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断罪令嬢のまかない飯が旨すぎて、冷酷王子が厨房から出てこない。  作者: 渚月(なづき)


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第9話 献立表は静かに告発する

晩餐の翌々日、王都は静かだった。

騒がしい街というものは、本当に大きなことが起きた時、数日は息を潜める。

まるで、鍋の火を止めた直後の厨房のように。


ハルシェード家の家領は、正式に返還された。

ただし、父侯爵は、既にこの世にいない。

わたくしは、家名を、名乗る場所ではなく、継ぐ場所として、受け取り直すことになった。


シルヴェストは、貴族位を剥奪され、北の辺境の修道院送り。

ベルトランは、卸問屋ギルド長を解任、私財没収の上、裁判。

オズマリオのカナリア家は、家格を二段降格。

ジュナスは、毒殺と偽証の罪で、独房。


過度な処罰ではない。

罪の重さの分だけ、量られた。

フェリクス殿下の言葉通り、彼は、兄王太子を庇わず、罪の重さだけを、きちんと量った。

量った分だけを執行する、という節度は、実は、感情的な大処罰より、ずっと恐ろしい。

情に流されない処罰は、二度と、同じ手口で甘えようとする者を、黙らせる。



王宮第二厨房には、顧問料理人の札が、わたくしの名で掲げられた。

アイリル・ハルシェード。

家名のついた札は、裏口を通らなかった。


けれど、わたくしは、下拵えの時間、相変わらず竈の前に立っている。

顧問という肩書は、仕事をしなくていい免状ではない。

仕事の責任が、少し重くなっただけだ。


「アイリル様」

「アイリで結構でございます、リース」

「でも、顧問料理人様に、名前呼び捨ては」

「厨房では、わたくしは、まだ見習いの心づもりです」


リースは、嬉しそうに頬を赤らめた。

十九歳の少年は、この半月で、背が少し伸びたように見える。

王都の噂をよく拾うこの少年は、新しい配膳頭補佐に昇格した。


サーシャは、わたくしの一番下の助手として残った。

「あたしは姉弟子の後ろを歩いたことがないから、あんたの後ろを歩くよ」と、彼女は笑った。

その笑いは、半年前のミレネ様への、彼女なりの挨拶のように聞こえた。


王都南の修道院から戻ったミレネ様は、わたくしの副顧問に就任した。

痩せて、顔色は青白かったけれど、目の光は衰えていなかった。

「あなたの匙、私の匙より、少しだけ軽いですね」と、彼女は言った。

「……重いほうが、よろしいのですか」

「いいえ。若い手には、軽いほうが動きやすい。私も、あなたに合わせます」


ミレネ様の一言で、厨房の匙の並びが、整いなおした。

先輩と後輩の順番ではなく、仕事の動きやすさの順番に、配列が変わった。

それは、小さな変化のようで、厨房の「格」の根っこを、一つ入れ替える変化だった。



コンラートは、厨房長の職を自ら辞した。

けれど、宮殿は彼を手放さず、厨房監査役という新しい役目を授けた。

仕入れの真贋を見極める役目は、かつて卸の圧に屈したコンラートにこそ向いていた。

贖罪のためではなく、経験のために。


フェリクス殿下は、下拵えの時間に、勝手口から覗きに来るようになった。

「味見だ」と言って、まかないの一皿をつまみ食いしていく。

「殿下。王子殿下が、味見のために厨房に入ってはなりません」

「入らぬ。俺は、勝手口の外に立っている」

「足の先が、中に入っております」

「それは、風に押されたのだ」


無風の廊下で、殿下の足は、自分から動いているのだけれど、それは指摘しないでおいた。

サーシャが鍋の向こうで笑いをこらえていた。

ミレネ様は、殿下に小皿を差し出しながら、「殿下、次の風は、強めに吹かせておきます」と、真面目な顔で言った。

厨房の空気が、少しずつ、以前の「命の綱渡り」から、「職人たちの小さな冗談が許される場所」に戻ってきていた。



王太子殿下が、午後、第二厨房に、直々にお越しになった。

手に、一枚の献立表を持って。


「アイリル嬢。これを、見てくれるか」

「拝見いたします」


それは、五年前の、ある公式晩餐の献立表だった。

赤いソース、ノルダ産——と、書かれていた。

五年前。ノルダ産の赤いソースの流通は、既にあの頃から始まっていた。


「五年前の、晩餐。私が臨席した、最後の父上の晩餐だ」

「先代国王陛下の」

「父上は、晩餐の翌日、体調を崩された。そのまま、快復せず」

「……殿下、それは」

「確証はない。だが、再調査を命じた」


王太子の微笑は、少しだけ、疲れを帯びていた。

先代国王の死に、赤いソースが関わっているかもしれない。

それは、王太子自身の、父を失った傷の問題でもあった。


「アイリル嬢。君の舌と、君の目を、再調査に貸してくれ」

「……王家のことにございますれば、わたくしごときが」

「違う。王家のことだからこそ、王家の外の舌が要る」


王家の内側の舌は、王家の味に慣れてしまう。

慣れた舌は、慣れた毒を、見抜けない。

王太子殿下のご判断は、理に適っていた。



わたくしは、一礼して、献立表を受け取った。

紙は、五年分の厨房の湿気を吸って、指に柔らかかった。


献立表は、静かに、告発していた。

赤いソースの一行が、五年前の晩餐から、ずっと、そこにあったことを。



殿下とわたくしは、厨房の勝手口の軒先に、並んで立っていた。

厨房から漏れる灯りが、二人の足元をほんのわずかに照らしていた。


「アイリル。顧問料理人の、次の話をしてもいいか」

「次の話、と仰いますと」

「お前と、これから先の厨房の話だ」

「……はい」

「今すぐの話では、ない。お前は、家領の立て直しがある。厨房の改革がある。五年前の再調査がある」

「左様でございます」

「いつか、俺のために、毎日一皿、作ってくれればいいと、思っている」


殿下の肩が、こちらの肩と、ほんの少しだけ近くなった。

近づいた距離は、言葉より、ずっと、温かかった。


(殿下のお言葉は、いつも、料理の味のように、じんわりと効く。)


わたくしは、ほんの半歩、殿下のほうへ、歩幅を寄せた。


「殿下。わたくしの定席は、まだ、厨房の竈の前でございます」

「そうか」

「ただ、殿下のお味見に、あと数年、お付き合いいただけますれば」

「喜んで」


軒先の二人の肩が、少しだけ、寄り添うようになった。


裏庭の木の上で、夜鳥が一声、短く鳴いた。


一声が、長く尾を引いた。


尾を引く鳴き声のあいだに、わたくしは、明日の献立の、最初の一行を、心の中で、静かに書き始めていた。


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