第37話 浴室にて
せっかくの提案を、きっぱりとリリイにフラれてしまったクリストファー・ローゼンクライツは、そのまま食堂でぽかんと立ちすくんでいた。
ステファニーが食器を片づけにきた。もちろん彼女はクリスとリリイのやりとりを始終見守っていた。
気づいたクリスは手櫛で髪をとかし、平静を装う。
「ああ、ステファニー。私の格好悪いところを見てしまったな? リリイを仲間にするのは一回の勧誘では無理だな」
「リリイは自由を好み、束縛を嫌いそうですが、レミー様の家庭教師の役割は責任をもってやっています。芯がありますからね。アーリィとの仲も大切にしています。アーリィが入るなら、また考え直すかもしれません」
メイドのステファニーはしっかり分析している。
「なるほど。どうやら、私はあまり人のことを考えていないようだ。私が誘えば、たいていの人間はついてきてくれると思い込んでいた」
クリスは言った。
「自信たっぷりなのが、あなたですから。ふふっ、人の心まで考えが及びませんものね」
ステファニーはやれやれと呆れ気味に小さく笑う。
「でも、君は、君は特別だよ。私とともに来てくれるね。私は君をこれからも必要とするだろう」
クリスの言葉に、ステファニーはうっとりするも、すぐ厳しい顔つきに変わった。
「それ以上、甘い言葉を吐かないで」
「!?」
クリスは驚く。ステファニーの反応は想定外だった。
「ああ、あなたにとって、私は何なのでしょうか? クリス。靄に包まれているあなたの姿なんて、私は見たくないです」
「靄? 何を言っている?」
クリスは端正な顔立ちの眉をひそめる。
「あなたは、『黄金の錬金術師』なのです」
「私がか」
「ベベトです。ベベトですよ、きっと。あなたの記憶を奪ったのは、私の記憶も奪われた。レミーも。ベベトのやつ、私の力を過小評価して、私にかける術のレベルをさげた。だから私は目覚めるのが早かったみたいです」
「どうしたんだい。ステファニー?」
「私は消された記憶を取り戻しつつあります。何もかも説明がつくと思いますよ。ベベトがヴァネッサ様を攫い……」
クリスが大きな声でステファニーの言葉を遮った。
「面白い説だ! 私が黄金の錬金術師だなんて、そうであればいいと思ったこともあったさ!」
「だから、あなたは黄金の錬金術師なのです」
「なら、私はそれでありながら、国中を廻り、それを探すという不毛なことをしていたのか」
「はい。思い出してください」
クリスは頭痛を覚えて下を向く。
「過去のことが浮かばないな……」
「あなたが錬金術師の集団をつくりたいと考えるのは、あなたが錬金術師の集団を率いていたから。敬語をつかうあなたが、わたしに対して使わないのは……」
かつて、親密だったから。
『ああ、キスのひとつでもすれば、唇の感触で、クリスは過去を思い出すかもしれないのに』
頭痛でよろけるクリスをステファニーが抱きかかえた。クリスが頭を上げてステファニーの耳元に小声で吹きかける。
「面白い説をありがとう。ベベト様が、私たちに術をかけた。面白いね。でも不遜だよ。それは」
「嘘でしょ」
クリスを頭を抱きながら、ステファニーの背筋は凍りついた。
―――
城の大浴場。
湯上りのリリイは、濡れたくせ毛の髪をタオルに包んだ。
脱衣場で涼むリリイの前に、ラフな服装のアーリィがあらわれた。
「あら、初めて会ったね」
「いままで時間が合わなかったのかな。私も毎日ここに足を運んでいるの。仕事を済ませたメイドさんでいつもお風呂は混んでいて。あなたがいたら気づかないはずないのに」
アーリィは服を脱ぎ、黒髪を結って留めようとする。胸元にあるネックレスの五芒星が瞬いた。
『アーリィ。私が送ったそのネックレス、いつもつけてくれているんだね』
リリイは彼女と話がしたくなった。
「体が温まってないなー。もう一度お湯につかろうっと」
「私と一緒に入るつもりなの?」
アーリィがすこし驚いて聞き返した。
「ふう」
ふたたびリリイは湯につかる。
「湯疲れしない?」
となりにアーリィが並ぶ。
「別に」
「リリイは風呂好きね」
「好き」
「お城の近くに、鉄鉱泉のいい温泉宿があるの」
「はじめてこの街に来たとき、そこに泊まった」
「私はまだ。あそこ混浴みたいだから、ちょっとためらう」
「知らないで入ってびっくりした」
リリイは、浴場で出くわしたディータの裸を思い出した。
リリイは本題に入った。
「驚かないで。イングが攻めてくる」
「うそ」
アーリィは湯を波立てた。
「昼に街でディータに会って聞いた。軍の情報だから確かよ。それとクリスがね、錬金術師の集団をつくるってさ。誘われたんだけど」
アーリィは横を向き、リリイを羨ましそうに見た。
「クリスはあなたに目をつけたの。おめでとう。実力があるってことよ。どうするの?」
「断った。錬金術学院の学生として、ハーベ軍に協力してイングと戦うわ」
「それでいいの? だってあなたは……、イング出身で……」
「だから、あまり考えたくない。自分の立場でやれることをやってみる」
「リリイは強いね。自分を信じている」
「まあ、あんたは、クリスの集団に入るのもいいと思うよ。あの人と付き合いが長いのでしょ?」
リリイが言うと、アーリィはふふっと笑った。
「私はクリスについていくの。でも、クリスは私を同格の錬金術師とは見てくれない。リリイはクリスに認められたの。あなたはあなたの道を行ってほしい」




