第33話 属州の領主
ハイダカ山脈の西の平野に、イングリードランド・ブラッド州がある。
州都ブラッド城とその城下町は、山脈を横断し東のハーベストランドとの物流で栄えていた。
この州を代々統治するシャイン・フォン・ブラッド伯爵は、イングリードランド軍を率い、ハーベストランドへ侵攻しては敗退を繰り返していた。
両国の関係は悪化し、交易は途絶え、いまやブラッド州は、イングリードランド国内において東の果ての僻地と化していた。
四十代前半のシャイン伯爵は、年齢以上に年老いて見えた。妃を先に亡くし、跡取りもいない。ハーベストランドとの戦いに疲れ切っていた。
今回もシャイン伯爵は、他国に侵攻する許可、武器の援助と兵隊の派遣をイングリードランドの本国に申請し、戦争の準備をすすめていた。本国から借りた負債は、返す見込みがたたないほど莫大なものになっていた。
シャイン伯爵はわかっていた。
本国は蒸気船による海洋進出を始めたので、内陸に興味を失っている。本国が戦争を認めるのはブラッド州を疲弊させるためだ。本国は、ブラッド家から爵位を取り上げて、貴族から民衆による議会の統治に変えようとしている。
それでも伯爵はハーベストランドと戦い、勝利ののちにトラバントの地を獲得し、ハイダカ山脈をまたがる新しい国家の設立を夢想していた。
シャイン伯爵は、ブラッド城の一番高い搭から遠くを眺め、セオドア・キーンが率いてくる軍勢を待ちわびた。
カルアが捕らわれ怒りに燃えるセオドア・キーン大尉は、本国に戻り、ハーベストランドの調査結果を報告した。
キーンは、自らハーベストランド侵攻の陣を取りたいとすすんで手を挙げた。本国は彼を司令官に任命した。
キーンは本国から、五十門の移動式カノン砲と軍勢を連れて、ブラッド城へ入った。
「よくきてくれた。キーン司令官」
シャイン伯爵は、ブラッド城の広間でキーンを迎えた。
伯爵の表情は硬かった。彼は本国がいつもどおり一万の兵を寄こしてくれると期待したが、数百とわずかだったので、落胆の色を隠せなかった。
足りない兵員は、自分の州から動員しなければならない。負債を返すつもりはないから、税金を安くしているが、ハーベとの交易を戦争で失ったので、民衆の不満は高まっている。
ただ、派遣で来た司令官は頼もしそうだ。
キーンは藍色のイングリードランドの軍服を着ている。肩に星型の『少佐』の階級章が光っている。髪を短く刈りこみ、あごひげを整え、身なりがしゃれている。
「そんながっかりした顔をしないでくれ、閣下。俺も精一杯、兵士を連れてきたぜ」
気さくな調子でキーンはなだめる。
「うむ。本国が重い腰をあげるとは、意外であった。ずいぶんと事が早く進んだ。ご苦労、キーン司令。すこし休んでもいい」
「いいえ、ただちに行動に移りましょう。俺の調査任務の動きで、ハーベのやつらは近々戦争があると知ったはずだ。やつらに準備の時間を与えたくない」
キーン少佐のほうこそ、一刻も早くトラバントに攻め入りたかった。
―――
『ブラッド州領主、シャイン・フォン・ブラッド殿。
イングリードランド国王と議会の決定により、
ハーベストランドの侵攻を許可する。
貴殿をイングリードランド軍大将に任命する。
兵員および武器、戦争経費を支援する。
占領地の行政権は貴殿に帰属する。
イングリードランド国王』
シャイン伯爵は証書を感動で声を震わせながら読み上げた。
「我に本国は随分と期待しているようだな」
「この証書はシャイン閣下の利益を最大限に考慮したものでありましょう」
キーンは強い口調で断言し、伯爵の気持ちをのせる。
シャイン伯爵は高揚して、強い力で証書を握った。
「我は、ハーベを討つ。我々はハーベより技術が優れている。あやつらに勝てないのはおかしい。錬金術なぞ前時代の遺物だ」
キーンは考えた。
『ハーベの力をあまり見くびらないほうがいい。こちらのほうが強いなら、とっくに戦争に勝っている。錬金術学院の教官たち、そしてクリストファー・ローゼンクライツ。奴によって、前回の戦いは、国境を越えることなく撤退を余儀なくされたらしい。実際に対峙してそんなに強くはなかったが』
「キーン。ハーベの女たちは美しいか」
唐突にシャイン伯爵が聞いた。
「女に目を向ける暇はありませんよ。自分は地形調査をやっていたもんで」
シャイン伯爵は、キーンの肩を叩いた。
「なぜ、貴官はやる気がある? なぜ、急ぐのだ? 貴官が戦争をする動機はなんだ。名誉か、金か、女か。お前は、いろいろな女を知っているだろ?」
「さあ、どうだか」
キーンはシラを切り、伯爵の視線から顔を逸らした。
キーンは数年前に妻と別れた。純朴なカルアを見つけて再婚しようと考えていた。
「その整った顎ひげ。モテるだろ。遊んでいるだろう」
シャイン伯爵はキーンの顎をなでた。四十過ぎの男に触れられるのは気味が悪い。
「女っ気はないですよ」
「では、お前、もしかして……」
シャイン伯爵は手を引っこめる。キーンも不機嫌に顔を逸らす。
『もしかしてと思うのは俺のほうだ。忠誠を誓おうとしている相手が、こんなでは先が思いやられる』
「我が昔、トラバント国王の結婚式に招待されたとき、妃のヴァネッサを目にした。たいそう美しかったなあ。いまでも覚えている。あのころは平和だった……。アムブロシアという名の姫がいると聞く」
「妃が綺麗でしたから、娘の容姿も期待してよろしいでしょうな……。というか。まだ、かなり幼いかと……」
伯爵は聞いていない。
「妃はいなくなったが、姫がいる。我は姫を妃にし、新しい王国をつくろう!」
『姫は幼いと言ったはずだが……』
キーンは眉間に深い皺をつくった。
シャイン伯爵は自分勝手な夢想家だ。これでは、ブラッド州が没落する理由もわかる。
「自分は新しく仕える君主のために。州の繁栄のために尽くしたい。新しい王国の設立の希望を是非とも実現させたく思います」
キーンは、出まかせを吹いた。カルアを救出するため、いちはやく戦いに向かいたい。
「よろしい。トラバントを併合する。勝たなければ、わが州が破綻する。それでは本国の思うままだ。本国にも一泡吹かせてやろうではないか。キーン司令官。あらためてよろしく頼むぞ。戦略戦術の構想はすべて貴殿にまかせるぞ」
両者は堅く握手した。




