第2話 錬金術講義
教官室に入ると、担任のコルホズ博士が机に上半身を倒してつっぷしていた。
「なんか、変……」
リリイは部屋の空気に異変を感じた。
机に積まれた本が崩れ、書類が散乱し、インクの瓶が倒れて液が漏れている。
昼寝ではなく、意識を失ったという感じだ。
「先生、大丈夫ですか」
ディータがコルホズ博士の体を揺すって起こした。
「ううむ。ああ。ディータ・ラウズか。私は誰かと会っていたような気がするが……」
眠気を覚ますため、博士は薄い髪の頭を何度か叩いた。白いあごひげを生やし、まるまるとした体を白衣につつむ、温厚そうな老人だ。
「術よ。術がかけられたよう」
リリイが言った。
「リリイ・メディナ君か。二人そろってどうした。おお、ディータ・ラウズ! おめでとう」
「はい。先生。やりました」
ディータと博士は固い握手を交わした。
「国軍に採用、おめでとう。君にわが国の命運を託そう」
博士は優しい声でディータをねぎらう。
リリイはディータの隣でつったったままだ。
ディータだけが褒められるのは面白くない。
おまけにリリイは、博士のことをこころよく思っていない。彼女は博士の講義で生意気な態度をとったことがある。
―――(過去)
コルホズ博士のとある講義で、リリイは教本の朗読を当てられた。
「……神が与える真理を探求し、発見するにふさわしいのは男性である。女性は真理に近づくことはできない。むしろ己の欲望をもって、男性を堕落させるから女性には注意をしなければならない」
読むにつれて、リリイの声がうわずっていく。
「錬金術研究においても、女性が携わるのは危険である。女で錬金術を志すものは総じて魔女である。彼女らは己の罪深き欲望を具現させるために……。何? これ」
彼女は本をパタンと閉じて読むのをやめた。講堂の生徒一同は、驚きのあまり凍りついた。
「リ、リリイ・メディナ君。この教本の内容は君の考えに合わないかな」
階段状の講堂の一番下に立つコルホズ博士は、リリイを見上げた。彼の声はひきつっていた。こんなことをする生徒はいままでいなかった。
「女に錬金術をやらせるなって? あ、そう。教室を見てご覧なさいよ。このご時世、学院の生徒に女子も増えてきているでしょ?」
リリイは机の上で頬杖をつき、軽く左右にあごをしゃくった。
くせ毛をまとめたポニーテールの尾が軽く揺れる。
「そうだ。かつて、男性ばかりがやっていたが、ここハーベストランドは女性も錬金術をやっている。でも、この本をないがしろにしてはいけないよ。錬金術を発展させた立派な学者たちが書いた、伝統のある書物なんだ。いわば錬金術師の必読書ともいうもの」
リリイはコルホズ博士に噛みついた。
「伝統といっても、いつのですか。古い。古すぎです、先生。この国は錬金術が頼りですが、隣の国は工業が活発になっています。もっと実践的な教育を求めます」
錬金術学院に鳴り物入りで途中編入したリリイ・メディナは、産業革命が起こった隣国、『イングリードランド』からやってきた。彼女の出身は教官クラスしか知らない。
「先生に意見するとはたいした女だ。それにしても、罪つくりな格好をしているよ。その点は教本に書いてあるとおりだな」
教室内で、どっと笑いが起きた。ディータ・ラウズが、魅惑的な彼女をからかったのだ。
「なっ、なっ」
リリイは顔を赤くする。
「バカみたい」
か細い声で、誰かが言った。
「今なんて?」
リリイが後方を振り向くと、魔法使いらしい尖った三角帽子を目深にかぶる少女が目に入った。
「バカみたいって言ったの。伝統なんだから、おとなしく習いなさい」
その声の主は、背中までまっすぐなセミロングの黒髪で、いつも三角帽子と黒フードに身をつつむ不思議な雰囲気の少女だった。
すこし厚ぼったい二重の瞳が幼く見えて可愛らしい。
「あなたもこの本の内容に同意できないでしょ?」
「リリイ・メディナ。そもそも錬金術ってなんだか知っているの?」
少女は帽子の下から、黒い瞳をのぞかせる。
はじめに、世界は、神の言葉によって創られた。
それは人が話している言葉とは違うもの。
人は神から、言葉の一部を与えられ、この世のことわりについて考え、たがいに語りはじめた。
「人は、起きたことを記録して歴史を紡いでいった。でも、人の言葉ってものは、神が世界の創造に用いた『完全なる言葉』にほど遠いものだった」
三角帽子の少女は籠りがちな声で解説をつづける。あまり人前で発言をしたくなさそうだ。
コルホズ博士が引き継いだ。
「そのなかで、ごく少数の人間が、長年に渡って積み重ねた経験と研鑽によって、神のみのうちにあった『完全なる言葉』を発見したのだ。その言葉は、特別な資質のある人間が、一定の儀式と手はずを踏んだ上で口にすると、超自然的な現象を生じさせるのだ」
三角帽子の少女が再び口を開いた。
「そうなの。錬金術とは、完全なる言葉を発見して、現出させることなの」
コルホズ博士は分厚い手のひらを叩いた。
「すばらしいです。『アーリィ・リリン』。よい説明をしてくれました。みなさん、アーリィに拍手を!」
講堂に拍手が響いた。
リリイ・メディナは、ただぼうぜんとするしかない。
恥ずかしい。
錬金術が、完全なる言葉を見つけるためにあるのなら、古い教本の記述など、些細なことだ。
彼女は、いますぐにでも、ここから飛び出していきたくなった。
「リリイ・メディナ」
鳴り止まぬ拍手の中で、三角帽子の少女は彼女を呼んだ。
「何?」
リリイ・メディナの水晶のように透きとおる瞳と、アーリィ・リリンの鉱石のような瞳が交わった。
「別にあなたをはずかしめるために、私は言ったわけじゃないの。錬金術とは何かを伝えたかっただけなの」
「別に恥ずかしくなんかないわ。アーリィ・リリンね。覚えておくわ。あっ」
捨て台詞を吐いてしまったリリイの顔は、また赤く染まっていた。
―――(以上、過去)




