44.
「逃げます」
私が即座にそう告げるのと同時に、四人で一斉に方向を転換した。固まらないように、ばらばらに動く。私とモヒート先輩、セレナ先輩とミレイア。近くに居たこともあり、そう別れた。流石にアレを相手に、一人になる勇気もないが、全員で行動して勝てるビジョンも見えなかった。
どちらが選ばれてしまうのか、向こうに行ってほしくはないが、こちらに来てほしくもない。
そうして、選ばれたのは私とモヒート先輩の方向だった。
背後から迫る魔力の圧が、明確にこちらへと向いているのが分かる。
捕捉されている、完全に。
「待て待て待てぇぇぇぇ!!」
床が弾けて飛び散る異常な音。真ん中を走っているのに、壁すらも抉るほどの魔力で直進してくる気配。
暴力的で恐ろしい、その光景。追いかけられている背中にかく汗が止まらなかった。まるでとんでもない化け物に追い回されて、捕まれば本当に殺されてしまうのではという感情すら湧いてきた。
「来るぞ!!」
モヒート先輩の声。背後から、強力な魔力の塊が迫ってくる。しかしそれと同時に目の前に別の魔力反応を感じた。
その瞬間――目の前に急に人間が現れ、その人影と衝突しかける。
「っなに!?――」
寸前で止まるが、勢いは殺しきれずにソレにぶつかってしまう。転ぶ衝撃と後ろからの攻撃に身構える。後ろからの攻撃は受けるのではなく、避けようと思っていたから防御結界も張っていない。これは死んだかもしれない。そう感じて、もう目を閉じる。しかし、何秒経っても、私の身体には何一つ変化はなかった。
瞑っていた目を開ける。私の目の前にいたのは。
「……随分と騒がしいな。怪我は?」
私を抱きしめるオーランドだった。驚いて離れようとしたが、より強く抱きしめられて、それは叶わなかった。むしろトクトクと心臓の音が聞こえるほど近い距離になってしまった。
無理矢理頭を動かして、表情をうかがうと、いつも通りの落ち着き払った冷たい表情。だが、彼は強力な防御結界を既に周囲に張っており、ここは安全地帯と言えた。
防御結界の外では、こちらを心配するモヒート先輩と、私達を挟んだ向かい側には狂戦士クレイヴ先生。
「なるほど。君と話したくて、ここに飛んで来たのだが」
オーランドは、何も言わなくても勝手に状況把握をしたらしい。小さく呟く。
その直後。
防御結界越しに空気すらも揺らすほどの衝撃。クレイヴ先生が魔法攻撃を再開したようだった。
魔法の威力が強すぎて、周囲の床や壁が崩壊する。私達は3階から1階まで落ちていった。
「っひ!おち――」
「問題ない。捕まっていろ」
オーランドが私を抱きしめ、防御結界を一瞬解いてから風魔法を自分たちに掛けて周囲を今度は強風で覆う。それによって急降下は緩まり、一緒に崩れ落ちていく瓦礫は、オーランドの魔法によって塵になる。
「逃がすかぁぁぁぁ!!!ボーナスはまとめていただくぅぅぅ!!!」
貴方が落としてのでは??
兼ねに目がくらみ、自分の行動すら分からなくなってしまっているのだろうか。大人って、怖い。
「下品極まりない。クレイヴ先生、貴方に用はないのですが」
オーランドが、ため息混じりに言った。
地面に着地し、私を離した後に、一歩前に出る。
まるで、私とクレイヴ先生の間に割って入るように。
「俺があの先生を止める。リーシャは離れて、安全な場所へ――」
「必要ありません」
私は即座に言葉を遮った。
オーランドが、わずかに眉を動かす。
先程までは急な展開に驚きすぎて、身体が全く動かなくなってされるがままになってしまっていたが、私は別にオーランドに助けられたいわけではない。
「あなたに庇われる理由はありません。私達は、今は婚約していますが、いずれ他人になる存在です。放っておいてください」
「他人に、なる?」
ぴくりと、空気が張り詰める。
背後ではクレイヴ先生が既に魔力を練り上げているというのに、私達の間には、場違いなほど静かな緊張が走っていた。
少し考え込んだ後に、オーランドは小さく笑った。
「そういうくだらない強がりはやめてくれないか?不快だ」
「事実です」
強がりなんかじゃない。
私も私の母も、彼との婚約を解消するために、動き始めている。
彼にとっては、この学院に通っている間は私をカモフラージュにでも使っているのか、もしかしたら都合が悪いのかもしれないが、私にはそんなことは関係ない。
「それに。私はあなたに守られるほど弱くありません」
その言葉に、オーランドの目が細められた。
「そうか」
一歩、こちらに寄る。静かに、しかし明らかに滲み出ている怒り。
今まではずっと思い通りになったおもちゃが今更思い通りに動かなくなって、不機嫌になっているのだろうか。あまりにも身勝手だ。
彼と出会ってから、婚約してずっと私は彼の言う通りに、彼の望み通りに、彼に好かれるようにと動いてきた。しかし、私にはもう、別に彼のために、彼に言われた通りに、彼の望んでいるであろうことを読み取って行動するような理由はない。
「だが。現状を見てみるんだ。君と……ああ、今更降りてきたあの男で、アレを相手にするとでも?」
『アレ』と言って、軽く顎で示す先。
クレイヴ先生。
すでに拳に魔力を集中させている。
「やっと見つけた!俺の研究費ぃぃぃぃ!!!」
私は視線を逸らさず、オーランドを見る。
私にこれ以上、指図しないで、関わらないで、と意思を込めて。
「やるかどうか、やれるかどうかは、私が決めます。貴方が決めることではありません」
「――なるほど」
オーランドは、少しだけ笑った。くすくすと子供のように楽しそうに。
だが、その次の言葉は驚くほどに冷たく、冷徹な声音だった。
「自分の力量も測れないとは、まだ子供だな。そして、実力不足だ」
「――は?」
「だから言っているんだ。無駄な意地は張るなと。大人しく俺に守られていればいい。それに、さっさと片付けて、話したいこともあるしな。手を出さずに、隠れていてくれ」
一瞬、怒りで頭が真っ白になる。
その言い方は、まるで、わがままな子供に言い聞かせる様だった。
私のことなんて何も見ずに、最初から見下していたのだろう。弱い、子供だと馬鹿にして。
私は彼のなんなんだろうか。
「……馬鹿にしているのですか?」
声が低くなる。
オーランドはあくまで穏やかに、それに答えた。
「いや。事実を述べているだけだ」
「私は!傲慢ではなく、魔法で誰かに負けたことなんてありません!!」
「ああ、君の魔法は確かに優秀らしいな。それは聞いたことがある。だが、戦況判断と撤退判断は別の話だ。あまりにも経験値が少ない」
淡々と。確かに、悪意なんてそこには全くなかった。
本当に、私を心配して言っているのは何となくわかった。きっとそれなりに付き合いが長いよしみだろう。
だからこそ、私は怒りが湧いたのだ。私のことを完全に舐め腐っているその言動に。今の私なんて、全く見ていない彼に。
「ふざけないでください!貴方に守られるくらいだったら、私は死んだ方がマシです!!」
自分の魔力が、制御が難しいくらいに荒ぶっているのを感じる。
その言葉を受けて、唖然とするオーランド。行き場を失ったように、まるで迷子になったかのような表情を浮かべる。
それすらも苛立たしくて、彼が条件反射のようにこちらに伸ばしていたその手を、私は思い切り振り払った。
痛そうな顔をしたオーランドに、一瞬、私も怯んで、思い出す。そういえば、私は今、クレイヴ先生に狙われている状況だったのでは?
気付いて、防御結界を周囲に張った時には、既に遅かった。
私とオーランド、そしてついでに気まずそうに近くに立って傍観していたモヒート先輩は全員、クレイヴ先生から高出力な魔法を撃たれ、地に伏せた。
筋肉のみを対象に絞った雷魔法。動けないのに、無理矢理動かそうとすると、身体の一部がびくびくと変な動き方をする。張っていた防御魔法も完全に制御を失う。
きっと複合魔法を使うことによって、防御魔法を無理矢理超えたのだろう。何をしたのかなんて、今の私には分析しきれないが、なんて技を撃ってくるんだ。
しかし、驚いたことに、この魔法は私だけではなく、モヒート先輩と、ついでに普通に自分だけ防御を成功させてそうな大柄な物言いをしていた、私よりも強い(自称)オーランドもきちんと受けて倒れていた。
「そうだ。痴話喧嘩、放送されてるぞー。じゃ、捕まえるな。有難う、俺の研究費」
若干正気を取り戻したらしいクレイヴ先生に煽られて、私のマナ・タグは終了した――。




