッ!
間髪入れず、二本目の矢が喉元へ飛来した。
ガギィン!
青龍が牙を叩きつけると、弾かれた矢は岩壁に突き刺さり、砕けた岩片が斜面を転げ落ちていった。
「何者だ、姿を現せ!」
「ウフフ……やっぱり見えてないんだぁ。ククク……。」
尾根の向こうから、あどけなさを残した笑い声が響く。
青龍が咆哮を上げながら顎を開き、喉奥に渦巻いた水流を一気に吐き出す。
ゴォォォォォッ!!
白熱した奔流が谷を埋め尽くし、巨木を根こそぎ押し流しながら山肌を削り取り、岩壁へ叩きつけられた水煙が聖域一帯を真っ白に染め上げた。
「アハハッ、すごぉい、すごぉい。森がなくなっちゃったぁよ。」
ヒュンッ!
白い霧を切り裂いた三本目の矢が、後脚の腱を的確に射抜いた。
「ぐわっ!」
「クスクス……そこも痛そうだねぇ。この瘴気で作った弓矢の味はどうだい? 気持ちいいだろぉ。ケケケケ。」
「そこか!」
ドゴォォォォン!!
青龍の巨大な尾が霧ごと山肌を強打し、岩塊と樹木をまとめて粉々に砕き散らした。
「ウフフ……ちがうよぉ、ちがうよぉ。こっちぃ、こっちぃ。」
バチィィィィッ!!
黒雲が割れ、怒号のような雷光が山を白く焼き付ける。閃光に浮かび上がった小さな影へ向かって、青龍は再び顎を大きく開いた。
ゴォォォォォッ!!
濁流が一直線に山腹をえぐり、尾根を無残に削り取りながら影を飲み込もうと突き進む。
「アハハッ、遅いねぇ。こっちだよぉ。」
笑い声は、死角となった真下から降ってきた。
ザンッ!
若雷の刃が前脚に刻まれた傷口を容赦なく切り広げ、勢いのまま腹の下を駆け抜け、後脚の傷を裂き、返した刃が首筋を深く走る。
噴き上がった鮮血が青い鱗を毒々しく染め上げ、大地へ滝となって流れ落ちた。
「ぐあああっ!」
「クスクス……血、いっぱい出たねぇ。やっぱりこの刀は良ぃ、楽しいなぁ。」
ドゴォォォォン!!
巨大な顎が岩盤を噛み砕き、山肌へ叩きつけられる。崩壊する岩石の中で、青龍は怒号を響かせた。
「どこだ! どこへ行った!」
「ウフフ……ここだよぉ、僕はここ。」
ヒュンッ!
四本目の矢が、執拗に最初の傷口へ突き刺さった。
「ぐわーっ!」
踏み出した前脚が痛みで沈み込む。
「アハハッ、そこ、そこ、もう力入らないねぇ。アハハッ。」
若雷は崩落する岩盤の隙間を踊るように抜け、最初に刻んだ傷だけに刃を重ね続けた。刃が突き立てられるたび傷口は裂け、噴き出した血は斜面を一本の不吉な赤い川となって、谷底まで長く伸びていった。
「貴様、神獣と知っての狼藉か!」
「クスクス……もちろん知ってて遊んでるんだよ。」
「貴様は何者だ! こんなことをすれば、他の神も黙ってはおらんぞ!」
「ウフフ……神がなんだよ。所詮お前は、僕のおもちゃだよぉ。」
青龍は激昂し、全身を翻して空高く舞い上がる。
ゴォォォォォッ!!
激流が天から叩きつけ、雷が尾根を焦土に変え、鋼の尾が山肌を粉々に砕き割る。崩れ落ちる山の瓦礫を縫うように、若雷は一転集中の刃を振るい続けた。
青龍は激流を放つたびに命の源を失い、尾を振るうたびに裂傷が広がり、踏み込むたびに前脚から赤い奔流を溢れさせていく。
「ぐふっ……!」
巨大な身体が、抗いようのない重力に傾いていく。
「ウフフ……まだ生きてる、生きてるねぇ。」
若雷の言葉と同時に、空間を歪める黒い光が青龍を包み込んだ。
その巨体は、崩壊する聖域から音もなく消え去った。
――若雷のアジト。
枯れた木々が黒い大地に突き刺さり、白い亡霊が地を這っていた。
邪悪な黒い鎖に縛り付けられた朱雀、白虎、玄武の前へ、黒い光が青龍の巨体を放り出す。
「青龍、お前まで……!」
「奴は……最初から我ら全員を狙っていた……。」
「貴様、何者だ! 我らを神獣と知ってのことか!」
白虎が拘束具を軋ませ、咆哮にも似た怒号を放つ。
「ウフフ……わーい、やっと揃ったぁよ。」
「四神を集めて何をする!」
「アハハッ、そんなに褒めないでよぉ。そんなに褒められると照れちゃうよ。ククク。」
「ちゃんと答えろ!」
「クスクス……君たちのね、血が必要なんだよぉ。」
「貴様、血を集めて何を企んでいる!」
「ウフフ……血はね、僕の楽しい計画に必要なの。」
四つの黒い器が現れ、青龍の傷口、朱雀の翼、白虎の肩、玄武の首元から滲む血をそれぞれ貪欲に吸い上げていく。器の中で、青白い光、赤い光、白銀の光、黒く重い光が、鼓動のように静かに脈打った。
「クスクス……これだよ、この血だよぉ。」
「その血で、何をしたいのだ……?」
「アハハッ、それは◯◯◯◯をね、僕のものにするんだよ。アハハハ。」
「まさか、そんなことを……止めろ。そんなことをしたら、この世界が滅びる。」
「クスクス……そうするためにしてるんだよ。僕はね、悲鳴や叫び声がもっと聞きたいんだよねぇ。」
「貴様……正気か? まさか貴様は◯◯◯の者か!」
「ウフフ……今さら気がついたの? でもねぇ、もう手遅れ。クククク。」
「勇者まで……貴様、何をした!」
「アハハッ、勇者もこっち側に来たんだよぉ。楽しいよねぇ、クククク。」
「貴様……!」
「さて、必要なものは揃ったから、君たちはもういらないやぁ。」
「何をするつもりだ!」
「アハハッ、みんなー、食べちゃってぇ。」
パチン。
若雷が指を鳴らすと、黒い鎖が蠢き、四神をアジトの深淵へと引きずり出した。
闇の奥底から、巨大な蠍、マンモス、そして屍武者たちが飢えた野犬のように群がる。牙が鱗を粉砕し、鋭い爪が神の肉を深々と裂き、神々の悲鳴がアジトの壁を震わせた。
「ウフフ……ほらほら遠慮しないで、いっぱい食べてねぇ。」
魔物たちはその身を貪り、神の力を、命を、魂ごと喰らっていく。
やがて蠍の殻は赤黒く染まり、尾は三本へと増殖し、鋏の根元から周囲を焦がす炎が滲み出した。マンモスの背には禍々しい黒い結晶の塔が突き出し、吐き出す息は空間を凍てつかせ、床一面を死の世界へ変えていく。屍武者たちは闇の奥へと戻り、ただ鎧の隙間から赤黒い光だけが揺らめいていた。
「クスクス……蠍は三尾炎獄蠍になったぁ。」
「アハハッ……マンモスは氷結マンモスになったぁ。」
「ウフフ……屍武者は、そんな風になったんだぁ。」
「貴様……神の命を何だと思っている……!」
「クスクス……材料だよぉ。ただの材料。」
「いつか必ず、次の四神が貴様を止めるはずだ……!」
「次の四神?」
「我らが倒れても、四神は途絶えぬ……。」
「アハハッ、そっかぁ。後釜がいるんだぁね。」
「貴様の野望は必ず潰すはずだ……。」
「クスクス……じゃあ、その子たちも瘴気の矢で、魔物化すればいいねぇ。」
四神の声が闇の奥で途切れていく。
若雷は台座へと歩を進め、四神の血を吸い上げた器の前で、黒い晶気を渦巻かせる。黒い結晶の欠片がその中心へ沈み、濁った脈動が台座全体へ広がった。
「ウフフ……ここからだよぉ。」
若雷が躊躇いなく指先を切り裂くと、赤い血が一滴、渦の中へ落ちていった。
黒い晶気と混ざり合い、結晶の内側へ赤黒い筋を走らせる。
「クスクス……ぼくの血も入れないとねぇ。」
黒い晶気は膨らみ、歪み、六つの小さな顔のようなものを浮かび上がらせた。六つの腕、六つの気配、六つの属性が、互いに絡み合うように蠢く。
「アハハッ……いいよぉ。そのまま形になってぇ。」
黒い塊は震えながら膨らんでいった。
だが次の瞬間、それは無残に崩れ去った。赤黒い泡が床へ広がり、黒い煙だけが空しく残る。
「クスクス……まだだめかぁ。」
「ウフフ……六つを一つにするには、まだ時間がかかるんだねぇ。」
暗いアジトの奥では、三尾炎獄蠍が炎を吐き、氷結マンモスが冷気を漏らし、赤黒い光を宿した屍武者が闇の中で動きを止めていた。
「アハハッ……もう少しだぁ。」
若雷は、四神の血で満たされた器を見つめていた。
「ウフフ……もうすぐ。クスクス……もうすぐ、ぼくのぉ……。」
四つの器だけが、深い闇の中で妖しく、冷たく光り続けていた。
次回予告
雑貨屋の司馬懿だ。
若雷という男……実に厄介な相手だな。
笑いながら災いを振りまき、その裏で何を企んでいるのか。
その真意は、まだ闇の中だ。
次回、第52話
「黒き招待状」
楽しみに待っていてくれ。




