霊杭よ、闇を打ち砕け
赤い狐の里を後にした一行は、再び火山地帯へ足を踏み入れていた。
吹き上がる熱風が肌を焼き、赤く染まる岩肌が視界を埋める。
その先にある火口を見下ろす岩場で、朱雀は静かに翼を休めていたが、一行の姿を捉えた瞬間、その黄金の瞳が、凍りつくような冷徹さで鋭く細まった。
「……また来たのか」
地鳴りのような低い声が響いた。
次の瞬間、轟音と共に爆発的な炎が噴き上がった。真紅の翼が大きく広がり、舞い上がった火の粉が容赦なく雨のように降り注ぐ。
「帰れ、二度と私の前にその面を出すな」
突き放すような、重い一言だった。
ワイチは足を止めた。熱風に気圧されそうになりながらも、決して視線は引かなかった。
「朱雀様、どうか――」
「帰れと言っている!」
朱雀の凄絶な怒号が、周囲の空気を爆ぜさせる。凄まじい威圧感に、全員の身体が強張った。
「あの時の苦しみを、私が忘れたとでも思うてか。お前たちの生半可な覚悟のせいで、私は闇に呑まれかけ、引き裂かれるような苦痛を味わったのだ。……お前たちは失敗した。それが全てだ」
ワイチは強く拳を握り締めた。爪が手のひらに食い込む。
反論の余地などなかった。朱雀を救うどころか、取り返しのつかない苦しみを与えてしまったのは、紛れもない事実だからだ。
「……はい。言い訳のしようもありません」
「ならば去れ。私はもう二度と、お前たちの独りよがりの治療など受けん」
朱雀は巨大な翼で岩場を強く叩いた。
轟音と共に熱風が吹き荒れ、一行の髪や服を激しく揺らした。
絶望的な沈黙が場を支配し、誰もが声を出すことすら躊躇うその刹那、ワイチは狂おしいほどの必死さで一歩前へ踏み出し、その場に崩れ落ちるように深く頭を下げた。
額を硬い岩肌に、激しく擦りつけた。
「お願いします! もう一度、もう一度だけ機会をください!」
「無駄だ。泥縄の言葉など、もう耳に届かん」
「今度こそ、今度こそ絶対にあなたを助けます!」
「その言葉は前も聞いたな。口先だけなら何とでも言える!」
鋭く叩きつけられた拒絶の言葉に、ワイチは息を詰まらせた。朱雀の頑なな態度は、容易に崩せるものではなかった。
その横から、阿国が堪りかねたように前へ出る。
「朱雀様……お願いです、どうか!」
「お前まで私に愚行を繰り返せと言うのか、阿国」
「違います、今度は違うんです! 私たちも、ただ闇雲に来たわけではありません!」
朱雀は阿国を冷ややかに見下ろした。
「何が違うというのだ。一度失敗した者が、二度目は上手くやれると? 笑わせるな、命を弄ぶのも大概にしろ」
その凍りついた空気を割るように、空海が静かに、しかし確固たる足取りで前へ出た。
「前回の失敗の重さ、そして我らの力不足がどれほど朱雀様を傷つけたか……一同、骨の髄まで理解しております」
「理解しているならば諦めろ。それが身の程を知るということだ」
「ですが!」
空海は真っ直ぐ朱雀の黄金の瞳を射抜いた。
「失敗したまま、あなたを見捨てるような真似は、我らの誇りが許しません。二度と過ちは繰り返さない。そのための準備を死に物狂いで整えて参りました!」
「そうだ! 俺だって、あの時めちゃくちゃ悔しかったんだぞ!」
きゅうすけが涙目で飛び出した。
「あと少しだったんだ……あと少しで助けられたのに、俺たちの力が足りなかったから……! だから、今度こそ絶対に助けるんだ!」
きゅうすけは震える拳を握り締め、朱雀を睨み返した。
「絶対に……絶対に諦めるもんか!」
激しい言葉の応酬の後、しばらく誰も口を開かなかった。
吹き抜ける熱風の音だけが、不気味に鳴り響き、朱雀の瞳には、依然として不信と警戒の色が色濃く残っていた。
やがてワイチは、震える手で背負っていた包みをゆっくりと解いた。
中から現れたのは、鈍い光を放つ一本の杭。
「これは……?」
朱雀が微かに眉をひそめた。
「霊杭です」
ワイチはそれを、自らの命を預けるように両手で高く掲げた。
「赤い狐の里の力を借り、一から作り直しました。前回の杭とは、強さも、込められた祈りも違います。……前は失敗しました。
朱雀様を、死ぬほどの恐怖と苦しみに突き落としました。だからこそ、この杭を作ったんです。今度こそ、あなたを闇から引きずり出すために!」
ワイチは一歩、また一歩と、朱雀の放つ凄まじい熱量の中を、怯むことなく進み出る。
「お願いです、朱雀様。我々の執念に、最後の賭けをしてください!」
緊迫した時間が、永遠のようにも感じられた。
火山の胎動だけが響く長い沈黙の果てに、朱雀は深く、諦念とも呆れともつかない息を大きく吐き出した。
「……本当に、どこまでも懲りない奴らだ」
怒りは完全には消えていない。だが、その声からは先ほどまでの冷徹な拒絶が薄れていた。
「朱雀様……!」
「勘違いするな」
朱雀はワイチたちを見据えた。
「お前たちを信用したわけではない。その異様な執念に、毒気を抜かれただけだ」
朱雀の全身から、陽炎のような熱波が爆発的に揺らめいた。黄金の瞳が、容赦のない凶暴さでぎらりと光った。
「ただし、もし一瞬でも手元を狂わせ、私に余計な苦痛を与えてみろ。
その時は、我が神炎を以て、お前たちを一人残らず魂ごと灰にして焼き殺してやる。……その覚悟があるなら、やってみせよ」
ワイチは息を呑みながらも、力強く、迷いなく頷いた。
「はい……! 覚悟の上です!」
ようやくもぎ取った、命懸けの、本当に最後のチャンス。
ワイチは霊杭を握り直し、朱雀の身体へと近付いた。
黒い霧が渦巻く流れを見極める。
首に一つ、右の翼に一つ、左の翼に一つ。
朱雀の神聖な肉体を蝕む黒い結晶は、合わせて三つ。前回刺さって砕けた結晶は元に戻っていた。それも、前回よりさらに大きく禍々しくなって。
「ありました……!」
ワイチは腰を落とし、霊杭を構える。心臓の鼓動が耳の奥でうるさいほどに鳴り響いていた。
「いきます……ッ!」
最初の一撃が、首の結晶へと猛然と打ち込まれた。
カァン! と、張り詰めた空間に乾いた金属音が響き渡った。
結晶にピキリと亀裂が走り、一撃で砕け散った。前回の杭は、刺した後に抜けなくなって苦戦したが、この霊杭は黒い結晶をすんなりと打ち砕いたのだ。
ワイチの目が見開かれる。
「まずは一つ……! 砕けたぞ、いける!」
前回とは明らかに違う、確かな手応え。
砕けた亀裂から、凄まじい勢いで黒い怨念の煙が噴き出した。
「きゅうすけ!」
「任せろぉ!」
きゅうすけの放つ強烈な浄化の炎が、朱雀を包み込もうとする黒い煙を瞬時に焼き払っていく。
間髪入れず、ワイチは右の翼、そして左の翼へと、渾身の力を込めて霊杭を打ち込んでいく。
ガァン! ガァン! と、小気味よい音が火山地帯にこだまし、最後の結晶へ霊杭が深く突き刺さった。
パリィィィン!!!
不気味な黒い結晶が、光の粒子となって完全に四散する。
それと同時に、朱雀の全身を苦しめていたどす黒い呪いの流れが、音を立てて崩壊し始めた。
覆い尽くしていた闇が退けられ、本来の神聖な赤い流れが、怒涛の勢いで全身へと広がっていく。
「おおおおおっ!」
朱雀の咆哮とともに、紅蓮の炎が爆発的に燃え上がった。天を衝くような巨大な火柱が空へと伸び、周囲の闇を完全に打ち砕いた。
やがて、激しい炎が静かに収まっていった。
朱雀はゆっくりと、本来の美しさを取り戻した大翼を広げた。その神々しい表情から、あの忌々しい苦しみは完全に消え去っていた。
「終わったのか……」
ワイチは霊杭を握ったまま、膝から崩れ落ちそうになるのを堪え、大きく息を吐き出した。
「成功、です……! やりました!」
朱雀は静かに、澄み渡った空を見上げた。
「……そうか」
その声には、先ほどまでの刺々しさは微塵もなく、深い深い安堵が滲んでいた。
「……見事だ。無礼な言葉を重ねたな。礼を言う、勇敢な人間たちよ」
一同の顔に、張り詰めていた緊張を溶かすような、最高の笑みが広がった。
しかし、空海が表情を引き締め、一歩前へ進み出る。
「朱雀様、安堵したところを恐縮ですが、お聞きしたいことがございます。あなたほどの神獣様が、一体なぜこれほどの闇に身を落とすことになったのですか?」
朱雀は長い沈黙の後、悔しげに目を細めた。
「……私は、四神としてこの地を任されて間もない、代替わりしたばかりの若き身。未だ己の力を完全に掌握しきれていなかった。その心の隙を突かれたのだ」
「隙を突かれた、というと?」
ワイチが問いかけた。
「何者かが影から放った『黒い矢』だ。それが私の肉体を射抜き、底知れぬ呪いと闇の力を流し込んできた。抗おうとしたが、その矢はすぐに消え、その悍ましい呪気は私の理性を瞬く間に侵食していったのだ」
「影からの黒い矢……」
空海が低く呟いた。
「それだけではない」
朱雀は西へと視線を向けた。
「西を司る白虎もまた、激しく荒れている」
「白虎様も……!」
阿国が息を呑む。
「詳しい場所までは分からぬ。だが、遠くから荒れ狂う気配だけは伝わってくるのだ。奴も私と同じ、いや、それ以上の闇に呑まれているやもしれん」
朱雀は自らの胸から、一枚の燃えるように赤い羽を抜き取り、ワイチの前へと差し出した。
「これを持っていけ」
ワイチは両手で、その温かい羽を恭しく受け取る。
「これは……朱雀様の羽をどうして?」
「まずはこれを大烏天狗に見せるがいい。奴ならば、白虎のいる場所への道を示すことができるはずだ」
朱雀は静かに、しかし強く祈るような眼差しでワイチを見つめた。
「ワイチよ……白虎を……どうか、私と同じあの底なしの苦しみから、救ってやってくれ」
ワイチは胸の前で、朱雀の羽を強く握り締めた。
「はい! あなたの痛みを取り除いたこの霊杭で、必ず白虎様も助け出します!」
深く頭を下げ、一行は熱風渦巻く火山地帯を後にした。
◇
――大烏天狗の祠。
鬱蒼とした森の奥、厳かな空気が漂う祠の前にたどり着いた一行は、現れた大烏天狗に向かって、ワイチが手に入れたばかりの羽を掲げた。
「大烏天狗様! 朱雀様を救い出しました! これが、朱雀様から託された羽です!」
大烏天狗の鋭い視線が、朱雀の羽へ向けられる。
燃えるような赤い羽。
その奥で、火山地帯の熱とは違う、澄んだ神聖な気配が揺らめいている。
大烏天狗は一歩近付き、ワイチの手にある羽をしばらく見つめ続けた。先ほどまで張り詰めていた祠の空気が、わずかに変わる。
「……本当に、朱雀様を救ったのだな」
低く落とされた声に、ワイチは羽を掲げたまま答えた。
「はい。朱雀様は、白虎様を救ってほしいと……この羽を託してくださいました」
大烏天狗はワイチの顔を見た。
その視線は、以前のような疑いだけではなかった。
「朱雀様が自らの羽を託した。それは、言葉より重い証だ」
阿国が息を呑む。
「それでは……」
「ああ」
大烏天狗は静かに頷いた。
「お前たちを疑う理由は、もうない」
ワイチの胸に、朱雀の羽の温かさがじんわりと広がる。
「大烏天狗様、朱雀様から聞いたのです。白虎様も闇に狂わされていると……。白虎様は今、どこにいらっしゃるのですか?」
空海がすかさず問いかける。
大烏天狗は遥か西の空へ視線を向けた。
「白虎は、ここから遥か西にある、深い森の奥深くに身を潜めているはずだ」
「本当ですか!」
「ああ。だが、功を焦って急ぐなよ」
大烏天狗の声が、警告をはらんで低くなる。
「その先は、命をも凍らせる極寒の地、永遠の冬が支配する世界だ」
阿国が思わず自分の腕を強く抱いた。
「極寒の地……」
「そうだ。途中の村で、しっかりと冬の装備を整えるがいい。今のままの格好では、白虎に会う前に寒さで無残に倒れるのがオチだ。よいな」
ワイチは力強く頷いた。
「分かりました! 忠告ありがとうございます。装備を整えて、必ず白虎様の元へ向かいます!」
大烏天狗はワイチの手にある朱雀の羽をもう一度見つめた。
「朱雀様が託した願いを、決して無駄にするな」
「はい!」
一行は大烏天狗に深く頭を下げ、西へ向かった。
火山地帯の熱気が嘘のように消え、進むほどに風は冷たさを増していく。
やがて、空から白い雪が舞い始めた。
白く染まる世界の向こう、激しい吹雪の隙間に、微かな、しかし温かい小さな灯りが見えてきた。
「あれは……!」
きゅうすけが声を上げた。
雪の向こうに、小さな村が静かに姿を現していた。
次回予告
きゅうすけだ!
うわぁぁぁ! 寒い寒い寒い!
火山にいたと思ったら、今度は雪だぞ!?
でも、こんなところで立ち止まってなんかいられないよな!
次回、
『白銀の大地』
お楽しみに!




