第16話 アムブロシアと歓迎会
「午後六時から、リリイ先生の歓迎会をはじめます。支度してください」
授業後、リリイを部屋まで送るメイドのステファニーが予告した。
「ありがと。偉そうな人たちが集まるの? ドレスとか着ていかなきゃダメ?」
ベッドの上で靴を脱ぎながらリリイはたずねる。これからめかし込むのも、正直おっくうだ。
「その必要はありません」
「堅苦しくやるんでしょ?」
「ふふっ、城の人間と言いましても、実際はアムブロシア様がいらっしゃるくらいですので」
「レミーの妹ね」
夕刻、リリイ・メディナは階段で一階に降りた。蒸気式昇降箱の使い方が分からないし、そのためにステファニーを呼ぶのもためらわれた。
ロビーのソファに腰掛けていた小さな女の子が駆け寄ってきた。
「はじめまして、私はアムブロシア。アンジィと呼んでね」
アムブロシアはウサギのぬいぐるみを抱いたままぺこりと頭を下げた。
少女は栗色のラメが混じるショートボブヘアで、髪と瞳の色も兄と同じで、ホールに飾られた肖像画の女性を幼くした感じもする。
歳は兄と五歳ほど離れていそうだ。兄と揃いのセーラー服で違いは下がスカートという点のみ。
「私はリリイ・メディナ。よろしく」
手を差し出すと、少女は左手にぬいぐるみを持ちかえて小さい右うでを伸ばした。少女はリリイのスーツ姿を珍しそうに見た。
「お姉ちゃん。かっこいいね」
「あはは、そう? 着慣れないけど。アムブロシアもかわいいよ。お兄ちゃんとお揃いね」
「そう、お揃い。でもね、メイドのエプロンドレスもすてきでしょう。着てみたい」
「あの格好はね。お茶を汲んだり、掃除したり、レミーと遊びの相手をするために着るものなのよ」
「それなら、着たい。わたしメイドになりたい」
アムブロシアは兄のレミーが好きなのだとリリイは思った。
少女はスカートのポケットから、手のひらほどの大きさの白黒写真を前に差し出した。
夫と妻、二人の子供の四人家族が写っていた。子はレミーとアンジィだ。そして、両親は肖像画の男女にそっくりだ。
「この写真は……。お父さんとお母さんよね」
「そう……。お父さんは亡くなったけど、お母さんはどこかに行ってしまった」
アンジィの瞳には、鳶色の透明な輝きを覆うような曇りがある。
アムブロシアの腕から、ウサギのぬいぐるみがするりと抜けて、床に立ってひょこひょこと踊り始めた。
「わっ」
ぎょっとしたリリイは声を出して腰を引いた。
「リリイ。オネエチャン。ワタシノオカアサンヲサガシテクダサイ。アナタガタヨリナノ」
得体のしれない甲高い空気音がウサギのぬいぐるみから発せられた。
「ウサギがしゃべったー」
「レミー。お兄ちゃん。わたしのウサリンで遊ばないで!」
「ははは。ごめん」
ホールの柱の陰からレミーが現われた。
「ゴ、ゴーレムの術?」
リリイはレミーの力に感心した。もっと術を観たいと素直に思った。
「錬金術は手品じゃないんだけどさ。ウサギの頭に錬成陣を縫っておいたのさ」
「あまりその術をやらないほうがいいと思う」
リリイは忠告するようなすこし真面目な顔をした。
「どうしてかな」
「こういう術には『対価』が必要よ。ゴーレムの術は、術者の魂が削られるっていわれてる」
「ちょっと、操っただけだよ。どうってことないさ。なら、対価がいらなくなるくらい、先生が僕に力をつけてくれればいい」
レミーに悪びれる様子はない。
「ウサリンに変ないたずらしないでよ」
アムブロシアは、術がこと切れて床に転がるぬいぐるみを抱きかかえた。
城の一階の食堂で、リリイの歓迎会が開かれた。
リリイとレミーとアムブロシアの三人しか長テーブルの席についていないので、すこし寂しい感じがする。
「お待たせしてすみません」
そこにスーツ姿のクリストファー・ローゼンクライツがやって来て、一同に爽やかな笑みを送った。アムブロシアは声をあげて喜んだ。
彼の胸元から襟にかけて盛り上がるアスコットスカーフは粋で、自分だけのワークを済ませてから登場したという自由人の余裕に満ちている。
「日中、どこに行ってきたんだ」
レミーは眉をしかめる。クリスはさわやかに笑ってごまかした。
「レミーとアンジィとクリスはいつも一緒に食事するの?」
リリイの問いに、みんなは首を横に振る。
「クリスはいつも忙しくていないのさ。今日は特別だ」
「すみませんね。色々と用事がありますので」
メイドたちが食事を運んできた。目の前に置かれたのは蓋のついたどんぶりと、大根の漬物と味噌汁だ。
向かいのレミーが手を差しのべ、どんぶりの蓋を取るよう、うながした。
「当家名物の豚丼だ。歓迎会にしては、品数がすくないと思ってる?」
「どれどれ。多いか少ないか、味をみてから判断させてもらうわ」
蓋をとると、醤油ダレのいいにおいが漂った。ご飯の上に豚ロースがびっしり詰まり、グリンピースがまばらにちりばめられてある。
「いただきまーす」
肉は堅めだが、生姜がよくしみこんでいて、家庭的な味だ。
「おいしい。私、豚丼好きだから。ハーベストランドは畜産がさかんでしょ、豚丼の店も多いの。家庭でもよく豚丼をつくっているわ」
「肉は地元のだよ」
「もうすこし、肉が厚かったらよかったかも」
リリイは、すっかりハーベ人きどりで城の一品を批評した。
「リリイお姉ちゃんは、どこから来たの?」
アムブロシアは小さな口で薄い豚肉を齧りながら彼女に聞く。
「ハーベ中央の錬金術学院だけど。汽車でまる一日かかったわ」
少女はリリイの生まれ故郷を聞いたのかもしれない。戦争のことがあるから、本当はイング出身だと、幼い娘を相手にしても言えない。
「都会から来たのね。汽車か……。私は乗ったことないな」
クリスは食後のコーヒーカップを手にした。
「リリイ・メディナさん。レミー様に講義をよろしくお願いします。教師のあなたは、レミー様にどういう素質があって、どういう能力を伸ばせばよいか考えていらっしゃると思います」
「ええ」
「それでは、リリイさんは、何をしたくて、何になりたくて錬金術学院で学んだのですか」
クリスが鋭い質問をした。
リリイが錬金術師としてやっていく将来目標なんて、まだ不明確だ。学院でも、学び足りずにあっという間に時は過ぎていった。
「私は、風の属性の錬金術師。人助けのために術を磨くみたいな、月並みなことを私はしない。風の精霊は私を愛し、私は真実を愛する。真実は私を愛し、私は力を手に入れるだろう」
我ながら何わけのわからないことを口走っているのだとリリイは思った。でも、それは彼女がいつも頭の奥底で思っていたことだ。
「寓意に満ちていますね。あなたは風の精霊に愛されている。だから、おのずと力が備わるだろうと。とてもよい心の持ちようです。錬金術師は、人を助けるためにいるわけではありません。存分に己の世界に没入してよいのです。錬金術師は世界の主人になりえる存在であると私は思っています」
クリスは力強く彼女を肯定した。
リリイは気持ちよくなって、不敵な笑みを人前でこぼしていた。
『こんなこと、人前で言えなかった。学院でもそんなこと言えなかった。クリストファー・ローゼンクライツはわかってくれた』
―――
ささやかな歓迎会のあと、リリイはアンブロシアの付き添い人を目の当たりにして、胸を高鳴らせた。ホールにはエプロンドレスに身を包むアーリィ・リリンがいた。
「アーリィじゃない!」
リリイは飛びつき、両手で肩を掴み、強く揺さぶった。
二日前、学院でバトルをしたばかりなのに、ずいぶん会っていなかった気がする。
反動でアーリィの黒髪の上の白いフリルカチューシャがはらりと落ちた。
「おっと」
リリイはそれを両手で受けとめる。
「何でここにいるのよ? って?」
アーリィはリリイの口調を似せて言い、そして微笑みをつくった。
「あなた、メイド志望だった?」
「前々からここに仕えているの」
いつも三角帽子にフード姿のアーリィは恥ずかしそうに黒いつぶらな瞳を細めた。
「まだ、錬金術学院生でしょ? 私たち卒業試験を控えているじゃない?」
アーリィはすこし間をとってから答えた。
「もう学校は辞めたの」
「どうして?」
「もちろん訳はあるの」
「いろいろ聞きたいことがあるから、今夜私の部屋においで。いい部屋を当ててもらったわ」
「まだ無理なの。私はアンジィ様の付き人なの。今度ね。あと、言い忘れていたの。トラバント城へようこそ」
「がんばろうね」
リリイはアーリィの頭をぎゅっと抱いた。指先にアーリィの黒髪のなめらかな感触があった。




