第51話 わすれないで
トラバント城 敷地上空
風にのる銀色の馬車の下には、イング軍とハーベ軍が戦いを繰り広げている。
「リリイ。竜巻が起きてる!」
イング軍を襲う竜巻は火柱に変わる。
「イング軍がやられているわ。風と火の属性を合わせたすごい術。クリスかな」
「これならハーベ軍が勝ちそうなの。すごいのはクリスだけじゃないの。リリイだってすごい。精霊の加護を受けた風使いになったの」
「強くなったのかな。私」
馬車は城門に着地した。
リリイは城に異変を感じ、頂上を指差した。
「塔が崩れた先に、幻影の空間ができてるわ。小さな女の子が、レミーとアンジィーを連れて塔を登ってる」
「えっ、わたしには何も見えないの。ただ空があるだけ」
アーリィの術力はほぼゼロになっている。
「小さな女の子が、ドリュー・ベベトね」
リリイは城の扉を開けようとしたが、固く閉ざされている。
「どうやったら、あの上までたどりつけるの?」
馬車を飛ばす方法がわからない。
一刻も早く、レミーとアムブロシアのもとへ駆けつけたい。
「アンジィー……。どうにかしないと」
リリイの胸元の五芒星が再び輝き始めた。
五つの星の突起から閃光が走っていく。
リリイは両手を広げて、アーリィの目の前に差し出した。アーリィは本能的に両手を合わせて、指を絡ませた。
リリイの瞳は持ち前のグレーの虹彩と違う不思議な輝きを帯びている。
足元に錬成陣の模様が光り、二人は両手を握りあったままふわりと浮かびあがった。
重力を上回る力が発動したのだ。
―――
幻影の小部屋
「ベベト。錬成陣を前にして何をする?」
宝石に満ちる幻影を見ていたレミーは興奮から醒めた。喜々としてポケットに入れた黄金のエンブレムは消えていた。
「おまえたちの記憶を弄るのじゃ」
「いま、何て言ったの?」
アムブロシアの声が、悪夢から覚めた子供のように怯え、震えていた。目覚めた先に悪夢が始まっていた。
「宝石に目がくらんだ自分が恨めしいよ。僕の大切なものは、宝石なんかじゃなくて、妹、錬金術師だった父、母さん家族だ」
桃色の髪の幼女は改まって言う。
「実はな、お主の母はわらわなのじゃ」
「えっ? 本当?」
一瞬、レミーとアムブロシアは驚く。
「な、わけないじゃろー」
ベベトは笑いながら否定する。
「なわけない。わけない。僕は母ヴァネッサを覚えている」
レミーはベベトの邪悪さにようやく気づいた。
「前におまえたちの母の記憶を消したが、思い出していたようじゃな。わらわは、前の戦争でイングが攻めてきたときに便乗して、この城を襲撃し、ヴァネッサを西管区に連れた。ヴァネッサは生きている」
「お母様がこの近くにいたなんて!」
アムブロシアは、ほっとした声を出した。
「わらわは西管区長として、おまえたちを城に置いて監視していたのじゃ」
「貴様―」
レミーの怒りが沸々と湧き上がる。
「おまえたちから、母の記憶を強く消してやろう。二度と思い出せぬようにな。ヴァネッサはエリクシルをつくることができる。そして、わらわはエリクシルがなくては生きていけない。とっくに人間としての寿命は過ぎている」
「ババアかよ」
「ふん。クリスの記憶を消したのもわらわじゃて。わらわは黄金の錬金術師クリスが必要なのじゃ」
レミーはハッと気がついた。
「クリスはずっと黄金の錬金術師を探していた。自分自身とは知らずに。クリスはずっと焦って迷っていたんだぞ!」
レミーはクリスともっと仲良くすれば良かったと後悔した。クリスは今、イング軍と戦っているが、ベベトに記憶を弄られたままなのか。クリスは本来の力を出せているのか。
「まやかし。あなたはまやかしの女よ」
アムブロシアが蔑むように言った。
『まやかしの錬金術師』ドリュー・ベベトは睨み返す。
「クリスは、わらわとおまえたち、どちらを主君として選ぶじゃろうな」
ベベトは煽るように不敵に笑う。
「クリスは独立した人間だよ。クリスなんかいなくても、僕はリリイがいれば強くなれる」
「あの見た目が派手な家庭教師か。レミーよ。お主は錬金術師の素質がある。ヴァネッサの血を引いているのだからな。エリクシルをつくるよう、鍛えることも考えられるのう。わらわの下僕として生きることとなるが」
「くっ」
「そんな派手じゃないわよ!」
ドームの屋根のステンドグラスが割れ、リリイとアーリィが落ちてきた。
「リリイ、アーリィ!」
アムブロシアが救世主が来たとばかりに声を張り上げる。
「ごきげんよう。ドリュー・ベベト」
リリイは、丁重にあいさつする。
「噂をすれば、羽虫が舞いこんできたか。アーリィもいるな」
ベベトは面倒な手間が省けたとばかりにせせら笑う。
「あんたは多くの人たちに不幸と憎しみの種を撒き散らしていたようね」
リリイがポニーテールを翻し、桃色の髪の幼女に向かって指をさす。
「知らん。皆はわらわの目的のための駒にすぎない」
ベベトが扇子をぱっと広げると、床の錬成陣が青白く光りはじめた。
ベベトはリリイの動きを止めた。
この場で最も術力があるリリイを狙った。
「腕が、腕が動かない!」
彼女の胸元の五芒星の輝きが失われた。
「学生風情のおまえたちが現れたところで、わらわが観念するとでも思ったか? おまえたち、まとめて記憶を消し去ってやる」
「ひょっとして絶体絶命?」
リリイはつぶやく。
その刹那、アーリィ・リリンが錬成陣に入った。
「こら、アーリィ。わらわの領域を侵すでない!」
「ごめんね。リリイ……、約束を破ることになるの」
「約束って、あの対価を使うの?」
アーリィの黒曜石のような瞳から、涙が溢れるのをリリイは見た。
アーリィは、ドリュー・ベベトの記憶をかき消すために、リリイたちから、自分についての記憶を消すことを対価にして、術を発動させた。
「アーリィ、だめ! もう、あなたのことを……、忘れてしまう人をつくらないって、約束したじゃない。あなただけが悲しい思いをするのは、いや……」
リリイは床に膝をつき、頭を抱えながら、アーリィのほうに手を伸ばす。
その距離は絶望的に遠く感じた。
「うあああああああ」
「きゃあああああ。痛いー」
レミー兄妹はその場にうずくまる。
頭を締めつけられ、魂を抜かれるような感覚が走る。
青白い光とサファイアの赤い光が、交互に錬成陣の中でぐるぐる巡る。
「ぐぬぬぬー。わらわの術を破ろうとするか! この強さは、こやつ……、記憶が専門かああああああああああー!」
記憶に関する術は水の属性にある。
ベベトも記憶の術法を使っているが、錬成陣を必要とするレベルだ。アーリィのほうに分があった。
ベベトは苦悶の表情を浮かべ、その場に卒倒した。
「リリイ……。大丈夫。あなたがわたしを忘れるのは、ほんの少しの間のような気がする。私の術を乗り越えて思い出してね。だって、あなたは精霊の加護を受けた風使いなのだから。絶対に会いに来てくれると信じているよ……」




