第8話 出発
翌朝、リリイは荷物がつまった大きな鞄を持ち、ハーベ中央駅に向かった。
鉄道はイングリードランドから伝わった技術だ。ハーベストランドでは、東の港町から西のトラバントまで線で繋がっている。
駅周辺はまだ舗装がなくて、土がむき出しだ。駅前広場には市場のテントがひしめいている。収穫したばかりの野菜を売る行商人や、弁当の売り子たちの、はつらつとした声があちこちから聞こえた。
切符売り場に商人たちが並んでいて、彼女が窓口についたのは汽車がくるギリギリの時間になってしまった。
「トラバントまで、一枚ください」
「客室の等級はいかがなさいます?」
一般車両は行商人で混んでいるだろう。
「個室、空いてます?」
駅員は座席表に目を通した。
「ツイてるね。あと一席あるよ」
「お願い」
受け取った切符は、未来を切り開く大切なものになる予感がした。鞄の重さで痺れた手で、切符をぎゅっと握りしめた。
力強い軸の動きと車輪の回転、大きな蒸気音を伴いながら、機関車がホームに入ってきた。リリイは機関車の大きさと機動性に感心する。
「錬金術師がいらなくなる時代は間もないかもね」
港町から乗った大勢の魚売りが中央駅で降りた。あたりに魚のにおいがたちこめた。
列車に乗り込み、四人掛けの個室に移るやいなや、リリイは不機嫌になった。
ディータ・ラウズが腕を組み、進行方向の窓側に陣取っていた。大きな体に鉄の胸あてを装着して、籠手をはめ、針金のように方ぼうに伸びた短髪をさらしている。窓に大剣を立てかけている。仰々しくて威圧的だ。
「なんで、あんたがここに」
「奇遇じゃないか。俺はこの便でトラバントを目指している」
「何が奇遇よ」
『よりによってこの列車で? 私がトラバントに用事があることをこいつは知っているのだから、私を追いかけてきた可能性が大いにある』
「俺はプライベートな旅行だから、誰にも文句をいわれる筋合いはない」
ディータはふんぞり返っている。
「私の進路を邪魔しないで。あんたがいると私の活動にすごく支障がでる」
「おいおい、そこまで言うか」
対角線の二人はにらみ合う。
汽車が動き始めた。
窓にハーベの街並みが映り、汽車の加速にあわせて流れていく。
リリイは、中世から歴史ある建物がたくさん残るこの街を気に入っている。彼女は首をのばして外をうかがおうとする。
「私の席をお譲りしますよ」
ディータの向かいに座っていた口ひげの中年男がリリイに言った。
「いいんですか」
「お嬢さん、お兄さんと知り合いみたいだからね。窓の景色を楽しむといい」
「ありがとうございます」
リリイはディータの真向かいに移った。
「わっ」
ディータは困惑して、リリイのヒザとヒザが当たらないように、股を広げた。
やがて、外の景色は新緑の森に変わった。
樹々のすき間から、地平線の先まで田園が広がる。
ジャガイモとビート畑の葉の緑が、太陽の光を反射して輝いていた。
「鞄、重そうだな? いろいろ入れてきたのか?」
ディータのほうから声をかけた。
「魔道書と服と化粧品とその他もろもろ、あとは秘密」
「家庭教師になったら、トラバントに長くいることになるだろうな」
「まだ、わからない。アーリィがわたしと同じ口に当たろうとしてる」
「アーリィ?」
初めて聞く名前だという素振りで、ディータは首を傾げた。
「うそ、あなた昨日、アーリィに眠らされたでしょう」
「ひどいぞ。おまえ俺を置き去りにして。目覚めたときはひとりだった」
リリイは彼の抗議を聞き流した。
「アーリィよ。アーリィ・リリン。三角帽子をかぶった肩までの黒髪で、まあまあかわいい子」
「夢をみたんじゃないのか」
彼はけげんな顔をする。
「三角帽子の子。学内でわりと知られているでしょ?」
「いいや、全く心当たりがないね」
ディータの表情は真剣だ。彼は正直に答えているようだった。




