北方調査開始
王都の復興は、かさぶたが剥がれゆく過程に似ていた。
城壁の補修現場を横切るワイチと晴明は、瓦礫の山を縫うように歩き、崩れた城壁の亀裂を眺めていた。
司馬懿の店へ足を踏み入れると、店先で湯呑みを両手で包み、熱い息を吐く司馬懿がいた。
「北へ向かうそうだな」
司馬懿は茶をすすりながら、二人の表情をじっくりと観察し、問いかけた。
「陰陽五行はどうだ。少しは、何か感じるものはあるか?」
「いや……まだ自分に何ができるという、具体的なものがわからなくて」
ワイチが頭をかきながら苦笑すると、司馬懿は湯呑みを置き、その縁を指でなぞりながら言葉を紡いだ。
「まずは色々と経験して、自分で考え、見つけるしかないぞ」
「それから一つ忠告しておくぞ。北西の大湖には麒麟が生息しているんだが、もし見かけても、絶対に近付くなよ。あれは四神とは次元が違う、神そのものだ。関われば、命の保証はできん」
「麒麟……それほど危ないのですか」
ワイチの問いに、司馬懿は迷いのない眼差しを向けた。
「とにかく関わるな。それだけ覚えておけ。お前たちには生きて戻ってもらわねば困るからな」
「それから晴明、式神用の紙だ。大事に使えよ」
「助かります。また戻りましたら、囲碁の相手をしてくださいね」
晴明が司馬懿の肩を軽く叩いて笑い、店を後にした。
その頃、村正宗の工房では、金属を打つ槌の音が心臓の鼓動のように響いていた。
村正宗は武蔵の刀の刃先を、我が子を慈しむように拭き上げている。
「随分と使い込んだな。刃の鳴りに、迷いの残り香が残っているぞ」
「最近忙しくてな。色々と試したい事が多くて、息をつく暇もなかったんだ」
武蔵が苦笑して肩を揺らすと、正宗は砥石に水を滴らせた。
「刀は働かせるためにあるが、手入れを怠るな。お前は分かっていてもやらんからな」
「へっ、耳が痛いね」
武蔵が横の小次郎に視線を向けると、小次郎は苦笑しながら頷き、正宗へ向かって口を開いた。
「正宗、俺たちの刀も頼むよ。北は、今までの戦場とは質が違う気がするんでな」
「分かっている。あそこも魔物が活発になっているという噂だ。最高の状態に仕上げて送り出してやる」
シャリ、シャリと、砥石が刃を削る硬質な音が工房を満たし、三人の緊張が溶け合うように混ざり合った。
一行の準備は、北へ向かう者たち特有の静かな儀式として進んでいく。
「これでいいのか?」
しん吉が干し肉を山ほど抱えたまま、ふらつく足で歩いている
「お前、それ全部食い物じゃねぇか」
「旅は飯が命なんだよ!」
「怪我したらどうすんだよ」
きゅうすけが薬草の袋を押し付けた。
二匹が荷物を引っ張り合う横で、
「干し肉は十分ね。でも、極寒地に入るから、薬草の調合は凍結しても使えるものに変えておかないと」
阿国が麻袋の口を硬く結びながらナリアに声をかけた。
「そうね。それと、凍傷対策の軟膏も多めに必要だわ。阿国、楽器の調律は大丈夫か?」
「問題ないわ。いつでも弾けるように道具を持ち歩いているから」
空海が積まれた荷物を確かめながら、周りを見回して一行を促した。
「命あるものが集まれば、どんな場所も道になる。……行くぞ、みんな」
翌日、謁見の間に進み出た一行を前に、王座の竜王がワイチへ視線を向けた。
「北へ向かうそうだな」
「はい、北の調査へ向かいます。ですがその前に、気になることがあります。白虎様が仰っていた、西の異常な寒さです」
謁見の間の空気が引き締まった。
「西か、北の調査を優先するのではなかったのか」
「西を調べながら北へ行きます。そうすれば、寒さの原因がわかるはずです。放置すれば、この王都にも寒波が来るかもしれませんから」
王はしばらく沈黙し、やがて深く考え込みながら、ゆっくりと頷いた。
「……なら調査してくれ。宜しく頼む」
王都を後にした一行の道中に魔物が襲いかかってきた。
「双頭犬だ!」
ワイチの叫びが雪原の静寂を叩き割り、その声と同時に雪煙を巻き上げながら二頭の双頭犬が猛然と飛び出し、四つの口から白い息を荒く吐き散らして一直線に突っ込んできた。
晴明が叫ぶ!
「魔狼、行け!」
晴明の短く鋭い号令に、三体の魔狼が雪を蹴り上げて飛び出した。中央の一体が正面から敵の牙を受け止めて注意を引きつけている隙に、残る二体が左右へ大きく弧を描き、双頭犬の首元へ同時に食らいついた。
「阿国!」
笛の鋭い音色と重苦しい鼓の音が雪原に響き渡り、二つの旋律が重なるその音に乗って武蔵と小次郎の足が雪原を加速し、
「任せろ!」
と武蔵が吠え、その叫びに呼応して天魔剛衝斬が空間を切り裂き、荒れ狂う剣気が双頭犬の頑強な肉体を正面から一気に引き裂き、真っ二つになった巨体が雪原へ崩れ落ちていった。
もう一頭の双頭犬が、まとわりつく魔狼を荒々しく振り払い、小次郎の眼前に跳躍した。
「遅い、飛燕」
小次郎の姿が双頭犬の横を掠めるように抜けた。
双頭犬が小次郎の気配を追ったその刹那、残像を引きずるように飛燕返しが閃き、首を狙い澄まされた一撃を受けて双頭犬の動きが動きを止め、数歩よろめいて雪原へ倒れ伏した。
戦闘の騒めきが急速に凍てつく空気の中へ吸い込まれ、静寂が戻った雪原で、武蔵が肩に刀を担ぎ上げ、小次郎は刃に付いた血を払うように一振りした。
ワイチは倒れた双頭犬を見つめながら、南海道での戦いを思い出していた。
かつては死力を尽くしても手こずった相手でありながら、今や連携を確認する間もなく葬り去られている現状を肌で感じ、
「みんな……本当に強くなりましたね」
ワイチの言葉を、冷たい風が静かに雪原の向こうへと運び去っていった。
だが、北へと進むにつれ、吐く息は白く濁り、空気そのものが凍てついていった。
やがて一行は北へと進路を取り、氷の森の静寂に足を踏み入れた。
木々には霜が降り、世界から音が奪われていく中で、武蔵がふと足を止める。
猛る吹雪の向こうで、山脈のごとき黒い巨影が地響きを伴ってゆっくりと動き出した。
上空を横切った鳥の群れが、山脈の頂をかすめたその直後だった。
何の前触れもなく、彼らは生命の火を消されたかのように虚空から雪原へ叩きつけられた。舞っていた羽は無様に乱れ、雪煙の中に沈んでいった。
ワイチは、背筋を這い上がるような嫌な予感に身体を強張らせた。
「なんだ……あれは……」
ワイチの瞳に、圧倒的な質量が覆いかぶさるように映り込んだ。
一行はただ息を呑み、その沈黙は激しい吹雪の中に飲み込まれていった。
次回予告
武蔵
「双頭犬なんざ相手にならなくなった。俺たちも随分強くなったもんだ」
「だが、最後に見たあれだけは気に入らねぇ」
「鳥が空から落ちて、山みてぇなもんが動いてやがる」
「寒さの原因か、それとも別の何かか」
「ま、行って確かめるしかねぇな」
次回
第37話 寒さの根源




