第6話「虎が、身体を洗う」
朝の街道を、二人で歩いていた。
風が吹いた。
ステラ「虎様」
虎「何だ」
ステラ「一点、申し上げてもよいですか」
虎「言え」
ステラ「毛並みが、傷んでいます」
虎は立ち止まった。
虎「……毛並みが?」
ステラ「はい。岩を突き破って出てきた際の傷、クラーケン戦の潮、盗賊戦の埃。重なった汚れが毛根に詰まっています。放置すれば、毛が抜けます」
虎「……それは困る」
ステラ「はい。本日、洗います」
虎「……嫌だ」
ステラ「なぜですか」
虎「濡れるのが好きじゃない」
ステラ「クラーケンを倒しに海に飛び込んでいましたが」
虎「あれは別だ」
ステラはしばらく虎を見た。
ステラ「毛が抜けてもよいのですか」
虎「……」
虎は空を見上げた。
虎「……わかった」
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街道を外れて、
しばらく森の中を歩いた。
木々の間から、
光が差し込んでいる。
鳥の声がする。
開けた場所に、泉があった。
岩に囲まれた、小さな泉だ。
水が透き通っていて、
底の石まで見える。
ステラ「ここで洗います」
虎「冷たくないか」
ステラ「対応します」
ステラは泉の前に立って、
手をかざした。
小さな炎が、
指先に灯る。
ステラ「簡易式の火魔法です。水温を調節します」
泉の表面が、
じわじわと白い湯気を立て始めた。
虎「……お前、そんなことができるのか」
ステラ「必要最低限の機能は備えています」
虎「人形というのは便利だな」
ステラ「恐縮です」
虎が水に手を入れてみた。
温かい。
ちょうどいい温度だ。
虎「……悪くない温度だ」
ステラ「では、どうぞ」
虎は泉に入った。
最初は岩の端に座って、
腕だけ浸けていた。
ステラ「もう少し深く入っていただけますか」
虎「……これでいいだろ」
ステラ「よくないです」
ステラが木の枝に布を引っかけて、
簡単な仕切りを作った。
それから何の迷いもなく泉の脇に座って、
荷物の中から小さな瓶を取り出した。
虎「……何だそれは」
ステラ「街で買っておいた洗浄液です。毛並みの回復に効果があります」
虎「……そのために買っていたのか」
ステラ「はい。いずれ必要になると思っていました」
虎「……用意がいいな」
ステラ「洗います」
虎「……本当にやるのか」
ステラ「やります」
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最初は、
虎は身を固くしていた。
ステラの手が背中に触れるたびに、
わずかに体が揺れた。
ステラ「力を抜いてください」
虎「……難しい」
ステラ「なぜですか」
虎「慣れていない」
ステラ「誰かに洗ってもらったことがないのですか」
虎「一万年一人でいたからな」
ステラ「……そうでしたね」
ステラは黙って、
背中を丁寧に洗い続けた。
しばらくして、
虎の肩から力が抜け始めた。
お湯の温度が、
じわじわと体に染み込んでくる。
虎「……悪くないな」
ステラ「慣れてきましたか」
虎「ああ」
ステラ「よかったです」
泉の水が、
うっすらと濁った。
ステラ「やはり、相当な汚れでした」
虎「そうか」
ステラ「もう一度、洗います」
虎「……念入りだな」
ステラ「当然です。毛根まで届かせます」
二度目は、
虎は最初から力を抜いていた。
お湯の中で、
ゆっくりと目を細めている。
ステラ「虎様、眠くなっていませんか」
虎「……少し」
ステラ「お湯は眠くなります」
虎「一万年眠っていたのにまだ眠くなるのか」
ステラ「お湯の眠気は別です」
虎「……そういうものか」
ステラ「そういうものです」
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洗い終わると、
ステラが布を差し出した。
虎が泉から上がって、
身体を拭いていると、
ステラ「次は乾かします」
虎「自然に乾くだろ」
ステラ「毛根が湿ったままでは意味がありません」
ステラは再び手をかざした。
さっきより小さな炎が、
ゆっくりと揺れる。
温かい風が、
虎の全身に向かって吹き始めた。
虎「……これは何だ」
ステラ「火魔法の応用です。炎の出力を落として、温風を出しています」
虎「器用だな」
ステラ「毛根まで乾かすには、時間をかけて温風を当てるのが最善です」
温かい風が、
毛並みの奥まで通り抜けていく。
虎「……これも悪くない」
ステラ「そうでしょう」
虎「……お前、少し得意そうな顔をしているな」
ステラ「していません」
虎「している」
ステラ「……おおむね、していないと思います」
虎「おおむね、か」
ステラ「おおむね、です」
毛並みが、
ふわりと整っていった。
ステラがじっと虎を見た。
ステラ「……やはり、洗うと違いますね」
虎「そうか」
ステラ「はい。もともと、大変綺麗な毛並みをしていたのですね」
虎「……褒めているのか」
ステラ「事実を述べています」
虎「……そうか」
虎は少し、
耳の先を動かした。
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ステラが荷物を開いた。
虎「何をしている」
ステラ「食事の準備です。洗い終わったら食べるものを、街で用意しておきました」
虎「……また用意していたのか」
ステラ「はい。今日は森の中ですし、火は使えます」
ステラは小さな鍋を取り出して、
泉の脇の平らな岩の上に置いた。
指先に炎を灯して、
鍋の底に当てる。
荷物の中から、
干した肉と、
小袋に入った香辛料と、
乾燥させた茸が出てきた。
ステラ「街の乾物屋で仕入れました。山鳥の干し肉と、森茸です」
鍋に水を注いで、
材料を入れる。
香辛料の香りが、
森の空気に混ざった。
しばらくして、
ぐつぐつと煮立ってきた。
ステラ「どうぞ」
虎は椀を受け取って、一口飲んだ。
虎「……」
出汁が澄んでいる。
山鳥の旨みが、
茸の香りと合わさって、
静かに広がってくる。
香辛料が遠くに効いていて、
飲んだ後に、
じんわりとした温かさが残る。
派手な味ではない。
だが、
噛むほどに、
飲むほどに、
何かが積み重なってくるような味だ。
森の静けさに、
よく合っていた。
虎「……うまい」
ステラ「よかったです」
虎「これを一人で用意したのか」
ステラ「はい。乾物は日持ちしますし、火魔法があれば十分です」
虎「手間をかけたな」
ステラ「……いいえ」
ステラは少し間を置いた。
ステラ「虎様に、ちゃんと食べていただきたかっただけです」
虎「……そうか」
虎は二杯目を受け取った。
泉の水面が、
午後の光を受けて光っている。
鳥の声がする。
風が通る。
悪くない昼だった。
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森を出ると、
東への道が続いていた。
ステラ「虎様」
虎「何だ」
ステラ「毛並みが、だいぶ戻りました」
虎「そうか」
ステラ「定期的に洗う必要があります」
虎「……次は素直に入る」
ステラ「珍しいことを言いますね」
虎「悪くなかったからだ」
ステラ「……そうですか」
ステラは前を向いたまま、
少しだけ歩調を緩めた。
虎「何だ」
ステラ「何でもありません」
風が吹いた。
虎の毛並みが、
さらりと揺れた。
また、歩き出した。
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ステラ「次回予告です」
虎「ああ」
ステラ「虎様、毛並みが綺麗になりましたね」
虎「……その話はもういい」
ステラ「ふわふわしています」
虎「やめろ」
ステラ「事実です」
虎「……次の予告をしろ」
ステラ「次回、『虎が、東の街に着く』」
虎「何かあるか」
ステラ「おそらく」
虎「またそれか」
ステラ「読んでからのお楽しみです」
虎「……お前、本当にこなれてきたな」
ステラ「虎様の影響かと」
虎「責任を感じる」
ステラ「おおむね、虎様のせいです」
虎「おおむね、か」
ステラ「おおむね、です」




