白銀の大地
朱雀を救ったワイチたちは、白虎の手掛かりを求めて西へ向かった。
赤いキツネの里を離れてから、景色は少しずつ変わっていった。土の道は白く凍り、木々の枝には重たい雪が積もり、歩くたびに靴の下で雪がぎゅっと鳴る。
やがて一行の前に、小さな村が見えてきた。
家々の屋根には厚い雪が乗り、煙突から細い煙が上がっている。村の入口では、厚手の外套を着た男が薪を抱えながら雪道を踏み固めていた。
「旅の人か。こんな時期に、よくここまで来たな」
男は薪を抱え直しながら、ワイチたちの装備を見回した。
「この先へ行くつもりなら、その格好じゃ命がもたないぞ」
ワイチは白く曇る息を吐きながら前へ出た。
「この先の山に用があるんです。最近、この辺りで何か変わったことはありませんでしたか?」
男の顔が強張った。
「変わったことだらけだ。昔から寒い村ではあるが、ここまでじゃなかった。朝に井戸へ行くだけで指先の感覚がなくなる。家畜小屋の水桶なんて、火で炙らなきゃ割れもしない」
近くの家から老婆が出てきて、扉を閉めながら話に加わった。
「それに魔物だよ。前から雪原にはいたけど、あんなふうに村の近くまで来ることはなかった。二つ頭の犬どもが群れで走り回って、牙猪まで柵を壊しに来る。猟師も山へ入れなくなった」
「寒さが強くなったのと、魔物が暴れ出したのは同じ頃ですか?」
ワイチが尋ねると、男は雪を踏み固めていた足を止めた。
「ああ、同じ頃だ。最初はたまたまだと思っていたが、今じゃ誰もそうは思っていない」
その時、村の奥から子供を抱えた女が駆けてきた。
「また夜に聞こえたんだよ。山の奥から、獣の声が」
老婆は肩をすくめ、家の戸口に吊るされた布を風から守るように押さえた。
「毎晩だよ。遠吠えなんてかわいいもんじゃない。山が怒鳴ってるみたいな声さ。あれが聞こえる夜は、風が余計に荒れる」
きゅうすけは赤い腹巻きを押さえながら、山の方へ顔を向けた。
「白虎様……なのかな」
ワイチは答えず、雪雲に隠れた山並みを見つめた。
村人の話を聞いた一行は、まず防寒具を揃えることにした。厚手の外套、手袋、毛皮の靴、耳まで覆う帽子。店の中では、村の女たちが炉の火に薪をくべながら、旅人用の防寒具を次々と広げていく。
「山へ行くなら、これでも足りないくらいだよ」
店主の女は毛皮の外套をワイチへ押し付けるように渡した。
「それと、途中で無理だと思ったら戻りな。今の雪原は人が歩ける場所じゃない」
装備を整えたワイチたちは、村人たちに見送られながら雪原へ出た。
風は村の中よりも鋭く、顔に当たる雪が細い針のように痛い。足元の雪は深く、一歩進むたびに膝の下まで沈む。阿国は笛を胸元にしまい込みながら、凍えた指を何度も握り直していた。
その時、白い雪煙の向こうで黒い影が走った。
二つの頭を持つ犬が、五、六匹。
右の口から白い冷気を吐き、左の口から紫色の毒霧を漏らしながら、一行を囲んでいく。
「来るぞ!」
ワイチの声と同時に、空海が前へ出て結界を張り、双頭犬が吐き出した毒霧を弾いた。
武蔵は凍った雪面に足を取られながらも踏み込み、横から飛び込んできた一匹を斬り払う。小次郎は長刀を雪煙の中へ滑らせるように振り抜き、続けて二匹の首筋を裂いた。
阿国が笛を唇へ当てる。
澄んだ音色が雪原へ響き渡った。
「皆さん! 速度を上げます!」
軽快な旋律とともに一行の身体を流れる気が活性化し、重かった足取りが軽くなる。
ナリアは杖を掲げた。
「癒しの光よ」
淡い光が仲間たちを包み込み、戦闘で受けた傷が少しずつ癒えていく。
ワイチは双頭犬の身体の中を流れる気を見た。青い流れが乱れ、その奥に黒い筋が絡みついている。
「やっぱりおかしい……!」
最後の一匹が動こうとした瞬間、晴明が静かに印を結んだ。
「――火燧九曜!」
その鋭い掛け声とともに、彼の指先から九つの火球が連なって弾け飛び、猛烈な勢いで雪原を駆け抜けて双頭犬たちを飲み込んだ。
白い雪が激しく蒸気を上げ、冷気と炎がぶつかり合った。
炎から逃れようともがく双頭犬へ、武蔵と小次郎が駆け込む。
「終わりだ!」
武蔵の剣が振り下ろされ、小次郎の長刀が閃いた。
双頭犬の群れが雪の上に倒れる。
だが、息を整える間もなく地面が震えた。
雪原の奥から、巨大な牙猪の群れが突っ込んでくる。前へ突き出した牙は槍のように鋭く、走るたびに雪を左右へ吹き飛ばしていた。
「今度は猪かよ!」
武蔵が剣を構え直す。
牙猪の一頭が真正面から突進し、空海の結界にぶつかって鈍い音を立てて雪煙が爆ぜた。結界が軋み、空海の足が雪の中で後ろへ滑る。
小次郎が横へ回り込み、牙の根元を狙って長刀を振るったが、硬い牙に刃が弾かれた。
ワイチは叫んだ。
「牙じゃなくて足です! 突進を止めれば倒せます!」
阿国の笛がさらに高らかに鳴り響く。
「そのままです! 皆さん!」
速度を上げた武蔵が牙猪の進路を誘導する。
晴明が再び素早く印を結び、大気を引き裂くように指先を突き出した。
「――烈劫焦土!」
雪原の底から爆発するように吹き上がった天を突くほどの激しい炎柱が牙猪たちを包み込み、その巨体が苦しげな声を上げながら暴れ回る。
その隙を逃さず武蔵と小次郎が飛び込んだ。
足を斬り裂かれた牙猪が次々と雪原へ倒れていく。
最後の牙猪が倒れた時、雪原には荒い息だけが残った。
その近くで、ワイチは雪に半分埋もれた小さな黒い結晶を見つけた。
拾い上げた瞬間、胸の奥が重くなる。
「これ……やっぱりここにもばら撒いていたんだ!」
晴明が近付く。
「また黒い結晶か」
ワイチは倒れた魔物たちを見渡した。
「元々この土地にいた魔物が、これで凶暴化してるのかもしれません」
寒風が吹き抜け、阿国が肩を縮めた。
「この辺りの魔物は倒せましたが、このまま進むのは危ないです。魔物より先に、寒さで動けなくなります」
ワイチも手袋の中で指先の感覚が薄れていくのを感じていた。
「一度、村へ戻りましょう。今のことを伝えて、途中で休める場所がないか聞きます」
一行は雪原を引き返した。
村へ戻ると、村人たちは討伐の報告に驚きながらも、黒い結晶の話を聞いて顔を曇らせた。
村人の一人が妙なことを言い出した。
「そういえば、少し前に見知らぬ男が袋を担いで歩いていたんだ。たまに立ち止まったり座り込んだりしてな。ただ、青白くて気味の悪い男だったから怖くて近付けなかった」
ワイチが目を見開く。
「青白い男だって!? そいつはどこへ行きましたか!?」
「森の奥へ入っていったよ」
その話を聞いた一行は宿を借り、その夜は村で身体を休めることにした。
夕食の後。一行は暖炉の火を囲んでいたが、外の寒さを思い出すように誰もが押し黙っていた。
「青白い男……やっぱり、あの男でしょうか」
ナリアが温かい茶の入った器をそっと握りしめながら、ぽつりと言った。
「可能性は高いな」
晴明が腕を組む。
「これだけ離れた土地にも結晶がある以上、偶然とは思えん」
阿国も小さくため息をつき、不安げに肩をすぼめた。
「青龍様も朱雀様も、あれほど苦しんでいましたもの。白虎様も同じ状態なら、一刻も早く助けないといけませんわ」
「でもよ」
武蔵がどかと椅子にもたれかかり、天井を仰いだ。
「その白虎ってのが本当にいる保証はねえんだろ? 村の奴らも声を聞いただけだって言ってたしな」
「確かに、姿を見た者はいない」
小次郎が傍らに立て掛けた長刀に視線を落とす。
「今あるのは、あの不気味な咆哮だけだ。罠という可能性も捨てきれん」
全員の視線が、自然とワイチに集まった。
ワイチは真っ直ぐに燃える暖炉の炎を見つめていた。
「それでも、僕は行くべきだと思います」
ワイチは顔を上げ、仲間の目を一人一人見つめた。
「青龍様も朱雀様も、僕たちが諦めなかったから救えました。だから……白虎様だって絶対にそこにいます。僕たちを待っています」
静かな沈黙が部屋を包んだ。
それを破るように、空海が穏やかに笑って深く頷いた。
「ふむ、理屈ではないな。ならばワイチ、その目で確かめにいくとしよう」
「へっ、最初からそのつもりだけどな」
武蔵が不敵にニカッと笑い、部屋の重苦しい空気が一気に和らいだ。
夜が更けるにつれ、外の風はさらに強さを増していった。
そして夜明け前。
山の奥から地鳴りのような低い咆哮が響いてくる。
家の壁が小刻みに震え、吊るされた道具がカタカタと揺れた。
ワイチは布団から身を起こし、冷たい窓ガラス越しに暗い山並みを見つめる。
(白虎様……待っていてください)
翌朝。
一行はさらに深い雪山へと足を踏み入れた。双頭犬や牙猪の気配に警戒しながら猛吹雪の斜面を登り、夕方近く、雪に埋もれかけた無人の炭焼き小屋へ命からがら辿り着いた。
中は無人だった。
古い炉と積まれた薪があるのを確認すると、晴明が指先で炉に向かって軽く合図を送った。
それだけで、炉の薪へ小さな火種が飛び移り、パチパチと温かいオレンジ色の火が灯る。
凍りついていた小屋の空気が、みるみるうちに緩んでいった。
「さあ、皆の者、今のうちに火の側へ」
空海の言葉に、全員が崩れ落ちるように荷物を下ろした。
「うぅ~、生き返りますわ……」
阿国は真っ赤に凍えた両手を火にかざし、ようやくホッと息を吐いた。
その腕の中では、寒さで丸くなったきゅうすけが腹巻きに顔を埋めている。
新吉もワイチの肩へよじ登り、火の温もりに目を細めた。
ナリアが鍋を炉に掛ける。
「皆さん、すぐに温かいスープを作りますね」
「私も手伝いますわ」
阿国が隣に並び、二人で夕食の支度を始めた。
やがて小屋の中に温かな香りが広がる。
武蔵は火の前にあぐらをかいた。
「しかし雪原ってのは体力をゴリゴリ削られるな。さすがに堪えるぜ」
「ええ。足場が悪い上に、寒さで刀を握る指が思うように動かない」
小次郎も冷え切った長刀の柄を握り直した。
熱いスープが配られ、一行は器を手にする。
だが、ナリアは器を持ったままふと手を止めた。
「……もし白虎様を見つけられたとしても、この酷い寒さの中で、いつものように治療ができるでしょうか」
小屋の空気が静まり返る。
阿国も眉をひそめた。
「私もそれが心配でしたの。気を通そうにも、寒さで指先が震えてしまいますわ」
空海が静かに頷く。
「確かに、この極寒の地での治療は容易ではない」
ワイチは立ち上る湯気を見つめた。
不安はあった。
だが。
「ナリアさん、阿国さん、大丈夫です」
ワイチは顔を上げる。
「治療の時、寒さで気が乱れそうになったら、僕が流れを見ます。二人の気が乱れたらすぐに教えます。だから、自分を信じてください」
ナリアの表情が少し和らいだ。
「ワイチさん……そうですね」
武蔵がスープを飲み干した。
「おう、そういうことなら俺たちの出番だな」
小次郎も頷く。
「治療に集中できる環境は我々が作ります」
外では吹雪が唸っていたが、小屋の中には確かな温もりがあった。
翌朝。
吹雪は嘘のように止んでいた。
雲一つない青空の下、新雪が朝日を受けて宝石のように輝いている。
一行は雪山の奥へ続く谷筋を進んだ。
しばらく歩くと、肌を刺すような寒さすらも、不思議と少しずつ和らいでいた。
道の先には、大きく開けた白い谷の入口が広がっている。
ワイチは、その神聖な場所を見据えた。
「ここから先が……白虎様のいる場所なのかな」
一行が谷の入口に一歩足を踏み入れた瞬間。
美しく静まり返っていた白銀の大地の奥から、すべてを震撼させるような巨大な獣の荒々しい咆哮が地響きとなって響き渡った。
次回予告
ナリアです。
いよいよ白虎様がいるかもしれない場所へ向かいます。
でも、この寒さの中で本当に治療できるのでしょうか……。
少し不安ですが、私も精一杯頑張ります。
次回、
『西の神獣、白虎』
お楽しみに!




