寒さの根源
「なんだ……あれは……」
ワイチの呟きは、猛吹雪の咆哮に容赦なく掻き消されていった。
上空では、核の脈動に呼応した鳥の群れが、翼を震わせることもできぬまま糸を切られたように雪原へ墜落し、冷たい骸へと変わっていく。
霧の向こうから現れたその巨躯は、マンモスの面影を残してはいるものの生物の範疇を完全に逸脱しており、約四十メートルもあろうその背には肉体を突き破るようにして漆黒と青の結晶が屹立し、まるで荒れ狂う山脈をそのまま背負っているかのようだった。
四本ずつ、合計八本へと枝分かれした牙は獲物を逃さぬ巨大な檻のごとく湾曲して鈍く冷たい光を放ち、大地を踏みしめる四肢もまた結晶に侵食され、一歩進むごとに足元の雪原を容赦なく凍てつかせていく。
生物的な肉の質感と無機質で鋭利な結晶が融合したその姿は、周囲の寒気を吸い込みながら、ただそこに佇むだけで大気を凍らせる異様な威圧感を放っていた。
ワイチが視界を反転させ、マンモスの巨体内部に流れる「気」の濁流を凝視すると、核が鼓動するたびに周囲の空気が黒く澱み、すべての生命を凍てつかせる死の奔流が脈打つのが見えた。
「……何よ、今のは」
阿国が凍りついていく光景に恐怖を覚えたその瞬間、
ドォォォンと大地が根底から悲鳴を上げ、重厚な地鳴りが雪原を激しく揺らした。
「下がれッ!」
武蔵の叫びと同時に一行が雪原を蹴り上げると、先ほどまで立っていた地面は瞬く間に白銀の氷へと変貌し、土も木々も岩さえもが例外なく凍てついていき、ただ歩を進めるだけで世界の理を侵食していくその姿には、空海でさえも眉間に深い皺を刻み込んだ。
空海が瞬時に結界を張り、武蔵が雪を爆発させて突進の火蓋を切ったものの、巨体から繰り出される八つの牙が武蔵と小次郎の行く手を阻み、受け止めることもできぬまま捌くのがやっとの状態へと追い込まれる。
武蔵が走り、その影に吸い込まれるように小次郎が続き、晴明が印を結ぶと同時に、空中で巨大な岩槍が隆起してマンモスの牙を強引に突き上げた。
マンモスが雄叫びを上げると背中からいくつもの氷槍が発射されて一行へと襲いかかり、晴明が岩槍を次々と隆起させては空中で激突させ、岩と氷が砕け散る爆音が響き渡る中で武蔵たちの突撃路を切り拓いていくが、漏れ出た氷槍は空海の結界をあっさりと粉砕していった。
「なら、これならどうだ! 絶界!」
まばゆい光を放つ結界が皆を包み込み、次々に飛来する氷槍を確実に弾き返していく。
「今です!」
空海が声を荒げるのに呼応し、阿国の尺八が奏でる重低音が水属性を下げ、マンモスの鼻から放たれる冷気を弱めていった。
その隙を見逃さず武蔵が牙へ飛び乗り、鋼のような脚筋で足場を掴みながら叫びと共に刃を叩き込むと、火花が散り、背中の氷が砕けた奥から禍々しい黒い光が剥き出しになる。
すかさず小次郎の飛燕が氷の鎧を粉砕し、その黒い光を深く抉っていった。
しかし、マンモスが怒りの咆哮を上げて鼻で空気を殴りつけると、背中の結晶山脈が不規則に明滅を始め、砕けた結晶は瞬く間に再生されていく。
「これでは、キリがない」
「斬っても再生してやがる!」
武蔵が舌打ちする。
「ワイチ! あの黒い奴が親玉だ!」しん吉が背中を指差した。
「結晶を壊してもすぐ戻ってる! あれを何とかしないと駄目だ!」
きゅうすけも指を差した
「背中の黒い核です! あれが動くたびに結晶が再生しています!」
ワイチが叫んだ
「なら、あれを潰さねえ限り終わらねえってことか!」
ワイチが息を呑んだ直後、マンモスが鼻を持ち上げて猛吹雪を猛烈に吸い寄せ、結晶列が耳を塞ぎたくなるような高周波を上げながら周囲の光を呑み込み始めた。
「尻尾から音を出してる、何かする気だ! 気をつけろ!」
ワイチの絶叫と同時に、尾から放たれたまばゆい光が背中の結晶を照らし、オーロラが激しく噴き出していく。
「逃げろ!!」
ゴォォォォォォン
と咆哮と共に放たれたオーロラ光線が雪原を一瞬で消し飛ばして剥き出しの地肌を晒し、岩山が崩落する大質量の中で絶界は砕け、全員が雪原へと激しく叩き付けられた。
酷い傷を負い、立ち上がることすらできなくなった戦場に、ナリアが力を振り絞って杖を掲げる。
「リカバリーベル」
重厚な鐘の音が凍てついた一行の心臓を強く叩き起こし、彼らの身体に再び活力を与えて立ち上がらせた。
「今のはやばかったぞ」
武蔵が片膝をついてマンモスを睨みつけるが、一行の攻撃は背中の黒い核を捉えられずにいた。
「くそっ、捉えられん!」
ワイチは核を探した!
「何!核は動いているのか」
巨体の内側を駆け巡る核は、体内を素早く動いていたのだ。
核は自ら動いているのではなく、黒く濁った血の流れに押し流されていた。
胸から腹へ、腹から後脚へ、血の奔流が巨体の奥を走るたび、核はその流れに乗って一気に場所を変えていく。
「そうか……核が速いんじゃない。血の流れが速すぎるんだ」
ワイチの視線が、血の奔流が最も太く集まる一点で止まった。
「ここの流れを止めれば、核は見えるはず……!」
肩から胸へ、胸から腹へ、腹から後脚へ。
核は複雑に枝分かれした血の流れを駆け抜けながら、再び背中へと駆け上がっていった。
動きが、速すぎる、視線で追うだけでも精一杯だ!
その時、無数に分かれた流れの中で、一本だけ表層に近い太い流れが右後脚の付け根へと流れ込んでいるのが見えた。
核がその流れへ飛び込むたび、周囲の血が大きく脈打つのが、外からでもわかる。
「ここは、核が通るたびに動くな、なら動きが遅ければ、攻撃を当てられるかも!」
まるで巨体全体へ血を送り出す心臓のように、ワイチは目を見開いて確認した。
ワイチは核を送り出す、気血の太い場所を目指し飛びついた。
「まずは、核の動きを緩めないと!」
足下で狂ったようにうごめく核を確認し、ワイチは腰の杭を抜き、気血の流点に杭を打ち込んだ!
グォォンッ!!
マンモスの巨体がビクンと大きく跳ね上がり、大きく伸びた鼻を地面に叩きつけていた。
ワイチには体内の核の動きが鈍くなるのが見え、しっかりと捉える事ができるようになった。
背中から降り注いでいた氷槍の数も目に見えて減り、雪原を覆っていた吹雪も勢いを失い始めた。
「何をした!?」
武蔵がその異変に驚愕の声を上げるのと同時に、マンモスの動きが鈍り、攻撃力も衰えて行った。
ワイチは観察し、表層の浅い核がが通る場所、後ろ足の付け根をめがけて、二本目の杭を力強く打ち込んだ!
「そこだ!杭を打ったそこに核が通ります!俺がカウントダウンしますから、攻撃を同時に当ててください 」
「カウントします」
「三」
胸から腰へ向かう核
「二」
腰から尻に向かう核
「一」
尻から足の付け根へ
「今だッ!!」
武蔵が刀をその杭へとねじ込み、小次郎の飛燕がその深部へと滑り込んで行った!
バキィィィィィン
武蔵が吼えながら刀をさらに深く捻じ込み這い上がる亀裂が光の核の全体へと瞬く間に広がっていき、パキィンッという硬質な音が響き渡ると同時に木っ端微塵に砕け散った。
マンモスが天を衝くような絶叫を上げて雪原を震撼させ、渦巻く奔流は消滅の寸前で眩い断末魔の閃光を放ちながら夜空の霧のように消え去っていった。
ズドォォン!!
巨体が地鳴りを立てて雪原へと沈み込み、マンモスは完全に崩れ落ちた。
厚い雲が割れ、そこから暖かな光がまっすぐに降り注いでいく。
凍てついていた木々から氷がパキパキと剥がれ落ち、阿国は静かに尺八を下ろして澄み切った青空を見上げた。
「……晴れた」
寒さの根源は、完全に消滅した。
ワイチは力強く拳を握り締め、
「行こう、玄武様のもとへ」
その言葉に、誰もが迷うことなく、その先へと一歩を歩み進めていった。
次回予告
空海
「凍てつく大地を支配していた魔物も、ついに倒れました」
「どれほど強大な相手であろうと、その力には必ず理由があります」
「ワイチ殿は、その理由を見抜きました」
「見えぬものを見る力。あれこそが、彼の最大の武器なのでしょうな」
次回
第38話 北の神獣 玄武




