赤いキツネの里
その先にあるのは赤いキツネの里。
朱雀を救うための答えがある場所だった。
ワイチは鳥居を見上げる。
「さあ、行こう」
一行は無数の赤い鳥居が並ぶ道へ足を踏み入れた。
山の斜面に沿って建てられた家々の軒先では赤い縄飾りが揺れ、石灯籠の中では青白い狐火が静かに燃えている。
道を行き交う狐たちは買い物籠や薪を抱えながら忙しそうに歩き回り、子狐たちは笑いながら走り回っていた。
「なんだろう……」
きゅうすけが足を止めた。
「何か思い出したのか?」
「いや、全然、でも変な感じがするんだ」
里の奥を見つめるきゅうすけの横顔へ視線を向けた時、薪を抱えて歩いていた狐が立ち止まり、抱えていた薪を地面へ落とした。
「きゅうすけ……?」
狐は何度も瞬きを繰り返しながら二度見した!
「きゅうすけじゃねえか!」
その叫び声に周囲の狐たちが振り向き、店先の狐も家の中にいた狐も次々と飛び出してきた。
「きゅうすけだ!」
「本当に帰ってきたのか!?」
「おい! きゅうすけが帰ってきたぞ!」
あっという間に狐達に囲まれ、きゅうすけは戸惑いながら周りを見回した。
嬉しそうな顔も、安心した顔も、今にも泣き出しそうな顔もあり、みんな本気で自分を心配していたのだと伝わってきたが、誰一人思い出せない。
「ごめんなさい」
狐たちが首を傾げる。
「どうした、きゅうすけ」
「俺、記憶がなくて、覚えてないんだ」
騒がしかった空気がぴたりと止まった。
「覚えてない?どういうことだ?」
「分からない。でも、ここには朱雀様を救うために来たんだ。」
狐たちは顔を見合わせる。
その中で一匹の狐がしん吉に目が入った。
「オイ!なんで緑のタヌキがいるだ!よくこの里に入れたな!」
狐の怒号で空気が変わった。
「な、なんだよ、俺が来ちゃいけないのか?」
「ここは赤いキツネの里だぞ。狸が入れる里じゃないんだぞ!」
「で、でもおいら、朱雀様を助けるために•••」
「お前みたいな、緑のタヌキが来る場所じゃねえんだよ!さっきと出てけ!」
しん吉は目を真っ赤にして、
「なんで俺ばっかりそんな言われ方しなきゃいけねえんだよ、俺は何もしてないじゃないか!」
狐たちは、しん吉を睨みつけて言った。
「お前ら昔、俺たちを化かして馬鹿にしただろ」
鋭い視線がしん吉に突き刺さる。
「そんなこと言ったって、俺は知らないよ、俺も記憶が無いんだ。」
「うるさい!狸はさっさと出ていけ!」
「そこまでじゃ」
低い声が響き、狐たちが左右へ道を開き、その奥から白い髭を胸元まで伸ばした老狐が杖をつきながら歩いてきた。
「長老様、緑の狸の奴が里に入ってきたんです。」
「鳥居をくぐった客人を門前で追い返すのが、赤いキツネの里の礼儀ではないじゃろ」
狐たちは鎮まり、長老はきゅうすけへ視線を向けた。
「よく戻ったな、きゅうすけ、心配していたんじゃよ。今は何も言わなくて良い。」
きゅうすけは長老にお辞儀した。
「旅の者よ、話があるのだろう」
「はい、お願いがあり、ここまで来ました。」
「なら話は、中で聞こう」
長老の屋敷へ案内されたワイチたちはこれまでのことを話しました。
青龍を救ったこと、朱雀の現状と同じ治療方法が通じなかったこと、体内を流れる黒い流れのこと、そして、霊力を帯びた杭を打ってもらいたいことを。
最後まで聞き終えた長老は静かに立ち上がり側近に声をかけた
「職人を集めよ」
部屋の外が慌ただしくなり、
「朱雀様は、そんな状態とは。
あなた様なら、朱雀様を救えるんですね。杭を打つには少しお時間はいただきます。杭の大きさ、太さなどを職人に伝えてください」
という言葉にワイチたちは深々と頭を下げた。
屋敷を出ると、鍛冶屋が待っていました。
杭の大きさ、太さ、長さなど色々と聞かれ、すぐに鍛冶場から金属を打つ音が響き始めた。
しばらく待つしかないと言われた一行は里を見て回ることになった。
市場を歩いていると、突然子狐の泣き声が聞こえてきた。
「やめろよ!」
小さな狐娘が三匹の子狐に囲まれていた。
「また転んだんだろ」
「どんくさいもんな」
子狐たちが指を刺して笑っていた。
狐娘は悔しそうに拳を握っていた
阿国がそれを見て、間に入ろうとしたら
「何してるの!」
駆け込んできたちょっと大きい狐娘が狐娘前へ立った。
「三人で一人をからかうなんて格好悪い!最低!」
子狐たちは顔をそむけた。
「別にからかってねえよ」
「泣かせてるじゃない!」
大きい狐娘は一歩も引かず、指を刺して言い放った。
やがて子狐たちは舌打ちしながら去っていった。
狐娘は涙を拭きながら、
「大丈夫?怪我はなかった?」
大きい狐娘が膝をつきながら話しかけた。
「……うん、大丈夫」
「怪我してない?」
狐娘は首を横に振り、大きい狐娘へ飛び付いた。
「怖かったぁよーお姉ちゃん……」
「もう大丈夫だよ」
姉狐は妹の頭を優しく撫でていた。
その姿を見ていた阿国と目が合うと、妹狐は少し照れながら頭を下げた。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「私、何もしてないわよ?」
「でも入ろうとしてくれたの見えたから」
妹狐は笑顔を見せた。
阿国も微笑み返した。
妹狐は、阿国と手を繋ぎ、
「ねえ、案内してあげる」
笑顔で阿国を誘った。
市場を歩く姉妹へ、あちこちの店先から声が掛かる。
「相変わらず仲良しな姉妹だね」
「本当に妹思いの良いお姉さんだ」
「将来は立派な奥さんになるぞ」
「やめてくださいよ。そんな大したことしてませんから」
照れた姉狐の腕へ抱き付いた妹狐が、
「私のお姉ちゃんだからね! だってお姉ちゃんすごいんだよ! あそこの魚屋さんの荷物も運ぶし、お店の手伝いもするし、迷子がいたら家まで送るし!」
と自慢を始めた。
「大袈裟だよ。そんなに言われると恥ずかしいじゃない」
姉狐が苦笑すると、
「本当だもん!」
妹狐は胸を張った。
その時だった。
「おっ、ちょうど良かった!」
魚屋の店主が声を掛けてきた。
「悪いんだけど裏まで運ぶの手伝ってくれないか?」
店先には大きな木箱が積まれている。
「いいですよ」
姉狐が返事をした瞬間、
「待って! 私もやる! この前より力も付いたし、今日は絶対持てるから!」
妹狐は木箱の前へ飛び出した。
だが店主は困ったように笑った。
「気持ちは嬉しいけどなぁ、その箱は大人でも腰を痛めるんだ。妹ちゃんが無理して怪我でもしたら大変だろ?」
「でもこの前だって運んだもん!」
「運んだのは小さい箱だろ。あれとこれは全然違うぞ」
「やってみなきゃ分かんないじゃん!」
妹狐は木箱へ両手を掛けて力を込めたが箱はぴくりとも動かない。
「ほらな」
「今のは持ち方が悪かっただけだもん!」
「そういうことにしておいてやるよ」
周囲から笑い声が漏れていた。
「妹ちゃんも頑張り屋だけど、やっぱりお姉ちゃんは頼りになるねぇ」
妹狐は無理に笑顔を作った。
「そうでしょ? お姉ちゃんすごいんだから!」
そう答えながらも、軽々と木箱を抱えて歩いていく姉狐の背中を、苦しげに見つめていた。
魚屋を離れた後、阿国と繋いだ手へ込める力だけが、少し強くなり、少し先では八百屋のおばさんが声を掛けた。
「お姉ちゃん、昨日は助かったよ! この子が棚を支えてくれなかったら全部倒れてたんだ」
「私だって手伝ったよ!」
妹狐はすぐに口を挟んだ。
「手伝ったなぁ」
とおばさんは笑った。
「でも最後に棚を支えたのはお姉ちゃんだったからねぇ」
「だって私、呼ばれてから走ったもん!」
「うんうん、頑張った頑張った」
「子供扱いしないでよ!」
妹狐は頬を膨らませる。
おばさんは困ったように笑った。
「じゃあ次は頼むかい?」
妹狐の顔がぱっと明るくなるが、続く言葉に胸を突かれた。
「――お姉ちゃんくらい大きくなったらね」
周囲からまた笑い声が漏れていた。
妹狐も合わせて笑ったが、阿国と繋いだ手へ込める力は、さらに強くなっていった。
そのまま市場を歩いていく。
団子屋、乾物屋、布屋。
行く先々で姉狐は声を掛けられた。
「この前はありがとう」
「助かったよ」
「頼りになるね」
「本当にしっかりしてる」
妹狐も負けじと声を張った。
「私もやったよ!」
「私も手伝ったよ!」
「私だってできるよ!」
だが、返ってくる言葉は決まっていた。
「妹ちゃんも頑張ってるね」
「お姉ちゃんみたいになれるといいね」
「もう少し大きくなったらね」
最初のうちこそ、妹狐は
「うん!頑張る!」
と笑っていた。
だが、何度も何度も同じ言葉を聞かされるうちに、返事は短く、力なくなっていく。
阿国は黙ってそれを見ていた。
胸が痛くなる、まるで、昔の自分を見ているようだった。
妹狐の横顔へ視線を向けた。
俯きながら、無理に笑っていた。
でも、笑っているだけだ。
(……昔の私と、おんなじだ)
その時だった。
「妹ちゃんもお姉ちゃんみたいになれたら立派だねぇ」
また、あの一言が飛んだ。
ピタリ、と妹狐の足が止まった。
「私だって……」
小さな声だった。
姉狐が振り返ると
「ん?どうした?」
「私だって頑張ってるのに……! 私だって手伝ってるのに!」
市場の空気が、凍りついたように変わった。
「私だって、お姉ちゃんみたいになりたくて頑張ってるのに! みんなお姉ちゃんばっかり……!」
涙がぼろぼろと頬を伝っていた。
「お姉ちゃんはすごい、お姉ちゃんは優しい、お姉ちゃんはしっかりしてる……! 私だって、お姉ちゃんみたいに認めてほしいのに! 誰も私を見てくれない!」
握り締めた拳が激しく震えていた。
姉狐は言葉を失った。
「私はお姉ちゃんじゃない!」
妹狐は叫んだ。
「お姉ちゃんばっかり! お姉ちゃんばっかり! お姉ちゃんばっかり!」
姉狐の目にも涙が浮かんだ。
「そんなことない! 私は、あんたが頑張ってるの知ってるよ……!」
「知らないもん! 私はお姉ちゃんみたいになれない!」
「違うよ、なれるよ!」
「なれない!!」
妹狐は涙を流しながら、溜め込んでいた劣等感をすべて吐き出すように叫んだ。
「お姉ちゃんなんかいなければよかった!!」
姉狐の顔が、絶望に凍りついた。
その顔を見た瞬間――。
「やめなさい!!」
阿国が二人の間へ飛び込んだ。
「それ以上言っちゃ駄目!!」
涙を流しながら、妹狐の肩を強く掴んだ。
「本当はお姉ちゃんが大好きなんでしょ!? お姉ちゃんみたいになりたいだけなんでしょ!? それ以上言ったら、本当に取り返しがつかなくなるの!!」
阿国の目から大粒の涙が溢れ落ちていた。
「後で謝りたくなっても、もう謝れなくなるの! 後で大好きだって言いたくなっても、二度と言えなくなるんだから……!」
肩を震わせながら、妹狐を真っ直ぐに見つめた。
「だから……そんな悲しいこと言っちゃ駄目……!」
ワイチたちはビックリした。
いつも明るい阿国が、激しく泣き崩れていた。初めて見た姿だった。
阿国は姉妹狐を見て、
震える唇から、ぽつりと、秘めていた言葉が零れた。
「私にも……お姉ちゃんがいたの……」
次回予告
阿国です♪
あんな顔、みんな驚きましたよね。
私も驚きました。
ずっと胸の奥へしまっていたことなのに、気付いたら涙が止まらなくなっていました。
どうしてあそこまで取り乱したのか。
どうして今も踊り続けているのか。
次回、『阿国の過去』
私の話を聞いてください。




