西の神獣白虎
雪山の奥深く、風が刃のように吹き荒れる谷を進んでいた一行は、突如として不思議な感覚に包まれた。
「……あれ? 寒くない……?」
さっきまでの極寒が嘘のように、その開けた広場には穏やかな空気が満ちている。そこは神獣の加護によって守られた『聖域』であり、雪が一切ない緑地であった。だが、その光景はあまりに異常だった。
「……いたぞ! あれが西の神獣、白虎様だ!」
白虎様は狂ったように咆哮を上げ、自らの頭をゴツゴツとした岩壁に激しくぶつけていた。
凄まじい力で岩が砕け、土煙が舞う。白銀の毛並みには黒い筋のようなものが混じり、本来の美しさを黒く侵されているようにも見える。意識が飛び、ただ苦痛から逃れるために走り回るその姿に、ワイチは息を呑んだ。
「あのままじゃ近付けません。少し見てきます」
「無茶するなよ」
武蔵の声を背中に受けながら、ワイチは岩陰から岩陰へ身を滑り込ませ、暴れ回る白虎様へ目を凝らした。白虎様が岩壁へ頭を叩きつけ、土煙の中で身体を捻るたび、黒い流れが身体の中で荒れ狂っているのが見える。首、背中、尻尾の付け根、そして腹。四つの黒い結晶が食い込み、流点もはっきり見えていた。
ワイチは仲間の元へ戻った。
「結晶は四つです。首と背中と尻尾の付け根、それから腹にあります」
「どうやる?」
武蔵が白虎様の暴れ方を見ながら尋ねる。
「まず首です」
ワイチは白虎様へ視線を向けたまま続けた。
「阿国さんは笛で俺達を速くしてください」
「任せてください♪」
「晴明さんは魔狼四体で白虎様の前足と後ろ足を押さえてください」
「分かった」
「武蔵さんと小次郎さんは気を引いてください」
「おう」
「任せろ」
「空海さんは全員に結界をお願いします」
「承知した」
「ナリアさんは回復をお願いします」
「はい!」
最後にワイチはしん吉ときゅうすけを見た。
「二人は後ろだ」
「言われなくてもそうするぞ!」
「怖いもん!」
「では、行きましょう!」
全員が頷いた。
阿国の澄んだ笛の音色が響き、ワイチ達の身体が軽くなった。
「魔狼、行きなさい!」
晴明の魔狼四体が一斉に飛び出し、二体が前足へ、二体が後ろ足へ食らいついた。
武蔵と小次郎が左右へ散って白虎様の意識を引っ張る為に、峰打ちを当てる。
「結界!」
空海の結界が全員を包んだ。
その一瞬の隙を逃さず、ワイチは白虎様の背中へ飛び乗った。
「一番上、首の後ろの結晶だ! あそこならいける!」
だが暴れる白虎様の体幹は想像を絶する波打ち方をしていた。
激しい肉の振動に、ワイチの体は大きく跳ね上げられる。
「くそっ、手元が定まらない……!」
「よし、ここだ!」
流点を狙い、鉄槌を打ち下ろすと同時に、流点からずれたところに打ち込んでしまった。
痛みで白虎は体を捻り暴れた。
「グルゥゥオオオオオオオオアアアッッ!!!!」
白虎様はさらに狂ったように暴れ、前足に食らいついていた魔狼を壁に叩きつけ、もう一体は地面へ叩きつけられて消えた。
後ろ足を押さえていた二体も引きずられ、身体を捻られた勢いで振り払われた。
拘束が外れた瞬間、白虎様の背中が大きく跳ね、ワイチの身体は宙へ投げ出され、打ち込んだ霊杭も外れた。
「ワイチさん!」
ナリアの叫びが響く。
ワイチは空海の結界に守られながらも岩壁へ叩きつけられ、全身に走る衝撃で息ができなかった。
「……あの激しい暴れ方の中で、どうやって正確に流点を突けというのだ。今のままでは、何度繰り返しても失敗する……」
でも、なんとかしないとという思いで立とうとするが、立てなかった。
「ワイチ、これでは無理だ、一旦引こう!」
小次郎が肩を貸して、その場から脱出した。
命からがら聖域を脱出した一行は、近くの村へ戻った。
聖域から出た途端、再び容赦のない吹雪が肌を刺した。
宿の一室に集まった一行は、暖炉の火を囲みながら夜遅くまで知恵を絞った。
「縄で縛るか?」
武蔵が腕を組みながら口を開く。
「切られます。あの力なら一瞬です」
ワイチが首を振ると、小次郎が壁に背を預けたまま続けた。
「なら鎖はどうだ。縄よりは持つだろう」
「巻く前に潰されるだろうな。そもそも、あの暴れ方では近付くことすら難しい」
晴明の言葉に、阿国が笛を膝へ置きながら考え込む。
「大きな網で包むとか……?」
「近付けるなら苦労しねぇ」
武蔵が顔をしかめると、しん吉が泣きそうになって話す。
「あんなの近付きたくないぞ! 絶対怖いぞ!」
「きゅうすけも嫌だもん!」
「穴へ落とすという手もあるが……」
空海が火を見つめながら呟く。
「掘っても、あの動きではすぐに穴から出ますよ」
小次郎が言うと、部屋に重たい沈黙が落ちた。
ナリアはワイチの傷を癒やしながら、悔しそうに唇を噛むワイチを見つめている。
「流点は見えてるんです。結晶も見えてる。なのに正確に打てないんです……」
ワイチの拳が震えながら、暖炉の薪がぱちりと爆ぜた。
「どうだろ、赤い狐の里の長老様に知恵を借りるというのはどうだろうか」
空海の静かな声に、全員が顔を上げた。
「長老なら何か知恵を貸してくださるかもしれんな」
翌朝、一つの希望を胸に、一行は赤い狐の里へ向かった。
赤い鳥居が連なる参道を抜け、長老の家へ入ると、ワイチは白虎様の状態と治療の失敗をすべて話した。
長老は腕を組み、目を閉じたまま黙って聞いていた。
悩んだ末の答えは?
「うーむ……神獣の暴走を御す妙案となると、わしにもすぐには浮かばんのう」
長老ですら頭を抱えていた。
正直、手詰まりとなったワイチは、どうすればいいか、悩んでいた。
悩みながら一人歩いていると里の川辺まできていた。
頭の中では、白虎様の背中で霊杭が外れた瞬間が何度も繰り返された。
見えているのに届かない、打てるのに、正確に打てない、どうすればいいのか?答えが出ずに焦りだけが出ていた。
その時、一匹の狐の釣り師が目に入った。激しい水流の中でも、驚くほど安定して魚を釣り上げている。
「おっちゃん、どうしてそんなに正確に釣れるんだ?」
釣り師は笑って答えた。
「若いの、仕掛けが命よ。この『管』に糸を通して固定するから、水流が激しくても針先がフラフラ揺れねえ。それに、先端を岩場に返しでピタリと止めてやれば、餌が動かねえから魚も安心して食いつくのさ。獲物を狙うなら、揺れを殺して一点に固定することよ」
「……そうか、揺れを殺すにはまず対象を固定する土台が必要だ。その上で、筒をガイドにして杭を打ち込み、隙を見て筒だけを捨てる。これならどんなに暴れても絶対に流点を外さない!」
「鍛冶屋の皆さーん!」
ワイチは鍛冶場へ駆け込み、川辺で慌てて描いた走り書きの図面を広げた。
「頼む! 筒が割れると同時に針が戻る仕掛けを作ってくれ。まず筒から突き出した細い針を白虎様の流点に刺して仮留めし、筒を暴れる背中に固定する。そして、隙を見て筒の末端を叩けば、筒が真っ二つに割れて弾け飛ぶ。その瞬間、刺さっていた針は筒の中に引き込まれ、杭だけが正確に流点に刺さった状態で残るんだ。これなら、余計な抵抗なく杭を打ち込める!」
赤い狐の里の職人たちは図面を覗き込み、顔を見合わせた。
「なるほど、筒を『捨て駒』にしながら、針の収納まで一撃で行うのか。杭が暴れに負けず流点に留まるための、最高の仕掛けだ。だが、叩いた瞬間に正確に筒を割り、かつ針を収納するには、この噛み合わせの精度が命だぞ」
ワイチは真剣な眼差しで、職人の手元を見つめた。
「ああ、やって見せる。この筒の中に、針を出し入れするための精密な連動軸を仕込むんだ。筒の先端から針が飛び出し、筒が割れる衝撃で軸が引かれて針が戻る……あんたたちの技術なら、この『割れる筒』を完璧に作れるはずだ」
職人は力強く鉄槌を握り直した。
「分かってやがる。これを完成させれば、暴れる白虎の身体もまるで止まっているかのように確実に狙えるようになる。……だがなワイチ、道具を信じすぎて自分を見失うなよ」
「……言われなくても。この杭はあくまで俺の腕を伸ばすためのものだ。日本一の道具を打ち損じない腕を、俺が証明してやる」
鍛冶職人たちの魂がこもった作業が始まった。夜が更けても火は消えず、鉄槌の音が鳴り響く。
そして翌朝、精緻な連動機構を備えた『連動式・割れる杭打ち筒』が完成した。
手に取ると驚くほど軽く、ワイチが先端を押し当てるとカチリと音を立てて針が筒先から突き出し、筒の末端を叩くと筒が左右に弾け飛ぶと同時に、針はするりと筒の中へ引き込まれた。
「これなら……これなら、どんなに激しく暴れても大丈夫だ。筒という邪魔が消えれば、杭は最初から流点に打ち込まれていたかのように正確に固定される」
ワイチは完成したその道具を握り締めた。
今度こそ、必ず神獣を救い出すために。
次回予告
しん吉だぞ!
白虎様を助ける方法は見つかったぞ!
ワイチもずーっと悩んでたけど、ようやく答えに辿り着いたんだ!
これで本当に白虎様を救えるのか?
そして白虎様が語る、新たな手掛かりとは――?
次回、
『闇から解き放たれた神獣』
絶対見てくれよな!




