第38話 出陣
トラバント城 午後三時
ステファニーが掃除のために食堂に来ると、卓上のクロスが折り目正しく敷かれ、瓶に挿す飾りの花も新しくなっていて、床もピカピカになっていた。
『私の当番なのに』
ステファニーが首を傾げていると、クリストファー・ローゼンクライツがやってきた。
「座って」
彼は客人をもてなすかのように、ステファニーを座らせた。
「どういう風の吹きまわしですか」
城の一階の食堂は、レミーたち上流の人間が食事をする場所であり、一般のメイドは利用を許されない。使用人たちには別のダイニングルームがある。
クリスは落ち着いた優しい表情で、紅茶ポットとカップ、ショートケーキが載る皿を席に着いたステファニーの前に並べた。
「日頃の感謝」
食堂の掃除はステファニーの代わりにクリスがやったようだ。
「いただきます」
ステファニーが手を合わせ、お茶に入れる角砂糖をピンで摘まもうとしたところ、クリスが後ろから彼女のメイド用のカテューシャを取り上げ、髪留めのピンを引き抜いた。
「あっ」
ステファニーのほどよい長さの金髪がふぁさっと自然に垂れた。
「まだ、仕事があるんですよ、私は」
振り返らずに彼女は抗議する。でも、心の中はうれしい気持ちでいっぱいになっていて、メイドではなく対等な立場でクリスと向かい合わせでお茶を飲めたらいいなと思った。
イチゴとオレンジとブルーベリーが盛りだくさんのショートケーキの、クリームとスポンジの部分を、まずはじめに口にする。
甘すぎなくて繊細な味わいだ。
「クリス様がこしらえたものですか」
「もちろんだよ」
「あの……、戦争を間近に控えて、お忙しいのでしょ? ケーキは錬金術でつくったとかですか?」
「どうだと思う?」
クリスは試すような口ぶりだ。
物質転換の術で、クリスならケーキをつくれてしまう。でも、クリームの濃厚なミルクとヴァニラの香りは、ちゃんとした材料が必要だろう。
「手作りだと思います」
ステファニーは、希望を込めて言った。
「ふっ、果物の錬成は難しいよ」
クリスははっきりと答えなかった。
ステファニーが紅茶とケーキを楽しむ間に、クリスは執事のようにお茶を注いでくれた。
「私は、これから城を空ける。戦いにいく。日頃の感謝と言っても、これからも君には苦労をかけるね。レミーたちの世話をしてくれ。それから、安全のためにベベト様もこの城に移ってくるからね」
「ベベト……」
ステファニーは一瞬、顔を歪ませる。
このあいだ、西管区長のドリュー・ベベトが人の記憶をいじり、ヴァネッサを連れ去ったとクリスに告げた。彼は本気で気に留めただろうか。
ふうーっとステファニーは息をついた。落ち込んだわけではなくて、クリスがお茶をもてなしてくれた幸せな気持ちで満ちていた。
クリスはこれから戦いに赴く。
自分はベベトに注意して、レミーたちを守る。これくらいはできると彼女は自負した。
―――
イングリードランド シャイン州
シャイン・フォン・ブラッド伯爵は、州の領民と兵団を率いて、ブラッド城を出た。
戦力は騎兵三百、三千の歩兵はライフル銃を標準装備し、ほかに四十門の迫撃カノン砲、加えてグローフェ博士がつくった機械仕掛けの黒騎士が一五騎ある。
カノン砲の遠方射撃と黒騎士の機動力でハーベ軍、そして錬金術師たちを討てるはずだ。
戦わない領民には重いカノン砲を運ばせ、歩兵を疲れさせないよう、馬車に乗せて移動することにした。
「いざ東へ」
シャイン伯爵を先頭に軍団は、ハイダカ山脈の峠越えを始めた。変わりやすい秋の天候は運よく良かった。冬季ならば雪が積もり、吹雪で荒れやすく、峠越えは命がけになる。
―――
トラバント城に、リリイ・メディナを迎えるための軍の使いが到着した。
城の人間に見送られ外にいたリリイは、軍用の馬車から降りた人物に驚いた。
「コルホズ博士」
老紳士は錬成陣の模様が編まれた古めかしい法衣を身にまとい、威厳を醸しだしていた。
「ごきげんよう。リリイ・メディナ君。敵国が攻めてくる。錬金術師は国家の危機にすすんで対処せねばならない。こうして我が校の生徒を迎えるのは、不本意であるが」
コルホズ博士の声は、学院の講堂で張りあげていたときより、いくぶん老けた感じに聴こえた。
リリイはちょこんと頭を下げた。黒のチューブトップにひじまである黒革手袋、黒ブーツという魔女らしい格好だ。
「おい。これから戦場へいくのだぞ。露出の多い格好はいかがなものか」
博士は教師らしくたしなめる。
「先生、私に軍服が支給されていません」
「お前は軍人じゃない。今回は学院の実技の卒業試験を兼ねている。異存はあるか」
「ありません」
リリイの言葉に、ためらいの色はなく、コルホズ博士は驚いた。
「ディータはどうしてます?」
「ディータ・ラウズは軍人として、ハイダカ山脈の要塞にすでに向かった」
「行ってしまったのね……」
リリイは西方のハイダカ山脈に遠い目を向けた。
「では乗りなさい」
「いってらっしゃい」
風に黒髪をなびかせてアーリイが手を振った。
「いってくるね」
「あなたがくれたものだけど、私と想って身につけてほしいの」
アーリィは五芒星のネックレスを取り外して、リリイの首にかけた。
「ありがとう(本当はあなたにずっと身に着けていてほしかった)」
「あと、あなたの格好にこれがぴったりなの」
アーリィは自分の三角帽子をリリイに渡した。
「ありがとう、これでもっと魔女らしくなれるね。あなたの大切なものでしょう?」
「大丈夫なの」
「私が無事に帰ってきたら返すね」
「うん。また贈ってね」
リリイは斜交いにキスして、アーリィの贈り物に感謝した。
「あっ、いいな」
二人のやりとりを見てアムブロシアが羨んだ。
リリイはひざを屈め、同じようにアムブロシアにキスをした。
「アンジィ様、私は必ず戻ります」
「絶対約束ね」
「レミーもいる?」
リリイはレミーのほうを向き、両腕を差し出して、口をすぼめてキスの用意をする。
ポニーテールの魔女のような女の黒革手袋の先から見える腕、肩、脇がとても艶めかしい。
レミーは恥ずかしがって、一歩身を引いた。
「い、いいよ。先生は錬金術をぼくに教えてきれていないだろ、無事に帰ってまた教えてくれよ」
「わかったわ」
「クリスも城を出て行った。僕が城を守らなくちゃいけないのさ」
「では、リリイ・メディナを預かります」
コルホズ博士は、領主レミーに一礼してリリイを連れた。




