ひとときの休日
一行は深く頭を下げると、玄武の聖域をあとにした。
山間を歩いていたら、空海が声をかけてきた。
「なぁ、ワイチ、俺たちが提案したやり方ではなんでダメだったんだ?長い杭とか甲羅の隙間とか、みんなで意見出したけど、何も言わなかっただろ?」
「それはさ、やはり玄武様の体の構造は、わからないからだよ。
長い杭で刺したり、甲羅の隙間を打って臓器を損傷したら、大変だからね。」
「なるほどな、そこまでは考えてなかったわ。流石だな!」
雪深い山を下り、東海道へ入る頃には景色も少しずつ緑へ変わり、街道には旅人や商人の姿が戻っていた。
「やっと帰ってきたな。」
「久しぶりに緑を見ると落ち着きますね。」
「王都のみんな、元気にしてるかな。」
長い帰路を越え、数日後――。
一行は王都へたどり着いた。
門をくぐると、ワイチは思わず声を上げた。
「おお! すげえ! もうこんなに復興してたんだ!」
崩れていた城壁はきれいに積み直され、焼け落ちていた家々には新しい屋根が並んでいた。
市場には威勢のいい呼び込みが響き、店先には色鮮やかな野菜や果物が並び、焼きたてのパンの香りが風に乗って漂う。子どもたちは元気いっぱいに走り回り、その笑い声が王都中へ響いていた。
「あれだけ壊れていたのに、本当に元通りだ。」
「みんな頑張ったんだね。本当によかった。」
「王都らしい賑わいが戻りましたね。」
市場を歩いていると、聞き慣れた声が飛んできた。
「ワイチ殿!」
「ハロルドさん!」
「皆様、ご無事でしたか!」
「はい! ただいま戻りました!」
「玄武様は……。」
「無事に救うことができました。」
「それは何よりです! 龍王様がお待ちです。どうぞこちらへ。」
一行はハロルドに案内され、そのまま王城へ向かった。
玉座の間へ入ると、龍王が一同を迎えた。
「よく戻った。」
一同は跪き、ワイチが北での出来事を語り始める。
玄武の体には四つの黒い結晶が埋め込まれていたこと。
首、背中、腹の結晶は霊杭で浄化できたものの、最後の一つは甲羅に埋まっていたこと。
玄武の甲羅はあまりにも強固で、霊杭さえ弾き返してしまい、何度試しても結晶へ届かなかったこと。
仲間全員で知恵を出し合い、新たな方法を考え、ようやく最後の結晶を浄化できたこと。
玄武が完全に正気を取り戻し、北の寒さも和らぎ始めたこと。
玉座の間は静まり返っていた。
「玄武の甲羅が霊杭まで弾いたというのか。」
「それほど強固な守りとは……。」
家臣たちも顔を見合わせ、小さなどよめきが広がった。
「それから、玄武様が青白い男を目撃していました。」
「詳しく申せ。」
「刀を三本帯び、弓を持っていました。黒い結晶をばらまいていたのも、そいつだと思います。」
「やはり同一人物か……。」
「王都を襲った男の特徴とも一致しております。」
ハロルドが口を開く。
「王都での目撃証言では、背に二本、腰に一本の刀を帯びていたとの報告でした。」
「だが今回は刀を三本帯びていたという。」
「杉山神社から奪われた妖刀も、奴が持っていると考えるべきだな。」
玉座の間の空気が一段と張り詰めた。
「特徴を書き記せ。」
「これまでの目撃証言と合わせ、人相書きを作り直し、各村、各町、関所へ回せ。」
「この男を見掛けた者は、直ちに王都へ報告するよう伝えよ。」
「決して一人で近付くな。この男は極めて危険だ。」
「はっ! 直ちに作り直し、各村々へ通達します!」
数人の家臣が足早に玉座の間をあとにしていった。
「玄武を救い、ここまで多くの情報を持ち帰ってくれた。本当によくやってくれた。」
「皆のおかげで、この国も次の一手を打つことができる。」
「今日は何も考えず、ゆっくり休め。長き旅で心身ともに疲れておろう。」
「しばし英気を養い、また力を貸してほしい。」
「ありがとうございます。」
一同は深く頭を下げ、玉座の間をあとにした。
王城を出ると、柔らかな陽射しが石畳を照らしていた。
「休めって言われても、何をしようかな。」
ワイチは大きく背伸びをしながら空を見上げた。
「俺は鍛錬だ! 何日休もうが、腕は鈍らせねえ!」
武蔵が肩に刀を担ぎ、大股で歩き出した。
「本当に武蔵さんらしいですね。」
「私は町を見て回った後、いつもの雑貨屋へ行こうと思います。」
「わしは何をするかな?」
「私は診療所へ顔を出してみます。怪我をされた方も、まだたくさんいらっしゃるでしょうから。」
「なら、わしも手伝おう。」
「ありがとうございます。」
小次郎は黙ってそそくさと歩いて行ってしまった。
「小次郎さん?」
「珍しいな。」
「俺は……ちょっと一人で歩いてみるよ。」
「では、夕方に宿で落ち合いましょう。」
晴明の言葉に全員が頷くと、それぞれ思い思いの方向へ歩き始めた。
久しぶりに一人になったワイチは、ゆっくりと市場を歩いていた。
行き交う人々の笑顔や威勢のいい呼び込み。
焼きたてのパンの香り。
どれも数日前には失われていた光景だった。
「本当に戻ってきたんだな……。」
少し歩くと見慣れないものが見えてきた。
新しく組み上げられた見張り台が建ち、その上では兵士たちが王都の外へ鋭い視線を向けていた。
城壁にも新しい石材が積まれ、以前より厚みを増していた。
「すげーなんか強化されてるじゃん」
ワイチは静かに頷くと、そのまま市場の奥へ歩き出した。
見張り台を見上げながら歩いていると、城壁の上では兵士たちが絶えず周囲を見張り、門の脇にも以前より多くの衛兵が立っていた。
「これなら次回きても安心だな。」
通りには露店が隙間なく並び、焼きたてのパンや串焼きの香ばしい匂いが漂ってきた。
「いらっしゃい! 採れたての野菜だよ!」
「今日は朝獲れの魚も入ってるよ!」
威勢のいい呼び込みが飛び交い、人々は笑顔で買い物を楽しんでいた。
「あの襲撃が嘘みたいだな。」
露店を眺めながら歩いていると、以前は瓦礫が積み上がっていた場所に、小さな子どもたちが追いかけっこをしている姿が目に入った。
その笑い声に、ワイチも思わず頬を緩めた。
「みんな元気になってよかった。」
市場を抜けると、人通りは少しずつ落ち着き始めた。
自然と足がそちらへ向いていった。
石畳の道をゆっくり歩いているうちに、見覚えのある鳥居が目に入った。
「つい、ここにきちまった……。」
それは、杉山神社だった。
境内へ入ると、以前と変わらぬ静けさが辺りを包んでいた。
風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが静かに響いていた。
あの日、初めてこの世界へ来たこと。
何も分からず戸惑っていた自分を、風雷が迎えてくれたこと。
頭を撫でると嬉しそうに尻尾を振っていたあの姿を思い出す。
妖刀を守るため、最後まで必死に戦ってくれたと聞いた時、心が張り裂けそうになった。
一方、小次郎はというと。
小次郎は辺りをきょろきょろと見回しながら、人通りの少ない路地へ入っていった。
「誰も跡をつけてないな……。」
さらに足早に路地を抜けると、一軒の甘味処が見えてきた。
「よし……手拭いをかぶって、タイミングを見計らって。」
暖簾の隙間から店内をそっと覗き込み、知った顔がいないことを確かめると、小次郎は手拭いを深くかぶり、気配を消すように店へ滑り込んだ。
「いらっしゃいませ!」
元気な声が店中へ響き、小次郎は慌てて人差し指を口元へ当てる。
「しーっ……。すみません、いつものやつを。なるべく早く。」
「ふふっ、かしこまりました。」
店員は笑いを堪えながら、小次郎を奥の席へ案内した。
ほどなくして、盆いっぱいの甘味が運ばれてくる。
「お待たせしました。いつものあんみつ、串団子三つとおしるこです。」
小次郎は照れくさそうに軽く頷くと、すぐにあんみつへ箸を伸ばした。
あんみつを頬張り、串団子を口へ運び、おしるこをすすり、またあんみつへ箸を伸ばす。
夢中で甘味を味わい、その表情はみるみる幸せそうに緩んでいった。
「あれー、小次郎さんじゃないですか?」
小次郎の箸がぴたりと止まった。
恐る恐る振り返ると、阿国が満面の笑みで立っていた。
「ひ、人違いじゃないですか? 私は大次郎です。」
「こんな長い刀を背中にしょってるのは、小次郎さんくらいですよ。」
「……ゲホゲホ。」
「小次郎さん、一人で甘いもん食べに来るなんて、ずるいやん!」
「ち、違います!」
「何が違うん?」
「こ、これは……偵察です!」
「甘味処の?」
「そ、そうです!」
「ほな、うちも偵察するわ。」
阿国は小次郎の向かいへ腰を下ろすと、店員へ元気よく手を挙げた。
「すみませーん! 抹茶あんみつ一つ! それと、みたらし団子も!」
「かしこまりました。」
「阿国さん……。」
「ええやん。休日なんやし。」
運ばれてきたあんみつを一口頬張ると、阿国はぱっと顔を輝かせた。
「おいしー! 疲れた時は最高やわ!」
「でしょう……。」
小次郎は反射的に答えた瞬間、はっと口を押さえた。
阿国は吹き出しそうになるのを堪えながら、小次郎を見つめる。
「やっぱり甘いもん大好きなんやな。」
小次郎は肩を落とすと、小さくため息をついた。
「……内緒にしてくださいね。」
「晴明さんには?」
「絶対に。」
「武蔵さんには?」
「もっと駄目です。」
「ふふっ。」
阿国は楽しそうに笑いながら、もう一口あんみつを頬張った。
甘味処には、二人の穏やかな笑い声がしばらく響いていた。
――その頃。
「空海さん、本当にありがとうございます。」
ナリアは診療所で薬草を仕分けながら微笑んだ。
「気にするでない。休日くらい、人助けも悪くはない。」
「ナリア先生! こっちも終わりました!」
「ありがとうございます、レオン。だいぶ慣れてきたわね。」
「皆さん、お久しぶりです。」
レオンはワイチたちへ深々と頭を下げた。
「レオンじゃないか。元気そうだな。」
「はい! おかげさまで。」
「診療所にもすっかり慣れたみたいですね。」
「いやー、まだまだ教わることばかりですよ。でも、ナリア先生のお役に立てるよう頑張っていきます。」
「助かっていますよ。」
患者も少なくなり、診療所には穏やかな時間が流れていた。
薬草の香りと柔らかな笑い声が部屋を包み、王都にも少しずつ平穏が戻ってきていることを感じさせた。
その頃、王都の外れでは――。
武蔵が一人、誰もいない草原の真ん中へあぐらをかいて座っていた。
二本の刀を腰に差したまま、静かに目を閉じている。
風だけが草を揺らし、武蔵の髪を静かに撫でていった。
「…………。」
いつもの豪快な武蔵とは違った。
何かを見つめ直すように、ただ静かな時間だけが流れていた。
「……あれ、武蔵さん?」
遠くからその姿を見つけたワイチは、思わず足を止めた。
いつもなら大声で呼ぶはずなのに、その場へ漂う空気に言葉が出ず、武蔵へ声を掛けるのをためらっていた。
次回予告
小次郎
「大次郎です。」
「……。」
「すみません。やっぱり小次郎です。」
「甘いものが好きなのは、皆さんには内緒ですよ。」
「特に武蔵さんには。」
次回
『青白い男を追え』




