(6)
***
東宮に官僚として勤務する二十代の黄宇は、誇り高き男だった。
彼は幼少より自己研鑽に余念のない努力家だったし、生まれつき秀才だった。彼はいつの頃からか、自身について無能だったり低劣だったりすることが許せず、出来る限り、生得した能力が全開するようにしなければいけないという強迫観念に憑かれるようになった。なまければ他人に劣り、優越できないという怖れに常に付きまとわれ、黄宇は、ゆっくりくつろぐやり方に疎く、しかし勉強などの自身が高まる行いをしている間は、軽減され、ホッと安らげるのだった。
怠惰をほとんど認めようとしない黄宇の潔癖じみた禁欲的生活は、ゆとりがなく、彼に対して、高尚にするよりはむしろ精神的に疲弊させ、イライラさせ、気難しい人間にするようだった。
黄宇が自身にかける負担は、彼にひとつの妄念を抱かせた。つまり、これだけ努力しているのだから、相応の報いがあるに違いない、否、なければいけない、そういう風に、彼は考えるようになったのである。
瑞国の最高学府である国子監の特待生用の学級には、本来皇太子に次ぐ高位のごく限られた学生しかいないはずなのに、そこに低位の皇子である黄宇がいた。成績の優秀であることと、本人の強い意志のためだった。彼は喜ばしい思いで国子監に通学していたが、選りすぐりの精鋭ばかりの小さい学級で、唯一低位の彼は、陰で嘲笑われていた。彼の激しい努力は、たしかに賞賛に値するものだが、彼の身空では、むなしい空回りとしか思われなかったのである。
――彼の激しい努力の背景には、母の影があった。彼の母は、やはり低位の宮女であり、そのことが彼女の劣等感になっていたのだろう、息子の黄宇には、身分の垣根を破って何とか成功させたいという願望を抱いていた。
その願望は、時には暴力さえある厳しい教育に繋がり、しかし黄宇は、母が一向嫌いにならなかった。母の厳格さに何度となく苦まされたが、母は彼にとって唯一と言える家族であり、孝行の意味でも、彼女に献身するつもりだった。
その母は、息子が芳しい成功をおさめる前に、運悪く病気にかかって亡くなった。皇帝は、彼女との間に一子を設けたにも関わらず、昔の女と切り捨てて薄情に見放し、母の死後黄宇は、ひどい虚脱感に襲われた。
彼の不断の努力は、前提に、母の励ましがあった。確かに彼女は厳しかったし、克己と努力の継続はとてもツラいものがあったけれど、その先には、温かい励ましとねぎらいがあった。将来の成功よりはむしろ、いつも厳しい母においては限られたものである温情の言葉の方が、喜ばしかった。
母の喪にぼんやりしていた黄宇の心に、次第にくっきりと浮かび上がってきたのは、怨悪だった。父であり、皇帝であり、母の仇といえる楊権に対するうらみだった。
***




