第39話 ベベトの避難
トラバント市街にあるハーベストランド西管区行政府の庁舎前に、二頭の白馬がひく銀色の客車の馬車がとまった。
ベベト管区長を迎えるためのトラバント城からの使いだ。
イングリードランドとの戦争を前に、ベベトは街はずれの城に身を移して避難する。
銀色の客車からステファニーが出た。
彼女は、いつもきつめに結いあげていた金髪を解き、ジャケット、黒ストッキングにスカートという格好になっていた。心なしかクリスの正装を意識していた。彼女はメイド服のエプロンドレスを脱いだ。
凛とした青い目が大きな使命感を湛えている。
彼女はトラバント城の守護職代理になっていた。
庁舎の玄関先に、桃色のローブをまとうベベトが現われ、見送りに集まった役人を前に、幼い声で訓示した。
「イングリードランド軍はこの庁舎を一番の標的にするじゃて。なぜなら、わらわが居るからだ。わらわが、この地を支配しているからじゃ。わらわはトラバント城に移る。残る者は武器を持ち、ここを死守するように」
女王さながらの立ち振る舞いで外構階段を降りると、大柄な軍の司令官が一枚の紙を差出して土下座した。
「ベベト様。お願いです。援軍の要請書にサインしてください。斥候の情報によると、敵の軍勢はかなりのもの。この地の戦力だけでは対処できません!」
「サインはせぬ! 中央の腰は重いぞぉ。今回はイング・ブラッド州との間の地域紛争という位置づけなのじゃ。お前たちで、なんとかせい。なんとかできるじゃろ」
ベベトは裾をたくしあげ、ブーツで要請書をグシャグシャに踏みつぶした。
「そっ、そんな……」
司令官は力なく床にへたり込む。
ステファニーはそれを黙って見ていた。
「ベベト様。トラバント城にて、最高の警護を保証いたします」
ステファニーはベベトの手を引いて、銀色の客車に載せた。
―――
銀色の車内で二人は向かいあわせになった。
ガラス細工のように薄い光彩の瞳でベベトはジロジロとステファニーを見る。ステファニーは視線を合わせず、一言も発さずに硬くなっていた。かつて、二人は錬金術師の集団で行動を共にしていた。
『ステファニー。わらわはこの女が気に食わなかった。この女からわずかに漂う香の匂い。覚えている。クリスはこの女が好きだった。この女はエリクシルを与えられ、錬金術師となったのじゃ。貴重なエリクシルを、こんな他愛もない人間にわけ与えるとは。
この女は記憶を戻したか? ならば術をまた掛けてやる。
エリクシルは貴重じゃ。エリクシルをつくることは、金をつくるよりずっと価値があるのじゃ。
わらわは、エ・リ・ク・シ・ルが必要なのじゃ! この身体を維持するためにな』
ベベトのトラバント城入りには、一悶着あった。領主レミーは、入城許可の挨拶をベベトに要求した。
ベベトはレミーの前で頭を下げた。
「わらわは、ハーベストランド西管区長ドリュー・ベベト。トラバント入城の許可を願う」
「僕はレミー・ラ・トラバントだ。君を保護する。困っているなら助けてあげるよ」
レミー少年は、錬金術の腕が伸び盛りで、気が大きくなっていた。レミーは背伸びしてクリスのように戦場に行きたいと考えていた。そして、いい戦いができるはずだと思っていた。
ベベトのつるつるした額に血管の筋が浮きだした。
『ぐぬぬ。なんと、なんという無礼者。立場の違いが分からぬか。トラバントはハーベストランド領である。管区長であるわらわのほうが上であるぞ。小僧にはわからぬか』




