聖獣麒麟
青白い男が森の奥へ消えていった。
残された静寂の中、黄金の神獣がゆっくりと一行へ向いた。
額から伸びた二本の角を青白い雷が這い、鋭い瞳がワイチたちを射抜く。
「ゴクリ……。」
「……ヤバいぞ、こっちに来る。」
武蔵と小次郎が刀へ手を掛ける。晴明は式札を構え、空海、ナリア、阿国も身構えた。
麒麟の目が合った瞬間、ワイチは喉の奥を掴まれたような息苦しさに襲われた。
あの青白い男を退けた雷、あれをまともに受ければ、誰も立っていられない。
そう分かっているからこそ、刀を抜く音さえ命取りになる気がした。
青白い雷が角から首筋へ走るたび、パチ、パチ、と乾いた音が森に響いている。
その音が近くなるほど、肌へまとわりつく痺れが指先から腕へ這い上がり、髪の先が逆立った。
焦げたような匂いが鼻を突き、息を吸うたび、喉の奥まで熱と痺れが入り込む。
「う、動けねぇ……。」
「動くな……動いたら殺される……。」
「あの雷が来たら……。」
「司馬懿さんの言った通りだ、関わるんじゃなかった……。」
「お姉ちゃん、助けて……。」
「これも仏の道を外した者の運命か……。」
「……ごめん、みんな。私は戻れない……。」
「こ、怖い、動けない。」
ワイチは目を閉じた。
あの黄金の瞳を見ているだけで、体の内側から崩されそうだった。
視界を閉ざしても、恐怖は消えない。
パチ、パチ、という雷の音が耳元へ迫り、焦げた匂いがさらに濃くなり、頬に触れた空気が熱を帯び、肌の痺れは痛みに変わっていった。
息をしたら、殺される、そう思った瞬間、喉が固まり、胸の奥で心臓だけが暴れ続けた。
熱い吐息が頬にかかった。
次の瞬間――
頬へ、そっと顔を擦り寄せた。
「……え?」
止まっていた息が一気に漏れた。
「な、何でだ……。」
「ど、どういうことだ……。」
「聖獣が……ワイチに……?」
「なにがどうして、こうなってる?」
「し、しん吉……。」
「な、なんだよ……。」
「オイラ、本気で漏らすかと思った……。」
「オイラもだぁ……危うくちびるところだったぞぉ!」
ワイチは麒麟を撫でながら、
「ありがとう。さっき逃げた男を追いたい。行ってもいいかな。」
麒麟は静かに湖の方へ戻っていった。
「よし、急いで追うぞ!」
一行は森の奥へ駆け出した。
木々を抜けた先で、青白い男が木の枝に乗って待っていた。
「おやおや、やっと来たんだね……ヒャヒャヒャ。」
「何、待っていたのか!」
「へへへへへ、もちろんだよ。麒麟ちゃんが君たちを始末してくれると思っていたんだけど、これは予想外だったよ。ヒャヒャヒャ。」
「お前は何者だ、なんでこんな事ばかりする?」
「まずは、人の名前を尋ねるなら、先に名乗るのが礼儀だよ? クククク。」
「俺はワイチだ! さぁ名乗れ!」
「ヒャヒャヒャ、僕はね、若雷……若雷だよ。覚えたかな?」
「へへへへへ、僕の楽しい計画を邪魔していたのは君達だね?」
「お前が四神をあんな姿にしたんだな。」
「あー確かにしたな。だからなんなんだい? お前だって僕の可愛い蠍ちゃんもマンモスちゃんも壊したじゃないか。」
「可愛い、可愛い蠍ちゃん。あんなに温かくて、尻尾をいっぱい振ってくれて、僕のために周りを温かくしてくれて、みんな燃えていた。」
「マンモスちゃんも、あんなに涼しくして、周りを凍らせながら頑張ってくれたのに、君たちが壊しちゃったんだよねぇ。ヘヘヘヘ。」
「貴様……。」
「森のみんなも、山のみんなも、黒い結晶ちゃんが大好きで、食べたら苦しい苦しいって鳴きながら暴れてくれたよ。」
「牙を剥いて、爪を立てて、仲間同士で噛み合って、血を流して、それでも止まらなくてさぁ。あの声、すっごく綺麗だったなぁ。ヒャヒャヒャ。」
「お前……魔物を凶暴化させていたのか。」
「凶暴化だって?違うよ。みんな、僕のために元気になってくれたんだよ。」
「怖がって、苦しんで、泣いて、叫んで、それでも動いてくれる。そういう姿を見るのが、僕は一番好きなんだぁ。クククク。」
「ふざけるな……。」
「そんなに褒めないでよ。僕、これでもかなり怒ってるんだ。君たち、僕の可愛い子たちをいっぱい壊したからねぇ。」
「白虎ちゃんは特に元気だったなぁ。あんなに暴れてくれた子、なかなかいないよ。」
「雪の中で吠えて、爪を振り回して、みーんな震えてた。あの子の苦しそうな声、今でも耳に残ってるんだぁ。ヘヘヘヘ。」
「黙れ!」
「北東の鬼ちゃんも面白かったよぉ。新しいお友達が増えたと思ったら、すぐ壊されちゃった。もったいなかったなぁ。でも壊れる時の顔も、なかなか良かったよ。ヒャヒャヒャ。」
「こいつ……。」
「そして、あの神社にいた狛犬ちゃん達。あれは一番面白かったなぁ。僕にいっぱい飛びかかってきてくれて、いっぱい斬られて、いっぱい血を出してくれた。真っ赤できれいだったよぉ。久しぶりに、あんなに元気な子達と遊べて楽しかったなぁ。クククク。」
「風雷のことか!風雷のことを言ってるか!絶対に許さない!」
「あれ、怒った? 怒ったよねぇ。いい顔だなぁ。そういう顔、大好きなんだぁ。」
「怖がる顔も、苦しむ顔も、怒ってる顔も、みーんな大好き。だってさぁ、それを見るために僕は生きてるんだから。ヒャヒャヒャ。」
「貴様は、何が目的だ!」
「目的? へへへへへ、それはこの世が壊れることだよ。」
「君たちが怖がって、苦しんで、血を流して、それだけで僕は喜びを感じるんだ。でもね、あと少し、後少しなんだぁ。」
「何があと少しなんだ!」
「知りたい? 知りたいなら、四神の首でも持ってきてよ。そうしたら教えてあげる。ヒャヒャヒャ。」
「こいつ、狂ってやがる……。」
「ひどいなぁ。僕はただ、楽しいことが好きなだけだよ。もうすぐ最高の花火が上がる。国中のみんなが怖がって、叫んで、逃げ回ってくれる。きっと綺麗だよぉ。楽しみにしておけよ。」
「そんなこと、させるか!」
「止められるかなぁ。君たちの首も綺麗に並べたら、いい眺めになりそうだね。」
「特に君の目は嫌いだ。その目が怖いものを見つけて、苦しんだものに染まったら、僕の部屋に飾りたいねぇー、毎日楽しくなりそうだ。クククク。」
「貴様ァ!」
「ヒャヒャヒャ、怒った怒った。
その顔がいい!でも、これから僕は用事を済ませないといけないんだ。」
若雷は黒い袋から黒い結晶をばら撒いた。
無数の黒い結晶が地面へ降り注ぎ、土へ沈むと森中の地面が盛り上がり、朽ちた鎧をまとった屍の落武者が次々と姿を現した。
森を埋め尽くすほどの屍の落武者が一行を取り囲んだ。
「本当は君達と遊びたいけど、僕はこう見えて忙しいんだ。だから、お友達と遊んでてね。じゃあな。」
若雷はヒャヒャヒャという笑い声を森へ残し、奥へ消えていった。
ガシャリ――。
錆びついた刀が一斉に抜き放たれた。朽ちた鎧をまとった屍の落武者が、死の臭いをまとった黒い波となって森中から押し寄せる。
「若雷を追わせる気はないみたいだね!」
「武蔵さん、小次郎さん! 道を切り開いてください! 晴明さんは敵の様子を見極めて! 阿国さんは援護の準備! 空海さんは前線の守りを! ナリアさんは回復をお願いします!」
「任せろ!」
「承知しました!」
「結界は任せておけ!」
「いつでも回復できます!」
武蔵の二刀が先頭の屍の胸元を鎧ごと叩き割り、小次郎の長刀が返す刃でその首を空高く跳ね飛ばす。
「……あれ?」
「魔狼じゃない!」
「いつの間に……!」
転がった首が意思を持つように震えながら胴体へ吸い寄せられ、三体の魔狼はいつの間にか魔天狼へと変貌を遂げ、その鋭い牙で再生しかけた屍を力任せに押さえつけた。
「武蔵さんの後ろは任せるんだな!」
「しん吉、隠れてていいぞぉ!」
きゅうすけの「癒炎」が倒したはずの屍の群れを遮るように広がる。しかし、その炎の向こうでは悍ましい光景が繰り広げられていた。
地面を這う千切れた腕が剥き出しになった肉を無理やり引き寄せ、ドロリとした黒い霊気が糸を引きながら欠けた胴へ絡みつく。湿った骨が噛み合い、腐りかけた腱が軋むたび、砕かれた体は強引に繋ぎ合わされ、屍の落武者は錆びた刀を握り直して再び襲い掛かってきた。
「まだ立つのか……!」
武蔵の二刀が全身を砕き、小次郎が胴を両断しても、黒い霊気は傷口を包み込み、倒れた屍は何度でも立ち上がる。
「晴明さん! 何か分かりましたか!」
「……物理的な破壊は無意味です。あの黒い霊気を光芒で焼き切らなければ終わりません。少しだけ時間をください!」
「みんな聞いたね! 武蔵さん、小次郎さん! 倒すことは考えなくていい! 立ち上がる時間を奪い続けて! 阿国さんは琵琶で動きを鈍らせて! 空海さんは前線を守って! ナリアさんは回復を! きゅうすけは近付く敵の牽制を!」
阿国が奏でる琵琶の重い音色が屍たちの足を鈍らせ、空海の結界が押し寄せる群れを弾き返す。その間にもナリアの回復術が前線の傷を癒やし続けた。
武蔵が二刀で屍を押さえ込み、小次郎が起き上がろうとする体勢を崩す。魔天狼が喉元へ牙を突き立てて再生の隙を奪い、きゅうすけの癒炎が横から迫る屍を牽制する。
敵が黒い霊気を集め始めた、その一瞬。
「今です! 光芒!」
白い閃光が森を貫いた。
黒い霊気は光に触れた瞬間、悲鳴を上げるように掻き消え、繋がりかけていた肉体は崩れ落ち、そのまま黒い煙となって風へ散っていった。
「おぉ効いた!」
「その調子です! 武蔵さん、小次郎さん、押さえ続けてください!」
武蔵と小次郎が屍を押さえ込み、魔天狼が喉元へ食らいつく。きゅうすけの癒炎が群れを寄せ付けず、その一瞬の隙へ晴明の光芒が迷いなく撃ち込まれる。
白い閃光が走るたび、黒い霊気は跡形もなく消え、屍の落武者は二度と立ち上がることなく黒い煙となって崩れ落ちた。
やがて最後の一体が霧となって消え、森を覆っていた重苦しい殺気も静かに消え去った。
「若雷を追う! 急ごう!」
ワイチを先頭に、一行は再び森の奥へ駆け出した。
次回予告
小次郎
「まさか聖獣に歓迎されるとは思いませんでした。」
「ええ。それに若雷という男……あれほど歪んだ人間は初めて見ました。」
「ですが、まだ追いつけます。」
「次こそ逃がしません。」
次回
第48話 六つの属性




