第52話 アーリィの消失
シャイン伯爵の戦死によって、イングリードランド軍はトラバントから撤退した。
長年、トラバント地方を牛耳っていた管区長ドリュー・ベベトが王妃ヴァネッサを監禁していたことが知れ渡り、トラバントはハーベストランドから独立するべきという気運が高まった。
レミーとアムブロシアは、捕らわれの身にあった母ヴァネッサと再会した。ベベトはハーベストランド中央へ、尋問のための移送が決まった。ベベトは記憶を失い、つじつまの合わない言動を繰り返しているという。
リリイは錬金術学院に戻るため、中央行きの汽車に乗った。トラバント駅で、クリストファー・ローゼンクライツとステファニーに会った。
「このたびの戦争は大変お疲れさまでした」
クリスは微笑みをつくり、帽子を脱いで紳士的にかるく頭を下げてリリイをねぎらう。
リリイは戦場の光景を思い出して身震いした。
「クリスがベベトを連れて行くのね?」
「それが私の役目です」
クリスのそばには、ステファニーがぴっちり身を寄せている。金髪を垂らし、メイド時代とは違う自信に満ちた表情のステファニー。
前なら羨ましいという気になったかもしれない。けれど、いまはそんな気はさらさら起きない。
「あなたたち、ベベトを連れてどこかへ行ってしまいそうね。錬金術師の集団をつくるとか、計画してたでしょ。ベベトは仲間だったんでしょ」
リリイが聞くと、クリスとステファニーは申し合わせたようにそろって笑った。
「悪い冗談はよしてください。ベベトはヴァネッサ様と私のステファニーを傷つけた以上、一緒に行動することはありません」
「あっ、そう……」
リリイはクリスとこれから一緒に行動することもないなと思った。
リリイは、クリスは中央と対峙していくことになると感じた。
ベベトを要職につけていた中央には深い闇がありそうだ。シャイン軍が攻めてきたのに、ろくな援軍を送ってこなかった。
科学力と軍事力に長けたイングリードランドが、海外へ進出し、ほかの大陸に植民地をつくっているのに、いまだ同じ陸にあるハーベを征服できない。
クリスは黄金の錬金術師として、ハーベに対してどこまで働きかけられるのか。
そして、クリスはパートナーとしてステファニーを選んだ。
「アーリィがいなくなってしまいましたね」
ステファニーが寂しそうに目を細めながら言った。
アーリィ。
リリイはただ下を向き、駅のホームの乾いたコンクリートを見つめる。
「アーリィって、誰?」
リリイの言葉に、クリスとステファニーの二人は、悲痛な表情をみせる。
アーリィはベベトとの戦いで、対価が必要な術を使ったので、リリイはアーリィの記憶を失った。
「対価を払った……。親しい人が自分を忘れてしまうなんて、たぶんアーリィには耐えられないでしょう。だから去った。リリイさん。力不足だったと自分を責めないでくださいね。あれが万策だった。彼女は立派な錬金術師だ。心配しなくていいですよ」
クリスが慰めるが、リリイにとってまったく心当たりがない人の話だった。
―――
リリイはハーベストランド錬金術学院の寮に戻った。
寮の自室は、メイドのニージェがいつも綺麗にしてくれたので、旅立つ前と全然変っていなかった。
リリイはニージェと一緒に料理した。
ビーフシチューをつくり、ピザを焼く。さらに、ふだんより豪華にローストチキン、鳥から揚げ、デザート用に牛乳かんのフルーツもこしらえる。
新学期が始まり、寮生が増えた。腹を空かせる寮生のためにいっぱいつくる。ニージェはさっそく寮生の人気者になっていそうだ。
「お城で、さんざん貴族の料理を召し上がってきたのでしょう。庶民の舌に戻してあげますよ」
「いや、トラバントは田舎だから地味だったよ。ニージェの味が懐かしいわ」
ニージェは料理を丁寧に教えてくれる。
リリイはほとんど自分で食事をつくることがなかったから、ニージェが先生だ。料理の手ほどきも、錬金術の講義と似ていると思った。
ただ、この場にもう一人、一緒に料理を楽しむべき人間がいるはずだと、リリイは心の奥で感じていた。




