阿国の過去
市場には、胸を突くような重苦しい沈黙が広がっていた。
妹狐は肩を小さく震わせながら立ち尽くし、姉狐は傷付いた痛みを湛えた顔のまま言葉を失っている。
その二人の前で、阿国は妹狐の肩を掴んだまま、あふれる涙を止められずにいた。
「だから……そんな悲しいこと言っちゃ駄目……!」
叫んだ声が切なく裏返り、頬を伝った涙がぽたぽたと石畳へ落ちて染みを作っていく。
いつも明るい彼女の激しい取り乱しように、ワイチたちはただ息を呑み、誰も声を掛けることができなかった。
妹狐は、自分の肩に置かれた阿国の手の震えを感じながら、呆然とその顔を見つめている。
「どうして……そんなに……」
阿国は着物の袖で乱暴に涙を拭いながら、切なげに首を振った。
「私にも……お姉ちゃんがいたんです」
その告白に、市場のざわめきが完全に消え去り、ただ静まり返る。
阿国は涙の膜が張った瞳で、遠い記憶をなぞるように空を見上げながら静かに言葉を紡ぎ出した。
「私のお姉ちゃんは、本当に凄かったんですよ」
涙声の混じる掠れた声なのに、その響きだけはどこか誇らしげだった。
「踊りが上手で、誰からも好かれてて、どこへ行っても褒められてました。みんなに愛される、自慢の姉だったんです」
語るうちに胸の奥から感情がせり上がり、阿国は胸元の服をぐしゃりと掴み締める。
「私もお姉ちゃんと一緒に踊ってました。でも、周囲の大人たちはみんな、お姉ちゃんばっかり見てた。お姉ちゃんは凄いね、お姉ちゃんは上手だね、お姉ちゃんみたいになれるといいねって……。毎日毎日、そんな言葉ばっかりが私の周りを通り過ぎていきました」
掴んだ服をきつく握り潰したまま語る阿国の姿に、妹狐の顔からすうっと血の気が引いていく。
自分の心の叫びがそのまま重なるその話を、妹狐は足元へ視線を落しながら、じっと耳を傾けていた。
「私は、お姉ちゃんが本当に大好きでした。……大好きだったから、余計につらかったんです。どれだけ頑張っても一生追い付けない気がして、私には向いてないんじゃないかって、私には才能がないんじゃないかって、ずっと思い詰めてました」
市場を吹き抜けた一陣の風が、店先の赤い旗をバタバタと激しく揺らしていく。
「ある日、ついに我慢できなくなったんです」
阿国は溢れ出る新たな涙を何度も拭いながら、過去の自分を責めるように話し続けた。
「お姉ちゃんに、心にもない酷い言葉をぶつけました。本当は大好きだったのに。本当は誰よりも尊敬してたのに……。私はお姉ちゃんなんか大嫌いだ、そう言って、お姉ちゃんの顔を見るのも嫌で家を飛び出しました」
静まり返る市場の誰一人として、口を開く者はいない。
阿国は苦しげに目を閉じ、静かに首を横に振った。
「私は逃げたんです。お姉ちゃんからじゃありません。お姉ちゃんに嫉妬して、勝手に苦しくなっていた、意気地のない自分自身から逃げ出したんです」
妹狐は自らの両手を強く握り締めながら、ただ俯いていた。
「しばらくして、頭を冷やして家に帰りました。でも、もう遅かった。本当に、何もかもが遅すぎたんです。私が逃げ回っている間に、お姉ちゃんは急に病気で亡くなっていました」
「あ……」
妹狐が小さく息を呑み、姉狐も驚きに目を見開いた。
阿国は皺だらけになった胸元へそっと手を当てながら、震える声で言葉を続ける。
「両親から、お姉ちゃんが私に残した手紙を渡されました。そこにはね、『踊りが嫌なら、もう無理して踊らなくていいよ。私のことは気にしないで、自分の好きなように自由に生きなさい。阿国、大好きだよ』って、そう書いてありました。最後まで、私のことばかり心配してくれてたんです」
頬を幾筋もの涙が伝い落ちる中、阿国は掠れた声を絞り出した。
「でも、私はもうお姉ちゃんに謝れませんでした。ごめんなさいの一言も言えなかった。本当は世界で一番大好きだったとも、二度と伝えられなくなってしまったんです」
服を押さえた手へ、痛いほどの力がこもる。
阿国は両目から大粒の涙を溢れさせながら、今度は妹狐の目を真っ直ぐに見つめ据えた。
「だから私は決めたんです。お姉ちゃんが愛した踊りで、今度はお姉ちゃんみたいに、誰かを心の底から笑顔にしようって。お姉ちゃんが、空から見つけられるように、派手な格好をしてます。だから私はこうして旅をして、今も踊り続けてます。そして、いつでも笑ってるんです。お姉ちゃんに喜んで貰うために。」
市場中の大人たちも、狐たちも、誰もが阿国の痛切な生き様に静かに耳を傾け、涙ぐんでいた。
「でもね……あの日の後悔だけは、どんなに時が流れても、私の胸の奥から消えてくれないんです」
阿国はゆっくりと妹狐の前まで歩み寄り、その小さな両肩へ、優しく、けれど確かな重みを持って手を置いた。
「だから、今ならまだ間に合うんです。お姉ちゃんが生きて、目の前にいてくれる今なら、絶対に間に合う。謝れるなら、今すぐ意地を張らずに謝って。大好きだって言えるなら、その気持ちを全部言葉にして伝えて。私みたいに、一生消えない後悔だけは、絶対にしないで……!」
妹狐は涙に濡れた目で、一歩後ろに佇む姉狐を見た。
姉狐の瞳からも、大粒の涙が静かに零れ落ちている。
妹狐は一歩、また一歩と、すり足で姉狐の方へと歩み寄り、その目の前で立ち止まった。
「ごめんなさい……」
涙をぽろぽろと零しながら、小さな頭を深く下げる。
「ごめんなさい、お姉ちゃん……! 私、本当はお姉ちゃんみたいになりたくて……!」
そこまで言いかけた妹狐を、姉狐は狂おしいほどの力で抱きしめた。
「馬鹿……」
姉狐は妹狐の髪に顔を埋め、涙を流しながら愛おしそうに笑う。
「私はずっと、あんたのことが大好きだったんだから。あんたが誰よりも頑張ってるの、一番近くでずっと見てたんだから」
妹狐は姉狐の温かい胸へ顔を埋めながら、それまでの張り詰めていた感情をすべて解き放つように、声を上げて子供のように泣き出した。
市場のあちこちから、張り詰めていた空気が解けるような、安堵した深い息遣いが漏れていく。
阿国は、しっかりと抱き合いながら涙を流す二人を見つめながら、静かに、すすり泣いた。
込み上げる涙をこらえきれず、小さく鼻をすすっていた。
自分にはもう二度と叶わない、あの日言えなかった言葉。
けれど、この目の前の姉妹には、まだちゃんと間に合ったのだった。
阿国はそっと自分の胸元に触れ、愛おしそうに微笑みながら涙を拭った。
胸の奥の後悔が消えたわけではない。
けれど、自分の言葉と過去が、今日こうして一つの未来を救えたことが、彼女の心を確かに温めていた。
「さあ、お姉ちゃん、妹ちゃん。これからも二人で、仲良く手を取り合っていってね」
阿国は振り返り、涙の跡が残る顔で、いつもの輝くような満開の笑顔を見せた。
市場の大人たちも、安堵の笑みを浮かべながら口々に二人を温かい言葉で包み込み、少しずつ、いつもの賑やかな活気が戻り始めていた。
その時だった。
「ワイチ殿!」
鍛冶場の方から声が響く。
職人狐が大きく手を振っていた。
「できましたぞ!」
ワイチたちは急いで、鍛冶場へ向かった。
炉の熱気が立ち込める中、台の上には十本の杭が並んでいた。
一本一本が淡い赤い光を帯びていた。
「これが霊杭です、お確かめを」
職人狐は一本を持ち上げる。
「浄化の術を何重にも施してあります。普通の杭とは別物です。」
隣には赤黒く輝く鉄槌も置かれていた。
「そしてこれが専用の鉄槌です。」
職人狐は鉄槌を持ち上げる。
「熱にも邪気にも負けず、霊杭の力を損なわず打ち込めるよう作ってあります。」
さらに竹筒と白い手拭いを差し出した。
「これは霊水です。使う度に必ず浄化してください。」
ワイチが受け取ると
職人狐は真剣な顔を向けて
「杭も鉄槌も邪気に触れます。放っておけば穢れが溜まりますのでご注意を」
竹筒を指差しながら、
「手拭いへ霊水を含ませて毎回拭くように。絶対に忘れてはいけません。」
「ありがとうございます」
職人たちは満足そうに笑っていた。
長老も杖をつきながら姿を見せた。
「後は頼みましたぞ」
ワイチは霊杭を見つめ、霊杭は、朱雀を救うための最後の希望!
阿国も涙を拭いながら前を向いていた。
武蔵は刀へ手を添え、小次郎は静かに頷き、晴明も空海もナリアも覚悟を決めていた。
「さあ行こう、朱雀様の元へ」
ワイチの声に全員が頷いた。
夕暮れに染まる赤い鳥居を抜けながら、一行は朱雀の待つ火山地帯へ向かって歩き出した。
次回予告
阿国です♪
みんなとっても優しいですよね。
だからこそ、絶対に助けたいんです。
そのための準備も終わりました。
後は信じて進むだけです。
次回、『霊杭よ、闇を打ち砕け!』
今度こそ、朱雀様を救ってみせます♪




