第53話 待っていて
リリイ・メディナは寮で休んだあと、錬金術学院に向かった。
三角帽子から垂れるポニーテールを揺らして廊下を歩く。大理石の円柱が立ち並ぶ回廊は中庭を囲んでいる。
久しぶりの場所だ。
秋の風に吹かれる中庭の樹を見つめて、リリイは心に引くものを感じた。
待ち合わせるディータ・ラウズが、教官室前に立っていた。ディータは戦争で負傷した怪我で全身に包帯を巻き、松葉づえをついて痛々しい。
「そのあからさまなアピール。鬱陶しいのよ」
「いやあ、かなり大変だったんだが」
ディータは笑う。よほどリリイに会いたかったようだ。だが、すぐ神妙な顔つきになった。
イングリードランド軍との戦いで、コルホズ博士は死んだ。教官室をたずねても、もう博士の姿はない。
ディータ・ラウズは、敵の司令官を討った功績が認められた。
傷を負い意識を失っても、手に握っていたセオドア・キーン少佐の認識票が証拠となった。
彼は学院の卒業資格を得て、将校としてハーベストランド軍に入ることが決まった。
「卒業決定、おめでとう」
「あ、ありがと」
「あの軍人と死闘を繰り広げたようね」
「俺は、腹を切られて血を流して倒れていたんだけど、傷がふさがっていたらしい」
「へえ、不思議なことってあるよね。私もいっぱい体験しちゃった」
「なんだよ、聞かせろよ」
「今度ね」
「城の皆は無事だったようだな」
レミーとアムブロシアは無事だった。リリイとアーリィが二人をベベトから守ったのだ。
「ねえ、ディータはアーリィのことを知ってる?」
「ああ、アーリィはこの学院にいたんだろ。俺は忘れていたけど、トラバントでお前が改めて紹介してくれたもんな。お前が被ってるその三角帽子、アーリィのだよ」
リリイは、はっとして頭の帽子を押さえた。
「私、アーリィのこと忘れちゃったんだよ」
―――
洋上
イングリードランド領の港町行きの蒸気船のデッキで、男女が冷たい風に吹かれながら寄りそっている。
男には左腕がなかった。
「俺は死んだ人間となった。これからどうするかだ」
「キャプテン、私があなたの左腕になって、支えていきます」
カルアはお願いするように、キーンの顔を覗く。三つ編みをほどいた茶色の髪が風になびく。
「イングの故郷に戻るのもいい。新しい大陸に行くのもいい。自由に生きようぜ」
「キャプテンはなんでもできますからね」
洋上の風が止んだ。
「どうして、あのハーベの青年を助けたの?」
「あの時、俺はカルアを助けていた。瀕死のあいつにも想い人がいるって知っていた。その想い人はイング美人なんだ」
「カリキの店にも来たことがあるポニーテールの子」
「あいつがその美人をものにするのは、恋の錬金術を使おうとしても不可能だと思う。俺にも無理そうだ」
「なにそれ。私は正直、黒髪の子のほうが可愛いと思う」
二人は顔を合わせて笑った。
―――
リリイは学院から処遇を言い渡された。
「学院卒業は保留だって」
卒業試験は戦争の任務をこなすことだったが、リリイの貢献度をコルホズ博士が死んだので判定できないとのことだ。
「ふざけてるな。レミーにかけあって、口添えしてもらうか」
「いいの。レミーはまだ、そんな心境になれないと思う。学院なんてどうでもいいわ」
リリイのグレーの瞳に陰がある。
アーリィの記憶を失い、落胆するリリイをどう慰めていいかディータにはわからない。
「その五芒星のネックレス、アーリィから貰ったのか」
「私がアーリィに贈って、戦争に行く前にアーリィから受け取って、無事に帰ってこられたら返すって約束したんだっけ」
五芒星がにわかに輝き始めた。
風が中庭に吹いた。樹の枝がリリイの記憶を呼び覚ますように揺れた。
中庭の樹の上に、丸く黒い瞳をほころばせながら、いたずらっぽく笑う三角帽子の黒髪の少女がリリイに見えた。
リリイはアーリィを想い出した。
「ディータ! これから暇? 体は動く?」
「学院で講義はないし。か、体は心配ないぞ」
全身包帯のディータは、無理して腕に力こぶしをつくる。
「さあ」
リリイはディータに、手を差し伸べた。
「アーリィに会いに、トラバントへ行こう」
「いいな、カリキの店で飲もうじゃないか」
アーリィ、自分だけ悲劇のヒロインになろうとしてもダメよ。私の眼から逃れられると思ってる?
会ったらまず、ぎゅっと抱きしめてあげるからね。
秋の穏やかな陽の光を受けて、リリイのグレーの瞳が生きいきと輝いていた。




