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大雨の春宵、それが、青年白文の旅の始まりの時だった。彼のそれまでの、王の補佐としての堅実で安定した生活は、情勢の混乱のためにダメになり、行くべき先は用意されてはいるものの、住処を逐われた彼の今後に対する心細さは、決して小さいものではなかった。
墨英が御者として馭者席に座り、馬車を曳く馬の制御に当たった。白文は、馴染みのない鉄夏の寝ているそばでじっとしているのは気まずかったし、黄輝のことが心配だったので、その注視のためにも、友人の隣に座った。
自分の任務を疎かにして呑気にいびきをかいている同輩について、白文から愁訴があり、墨英は大いに呆れたが、鉄夏はそういった気質の人間だといって、あまり関与しようとしなかった。
旅する上で、大雨という天気は甚だしく悪条件だった。それは、行くべき方角の標となる星宿が見えないためである。
彼等はだが、月比を包囲しようとする反乱軍の兵站線を抜けて、速やかに外側まで脱出する必要があり、とにかく最初に確認した位置から、なるべく一直線に、逸れずに進むしかなかった。
月比より出立してしばらくの間の旅路は、田畑や小さい集落の点綴する平原であり、快速に白文たちは進んだ。
だが、その後に彼等は丘陵に到り、馬車でのぼるかどうか迷った。細く険しい、道の状態の安定しない山道に進入するには、馬車という手段は不得手だった。馬が疲弊するし、怪我でもすれば立ち往生するし、車輪が痛むし、馬車の乗り心地がひどいものになる。
仕方なく白文たちは、丘陵を迂回して進むことに決めた。
ちょうどいい時機だったので、彼等は麓の木立で隠れるように休むことにした。
車内で寝ている鉄夏は、黄輝の寝る上で邪魔だからと墨英に起こされ、渋々外に出た。
白文と墨英と鉄夏は協力し、撥水性の高い厚手の綿布を拡げ、木々に紐で括り付け、覆いとして固定し、その下に同じ厚手の綿布の敷物を敷いた。
その下で彼等は、降り注ぐ大雨の暴力的なほどの響きに包まれて、『川』状に並んで仰向きになった。
出入口の幌がすっかり下りている馬車の車室で、黄輝はすでに寝ていた。伸び伸びしたものではない、縮こまったような姿勢で横たわっていて、悲運によって親元と故郷より切り離された彼女はきっと、寝入る際に種々の物思いが去来して苦悩したに違いなかった。
墨英と鉄夏が早々と寝息を立てはじめる一方で、白文だけは、うまく寝付かれなかった。今後のことが、あるいは楽観に満ちて、あるいは悲観に満ちて、想像されて変に覚醒してしまったせいであり、彼の目の前には、茫漠とした空間が幻視され、どのように生きていけばいいのか、深刻に考えさせられるのだった。
母親の白林がいる後宮へ帰るというのは、甘えに思えて気が引けたが、最も確実性の高い選択肢としてまず思考された。だが、白文には守るべき立場とやるべき仕事があり、斉が反乱軍に敗れ、仮に王が戦死などするとしても、その遺志によって彼は、ずっと世話になってきた王になお従属しているし、そして、存命している娘と同行しているのであり、また、後宮は、最早皇帝が目にかけなくなった女性の、すでに十五歳を超えた青年の自由に出入りできる環境ではなかった。
とにかく前に進むしかないと、白文は、いささか強迫的に思った。
彼は目蓋を閉じ、全ての想念を暗闇の向こうに遠ざけ、いちばん後に入眠したのだった。
***第一章 了***




