第30話 捕らわれの王妃
後ろ手に手錠をはめられた若い娘が、二人の刑務官に連れられて、収監施設へつづく階段を降りた。
その娘カルアの茶髪の三つ編みは、すっかりほどけてボサボサになっている。頬は泣きはらして赤くふやけている。幸いにして、顔に拷問の傷はなく綺麗だ。
明りが乏しい廊下の両脇に、鉄格子つきの部屋が並んでいる。西管区行政府の庁舎には、不穏な人物を収容する場所があるのだ。
「スパイめ。ここに入れ」
カルアは一室に押し込まれ、外から鍵をかけられた。
カルアは、イングリードランド軍のセオドア・キーン大尉から、イングへ行く船券を受け取ったのでスパイとみなされた。
独房はベッドと竹製のつい立で隠れたトイレがあるのみだ。カルアは冷たい床の上に茫然と立ちすくんだ。
もう、出てくる涙はなかった。
キーン大尉は隙を見て脱走したと取調官から聞いた。彼は無事だ。いつか彼が助けに来てくれると信じたい。あとは自分が健気にいることが大事だと彼女は思った。
「つらい目にあいませんでしたか」
やさしさに満ちた声を久しぶりに耳にした。
向かいの独房の奥から女性が現われた。カルアは鉄格子を掴み、その間から顔を出した。
「ヴァネッサ陛下でいらっしゃいませんか!」
「わたくしをご存じですの?」
「この地において、存じない者はおりません」
レミーの母ヴァネッサ・ラ・トラバントは、長引く幽閉生活でやつれているが、身分が高い者としての気品を失っていない。
神秘的な鳶色の瞳の輝きは、しっかり子供たちに受け継がれている。
ドレスの生地が傷んでいる。もし着飾ったならば、見惚れるほどの美人だろうとカルアは思った。
「レミー様は立派に城主としておられます」
「レミー、アムブロシア……」
ヴァネッサは我が子を思う、母親の顔になる。
「なぜ、あなたがここにいらっしゃるのです。巷の噂では、あの戦乱の夜にイング軍に連行されたと聞いております」
「わたくしについて聞かないほうがいいと思いますよ。いろいろ知るとあなたに迷惑がかかりますから」
「もう迷惑も何も。私は敵国人扱いを受けています。いつまでここにいるのか、明日どうなるかもわからない。僭越ですが、お話してください!」
カルアの訴えがフロアに響いた。刑務官が駆けつけるのではないかと、一瞬緊張が走ったが、あたりは静寂な空間にもどった。
「いいでしょう」
ヴァネッサは慈悲深く落ち着いた声で静かに話し始めた。
「わたくしは、土の属性の錬金術師。エリクシルのつくり手」
「エリクシル?」
「魔力の結晶です。これを服用すると、素質のある者はより強い術力を得られます。不老不死に近い存在になる者もいる。トラバント王国は錬金術の国でした。近代技術が世の中を席巻するまで、王国は栄えていたのです。わが王国はハーベとイングの大国に囲まれていた。対抗するために、わが王国はエリクシルを用いてでも錬金術師を増やそうとしました。わたくしは元トラバント王国領のとある町の生まれ。わたくしの能力が陛下に買われ、妃となりました」
「生粋の錬金術師なのですね。陛下はご病気で亡くなったと聞きますが」
「陛下は黄金をつくる研究をしていました。金を錬成する際に発生する瘴気を浴びすぎたために命を落とした。物質の組成を転換するには膨大なエネルギーが必要で、体に悪い光波が生じるようです。陛下は『黄金の錬金術師』のはしくれでした。そして、彼の研究を継承したのが、クリストファー・ローゼンクライツなのです」




