奪われた妖刀
王都の門をくぐった瞬間、鼻を突いたのは焼けた家屋と煤けた石壁、そして何より生々しい血の臭いが混ざり合った、この世の終わりを告げるような重苦しい空気だった。
昨日まで活気に満ちていたはずの大通りは見る影もなく、崩落した屋根が道を塞ぎ、砕けた看板や横倒しになった荷車が無残な惨状を物語っていた。
桶を抱え、涙を流しながら火の消し止まない場所へ走る住民や血に染まった腕で担架を運ぶ兵士、道端で怪我人を抱き締め、枯れた声で助けを求める女たちの叫びが耳を劈いた。
「なんだよ……これ……」
きゅうすけの震える声が、その場の惨状を象徴していた。
ようやく帰ってきたという安堵は、門をくぐった瞬間に無惨な現実へ叩き潰されていた。
「見てる場合じゃねぇな」
武蔵が低く吐き捨てて駆け出した。
その先では倒れた柱の下から血まみれの腕が伸びていた。
「助けてくれ!」
「おう、待ってろ!」
武蔵と小次郎が左右から柱へ飛び付き、「せーのっ!」という掛け声とともに渾身の力で持ち上げる。
その隙へワイチが飛び込み、下敷きになっていた男を引きずり出した。
「げほっ……げほっ……」
男は石畳へ転がりながら激しく咳き込み、ナリアが即座に膝をついて裂けた額へ治癒術を施した。
傷口が塞がるのを見て男は何度も頭を下げるが、周囲からは次々と別の悲鳴が上がっていた。
「あっちにもいるぞ!」
「誰か来てくれ!」
「子供がまだ中だ!」
怒鳴り声が交差し、一行は散らばり、必死の救助を開始した。
崩れた瓦礫から男を助け出し、煙に巻かれた老人を背負い、意識を失った子供を抱えて安全な場所へ走る。
空海が術を飛ばし、ナリアが傷を癒やし、しん吉ときゅうすけも泥にまみれながら奔走した。
どれだけの時間が経っただろうか?火の勢いがようやく弱まり始めた頃、一行は救助を続けながら王都の奥へ進んでいた。
王都全体が破壊されているのは事実だが、進むにつれて壊れた建物や吹き飛ばされた壁が妙に一直線に並んでいることへ気付いた。
壁が砕かれ、石柱が折れ、荷車が弾き飛ばされ、その跡はまるで巨大な何かが奥へ向かって突き進んだ道筋のように続いていた。
進めば進むほど焼けた木の臭いに混じって鉄錆の臭いが強くなっていった。
辿り着いたのは正宗の工房だった。
全員の足が止まる。
工房の惨状は王都のそれとは比較にならなかった。壁は崩れ、炉は横倒しになり、鍛えかけの刀や資材がゴミのように散乱していた。
棚は粉々に砕かれ、道具は乱雑に打ち捨てられていた。
「ひでぇ……」
きゅうすけの声が掠れる。
その場へ立っただけで分かった。怒りに任せて壊したのではなく、何かを見つけるまで片っ端から壊し続けたような執念が工房全体へ染み付いている。
「正宗さん!」
ワイチが工房の奥へ飛び込んだ。
崩れた棚の下で、正宗が血を流して倒れていた。
「正宗さん!」
肩を抱き起こしても反応はない。武蔵が棚を退かし、小次郎が周囲を警戒し、ナリアが急いで治癒術を施して、しばらくしてから正宗の瞼がかすかに震えた。
「……お、お前らか」
今にも消えそうな掠れ声だった。
「正宗さん、しっかりしてください!」
正宗は苦しげに息を吐きながら、震える指をゆっくりと工房の裏へ向けた。
「杉山神社だ……急げ」
ワイチの心臓が嫌な音を立てて波打った。
一行は駆け出し、石段を駆け上がり、鳥居をくぐった。
石段の頂上へ辿り着いた瞬間、全員が言葉を失った。
石段も、鳥居も、境内も、乾きかけた赤黒い血で塗り潰されていた。
誰かが負った程度の傷ではなく、そこには凄惨な死闘の跡が刻まれていた。
「風ちゃん! 雷ちゃん!」
ワイチが叫びながら境内へ飛び込んだ。
本殿の前も、石灯籠の影も、社務所の裏も探すが、どこにもいない。
「風ちゃん! 雷ちゃん!」
神社には、ワイチの悲痛な叫び声だけが響いた。
ふと、ワイチの視線は本殿の奥へ吸い寄せられた。
封じられていた台座に、妖刀の影も形もなくなっていた。
「ない……妖刀が……」
背後に足音がし、振り向くと傷だらけの身体を引きずりながら、正宗が石段を登ってきた。
空になった台座を見るなり顔を歪めた。
「あの野郎……持っていきやがった……」
「青白い男ですか」
「そうだ。風雷が止めていた。斬られても、斬られても立ち上がり、あいつらは最後まで立ち向かったんだ。そして……持っていかれた」
「風雷はどうなったの?」
ワイチの声に、正宗は首を横に振った。
「分からねぇ。俺が見たのは、奴が風雷ごと連れていったところまでだ」
そこへ一人の兵士が境内の奥から震えながら姿を現した。
「……あいつらは、最期まで誇り高かった」
生き残った兵士は、震える手で自身の膝を握りしめながら、境内で起きた光景を絞り出した。
「男が境内に足を踏み入れた瞬間、風と雷が石段から飛び出したんです。最初から勝てるはずのない相手だと、あいつらも分かっていたはずだ……それでも、神社の守護者として、絶対に台座へは近づけまいと、死に物狂いで立ち塞がった」
兵士の目に、あの時の凄絶な光景が蘇る。
風が巻き起こした猛烈な突風が男の歩みを押し返し、境内の木々をなぎ倒した。雷は咆哮と共に天から青白い雷光を叩き落とす。
男の漆黒の衣装が焼け焦げ、鋭い閃光が頬に一筋の切り傷を刻んだ。二匹の連携は寸分の狂いもなく、男を何度も石段の下へ押し戻した。
「ですが、男は……化け物でした」
兵士は顔を歪める。
「何度吹き飛ばされても、風と雷は立ち上がった。牙を剥き、爪を立てて、男の足を止めていた。
最後には二匹とも全身から血を流し、息も絶え絶えだった。それでも立ち上がるたびに男の前へ立ちはだかり、命を削って抗い続けたんです」
でも、二匹の奮闘はそこで力尽きた。
男は飽き飽きしたように腕を振るい、二匹を石畳へ叩きつけた。動かなくなった首元には、どこからともなく現れた黒い鎖が巻き付いていた。
「それから……信じられないものを見ました」
兵士の声が震える。
「二匹の深い傷口へ、男の影から這い出た黒い泥のようなものが、ぐちゅりと入り込んでいったんです。風も雷も、あまりの苦しさに喉から血を噴き出し、痙攣して……」
最後は目を覆いたくなるような光景でした。
「男が歩き出すと、鎖に繋がれた二匹は拒絶するように脚を突っ張った。でも男が鎖を強く引くたびに、二匹は地面を引きずられながら連れ去られていったんです……血の跡だけが、境内を長く横切っていました」
ワイチは血の跡を見つめていた。
風雷がいつも座っていた台座、首輪を渡してくれた時の穏やかな笑顔、そこに二匹はもういない。
血だまり以外、何も残っていなかった。
武蔵が拳を握り締め、
「くそっ……」
地面へ叩き付けた拳の音が境内へ響いた。
「目の前にいたら斬ってやるのによ」
その悔しさに誰も返せなかった。
正宗は空になった台座を見つめたまま、絞り出すように呟いた。
「まずいんだ……あれは、本当にまずいんだ。お前ら、前に話したよな。俺が打った刀が妖刀になって戻ってきたって」
「あれは俺の最高傑作だった」
その声は深い後悔に濡れていた。
「あいつはとても気持ちのいい男だった。強かったのに威張らねぇし、飯を食えば旨そうに食っていた。酒を飲めば大笑いし、刀の話になると目を輝かせて聞いてきやがる」
「勇者だ英雄だって周りは騒いでたが、本人はそんなことまるで気にしてなかった」
「工房にもよく来ていたよ。用もねぇのにふらっと現れて、『正宗、今日は何を打ってるんだ?』なんて聞いてきやがる。
忙しい時は邪魔で仕方なかったが、それでも来ると何だか工房が明るくなるような奴だった」
「だから俺はあいつをとても気に入ったんだ。こいつのために一本打ってやりてぇと思ったんだ。俺の持ってる技術を全部注ぎ込んでな。鉄も、火も、鍛えも、研ぎも、一切妥協しない最高の刀をさ」
正宗は胸元で拳を強く握った。
「完成した時は震えたよ。鍛冶師やってて良かったと思ったさ。こいつ以上の刀は二度と作れねぇって本気で思ったんだ。だから名前も付けた。それが俺の名前をつけた村正だ。鍛冶師が自分の名を刀にくれてやるなんざ、一生に一度あるかどうかだ」
静かな風が境内を吹き抜けていく。
「その刀を渡した相手がお前たちと同じ転移者の織田信長という男だ」
「織田信長だって!」
ワイチは驚き目を見開いた。
「そうだ。信長は凄かった。この世界に降り立った彼は、規格外の力を持っていた。」
「伝説の魔獣・八岐大蛇が数千の民を蹂躙した時、あいつはその巨大な首を一人で全て斬り伏せ、国を救ってみせたんだ。」
「圧倒的な武勇と、敵を追い詰める冷徹な戦術。絶望的な戦況を一人で覆すその姿は、まさに救国の勇者そのものだった。」
「誰もがあいつを崇め、あいつの下ならこの世界は変わると信じて疑わなかった。俺もその一人だった。だから村正を託したんだ」
正宗の声が沈んでいく。
「だが、あいつはあまりにも強すぎた。何があったのかは分からねぇ。俺は見てねぇからな。ただ、ある時を境に嫌な噂ばかり聞くようになった」
「村が滅んだ、街が消えた、信長が率いていた軍が魔物を従え、そんな話があちこちから聞こえてくるようになった」
「最初は誰も信じなかったさ。俺も信じなかったよ、あいつがそんなことするはずがねぇってな」
「だが噂は一つや二つじゃなかったんだ。信長の名を聞いただけで震える奴が現れ、勇者と呼ばれていた男は、いつしか魔王と呼ばれるようになっていた」
ワイチは息を飲んだ。
「最後は、あいつと一緒に戦っていた転移者たちが立ち上がったらしい。詳しい戦いは知らねぇ。だが、討たれたって話だけは俺の耳にも届いたよ」
「戻ってきたのはあの刀だけだったのさ」
その声は震えていた。
「あれはもう俺の知ってる村正じゃねぇ。触れた瞬間に分かったよ。嫌な汗が噴き出し、握ってもいねぇのに、背筋が凍ったさ」
「人を守るために打った刀だ。魔物から人を守るために、信長と一緒に戦うために打った刀なんだ」
「なのに違った、あの刀から伝わってきたのは、人を守った誇りなんかじゃねぇ。何百、何千という怨みや憎しみがこびり付いていた。俺にはそう感じた」
「あんなものを俺は作った覚えがねぇ。だから封じたんだ。あれ以上誰の手にも渡しちゃいけねぇと思った」
「だから風雷に頼んだんだ。あの刀を誰の手にも渡らないように見張ってくれとな」
「あいつなら抑えられると思っていた。実際、何十年も何十年も風雷は文句ひとつ言わず、俺が作っちまった厄介事を守り続けてくれた」
「俺は甘えてたんだろうな。風雷がいる限り大丈夫だって」
ワイチの胸が締め付けられた。
風雷の笑顔、四神を案じていた姿、首輪を渡してくれた時の姿、別れ際の声、あの二匹にどれだけ癒され助けられたか。でも、今はどこにもいない。
夕暮れの陽光が境内へ差し込み、血痕を赤黒く照らしていた。
誰も言葉を発することができなかった。
風雷も、妖刀も、もうそこにはない。
ただ、取り返しのつかない何かが始まってしまったという事実だけが、全員の胸へ重くのしかかっていた。
次回予告
ハロルドだ。
王都は未だ混乱の最中にある。だが、事態はそれほど悠長に構えていられる状況ではない。
陛下がお前たちをお呼びだ。報告すべきことも、確認すべきことも山ほどある。
次回、第33話「招集、王への報告」




