第9話 同郷の娘
終点のトラバント駅に到着した汽車は、旅をねぎらうように汽笛を長く鳴らした。
リリイは目を覚ました。外は暗くなり、窓に自分の顔が映っている。向かいに座るディータはすでに下車していた。一緒に旅をしているわけでないから、それでかまわない。
駅前は、丁寧に敷きつめた石畳の街路とガス灯の光が綺麗で、幻想的な藍色の夜が演出されていた。
年季の入った石造りの建物が連なっている。
リリイは左右を見回して、お腹を満たすための店を探した。
通りの小さな店の窓から、客の笑い声が聞こえてくる。気心が知れた者たちの語らいのようで、ここの住人達だろうと思った。
とある酒場がリリイの目に留まった。
『イングリードランド風料理の店カリキ』と壁掛けのプレートに書いてある。
「イング料理は港町の生きのいい海産物が売りよ。大陸の真ん中でこんな店を構えるなんて度胸があるわね」
彼女は扉を開けた。
店内は地元の常連の男たちが座り、テーブルの上に空いた酒瓶が並んでいた。
「いらっしゃいませ」
メガネをかけた店の娘が笑顔でリリイを迎え、カウンター席に案内した。
店の娘はリリイと同じグレー色の瞳をしていた。ふたりはお互いにイング人であると察した。
「イング料理の店なんだって?」
リリイは念を押す。
「はい。おいしいですよ。お客さま、どちらからいらしたの?」
茶色の髪を三つ編みにするふっくらとした体つきの店の娘は、旧友と会ったかのように、人懐っこく聞いてくる。
「東。中央から」
「そうですか。セントラルの方ですか」
店の娘はすこし残念そうな顔をした。
「魚料理ある?」
「あるよ」
カウンター越しにいる中年の男の店主が答えた。
出された料理はマスのマリネだ。
「マスはトラバント湖で釣ったものです」
ナイフを入れ口に運ぶと、赤身のうま味とともに、じわりと酢の刺激が舌に染みてきた。
「うーん。酢の塩辛い感じは、イング風ね」
店主は自慢げに腕を組んだ。
「俺は若いころ、イングで料理の修業をしたのさ。ちなみに俺はここ育ちだが。調味料はイングから仕入れたものだ。最近はイングから物を取り寄せられなくてね。イング料理の看板を降ろそうかと思ってる。イングを嫌ってる人もいるし」
この地域で『イング風』を看板にするのは、少なからず風当たりがあるのだろう。
「この三つ編みの娘、カルアと俺は親子じゃない。彼女はイングの品物をトラバントで売って食ってたけど、政情が悪くなって帰れないのさ。この店で働いてもらってる」
イングとハーベの国境となるハイダカ山脈の峠道は、ハーベ軍が要塞をつくったので一般人の行き来ができない。
「大変ね」
「ええ」
リリイは娘カルアの身の上を気の毒そうに思ったが、彼女も故郷に帰れないということだ。
「懐かしい味をありがとう」
「やっぱり、お客さんイング人なのね」
カルアは、周りに聞こえないように小声で耳打ちした。リリイは小さくうなずいた。
「デザートにジェラートをどうぞ。サービスです」
カルアはガラスの小鉢を席に置いた。
「えっ、いいの? ありがとう」
「今日は、ツイてないけど、ツイてたんです。私、今日、ジェラートをつくったのだけど、保蔵庫の扉を開けっ放しにしてしまって、全部溶かしてしまいそうになったんです。でも、ついさっき、お客でいらした錬金術師さんが、術で水から氷をつくってくれました」
リリイの瞳が見開いた。
「錬金術師? ねえ、その人、黒髪だったりした?」
「はい。お客さまと同じくらいの歳です」
「こーんな帽子被ってなかった?」
リリイは頭の上に両腕で三角形をつくった。
「はい。三角帽子を被ってましたよ」
アーリィだ。
アーリィはこの街にやって来ている。彼女にたずねなければならないことがある。
ディータがアーリィのことを知らないと真顔で言った。
アーリィはディータの記憶を弄ったのか。
トラバント城に行けば、彼女と会えるはずだ。
「ごちそうさま。また、来るからね」
「ありがとうございました。お客さんも、錬金術師ですか」
「さあ、どうかな」




