第20話 酒場カリキ
酒場『カリキ』の娘カルアは、『第9話 同郷の娘』を参照してください。
トラバント市街の歓楽街の一角に、酒場『カリキ』がある。
夕暮れ時、店から出た娘が、開店(OPEN)を知らせるプレートを外壁に掲げた。
メガネをかけた娘カルアはふっくらとした体つきで、茶色の長い髪を三つ編みにしているのが、すこし野暮ったい印象を与える。
「いよお、やっと開いたか」
通りにいた大男がカルアに声をかけた。
男はあごひげを生やし、灰色の眼は野生の狼のような鋭さがあった。
つばのついた軍帽をかぶり、買ったばかりの真新しい軍人風のジャンバーを着ていた。いっぽう背中の大きなリュックは土ぼこりをかぶってボロボロだった。店が開くまで、しばらく外で待っていたようだ。
「キャプテン?」
カルアは相手をメガネ越しに、上目づかいで確かめる。とたんにグレー色の瞳が明るくなった。
男は軍帽を脱いで頭をかいた。
「へへ。酒を飲むにはまだ明るいか」
「冷えたビールがあります」
相手の苦労をねぎらい、うやうやしいそぶりでカルアは男を店に入れた。
酒場のホールは狭いながらも一階と二階が吹き抜けの構造で、一階は四つのテーブル席とカウンター、入り口のすぐ手前に二階へとつづく階段がある。
カウンターの中年の店主に男は会釈した。
「どうも」
「おや、久しぶりだね。キャプテン。二階に上がんなさい。ゆっくりしていって」
グラスを布巾で拭きながら店主は目配せする。
カルアは男とともに二階へあがった。
「ずいぶんと日焼けしてますね」
階段の途中で娘は振り返り、男のたくましい体を見た。彼はジャンバーと上着を脱ぎ、シャツの胸元を開けた。
「この国をまわり、野宿を繰り返したからな」
大きなリュックは、地図やコンパスもろもろで膨らんでいる。
「今日はお一人ですか。隊の方々を連れて店を賑わせてくださいよ」
そう言いながら、無意識に小躍りする彼女は、男が一人で来てくれた方がよっぽどいいと体で表している。
「俺の部隊は本日正午に解散し、部下は各自、イングリードランドへ船で帰る。この国じゃ、心置きなく遊べないからな」
「トラバントもいい街ですよ」
男は通称『キャプテン・イングリード』と呼ばれる。
本名はセオドア・キーン。
イングリードランド軍の大尉の階級についている。
十五人ほどの小隊を率いてハーベストランドに入り、野宿でトラバント地方をまわった。
主に地形、地質、資源の調査を行った。これも、トラバントに侵攻し、占領するためデータ集めである。
「カルア。ビールを飲ませてやれ」
下の階から店主の声がする。
娘カルアは階段を降り、急いで二つのビールジョッキを持ち上げた。
「こぼすなよ」
吹き抜けの二階からキャプテン・イングリードが、いかつい顔をほころばせながらホールを見下ろしている。
カルアはジョッキをテーブルに置き、男と向かい合わせに座った。
「じゃあ、小さな声で」
「ええ」
二人はビールのグラスを手にとった。
「イングリードランドに乾杯」
「乾杯。お疲れさまです」
キーンはビールを一気に飲み干した。
ハーベストランド軍に気づかれないよう各地をまわる、過酷な任務を終えた上での、格別な味わいだった。
「おいしそうに飲みますね」
カルアは笑って男の飲みっぷりを眺めた。
「この店はイングリード風味だから美味いのだな」
「麦とホップはハーベ産ですよ?」
「そうか、じゃあ美しい祖国の女が目の前にいるから美味いんだ」
カルアは恥ずかしくなって下を向いた。
男性から面と向かって美しいと言われた経験はない。
キーンはこの地に来たときには必ず寄ってくれる。でも、いかつくて野性的で精悍な男は自分に釣り合わないと思っていた。
「しばらくぶりだから、何でも美味しく感じるのですよ」
カルアは胸元にかかる編んだ髪をうしろに払った。
「ああ、しばらくぶりはいいものだ」
そう、女も。
キーン大尉はカルアのまだ若く、ふっくらとした体つきを眺めた。
「今夜はどこに泊まるのですか?」
男の視線を感じたカルアの声がすこし震えている。
キーンは残念そうな顔をして頭を下げた。
「すぐにこの街を出ていかねばならん」
カルアは無言になり、グラスの残りのビールを飲み干した。
「そんな顔をしないでくれ」
「私はイングに帰れない。私はここに居るしかない。イング人の私がこの街に居続けるのは大変なのです。だから、キャプテンが顔を出してくれるだけでも、すごくうれしいのに」
キーンは、ズボンのポケットから封筒を取り出し、左手でカルアの右手の甲に重ねた。
「……」
「開けてごらん」
封筒の中には、イングリードランドの港町への船券と小切手が入っていた。
カルアはまだそれを渡された理由がわからなかった。
キーンは、くだけた調子から真面目なまなざしになった。
「イングリードランドで俺と落ち合おう。追ってきてほしい」
「私が行っていいのですか」
「カルアが決めていい」
うれしさのあまり、カルアの瞳が潤んだ。
夏の陽がようやく沈み、この街に薄い藍色の空間がめぐりはじめていた。




