二十歩目 ビリビリ
「ここも問題ないな」
「大きくなったねぇ、ヴァル。こんなに立派に仕事できるようになって……」
「ありがと、アニアばーちゃん。もうそれ百回くらい聞いたけど」
ヴァルが最後に確認した結界具の近くに住むアニアという老婆が、ヴァルを見て「えらいえらい」と言ってほろりと涙を流すのを気恥ずかしそうにヴァルがそう言い返した。
「こーんなにちっちゃかったのにねぇ。えらいねぇ……」
「潰れてね? それ。いやむしろ、もう俺じゃない気がする。その小ささ」
しみじみと言うアニアが人差し指と親指をちまっと広げたのを見て、ヴァルが呆れ交じりに言う。
アニアはうんうん、と聞いているのか聞いていないのかよくわからない頷きをして、それから薄い茶色の瞳を細める。
「怖がりのヴァルがこんなにしっかりして、えらいえらい」
「そろそろやめよう、その話。恥ずかしすぎるから」
アニアの言葉にヴァルはむず痒そうな、微妙な表情になりながらやんわりとそう言った。
「さて、ばーちゃん。俺はそろそろギルドに」
「おう、ヴァル。仕事せんでなにやってんだ? トマスに言うぞ」
「今終わったとこだよ!」
「そうかぁ」
微妙な空気に割って入って来たアニアの近所の男性の言葉に勢いよく言い返せば、彼はおかしそうに笑った。
「ったく。人が真面目にやってんのに」
からかうな、と文句をその後に続けたかったヴァルは、寒気を感じるままに振り返った。
見えたのは霧だった。
漂っているのに消えそうにはない黒い、暗い、嫌な霧。
それが広がって、大きくなっているように見えた。
正確には、近づいてきているから、大きくなっているように見えるだけだ。
「あれは、『魔』……?」
慄いたようなアニアの声が耳鳴りで遠くぼやけたようにヴァルには聞こえた。
後ろで男性が怒鳴るような大声で「逃げるぞ」と叫ぶ声。
アニアが狼狽えたような悲鳴を出しながら、男性に引っ張られていくのに、ようやく片足が後ろに動かせた瞬間。
「風よ! 助けて!」
必死に叫ぶ声と、嫌な空気を追い払う柔らかな風。
恐怖に足が竦んで止まっていた意識を目覚めさせる声が風に運ばれて、迫る黒い霧をほんの少しだけ押し返す。
「ご、ごめんね! 駄目だった!」
「いいえ。十分ですよ」
そんな状況じゃないのに、振り返った先でヴァルの方へと駆け寄りながら謝るフワワの姿と、男性とアニアの前で青く輝く本の上に浮かび上がる水を陽光に煌めかせながら、ソノラが笑みを浮かべる。
いくつもの水でできた球が放たれて、広がる霧の至る所にぶつかる。
その間にフワワがヴァルの手を取って後ろに引っ張った。
ソノラが放った攻撃は霧の動きを止めて、わずかに散らしたもののまるで意に介していないように再び集まって、やはり決まった形もなく漂う。
「あれって、効いてないのっ!?」
「た、たぶん、魔法耐性が強いんだ」
驚いたように言うフワワの疑問にまだ色の悪い顔で、けれど自分の足でフワワとともにソノラ達の方へと向かえていたヴァルがそう答える。
エレメンターにアタッカーやウォーリアーなどの物理主体の前衛と、ウィザードやマジシャンなどの魔法主体の後衛が居るように『魔』にもそういった特徴がある。
どちらかがあまりにも効果が薄い『魔』に対応するためにも、基本的にパーティーは前衛と後衛を揃えた方が良い。
―――― ゴォーンッ
重く響く音にソノラがそちらを見れば、シャリアが何も描かれていない看板のように見えた銅鑼を近くの家にあった石をぶつけて鳴らしていた。
「エレメンター以外は速やかに離れて! ギルドの方に避難を! ご家族を探しに行くのはギルドがしますっ!」
シャリアの声、というよりも銅鑼の音に近くの住民たちが事態に気付いて早々と家から出て行きギルドのある方へと走り出す。
男性もアニアを連れて同様に走って行く。
「ヴァルくん! ここの結界具を起動して! 予備のやつはノンナが持ってくるからっ!」
シャリアはそう言ってもう一度石を銅鑼に打ち付ける。
「……っはい!」
重く響く銅鑼の音に若干掻き消されながらも頷いたヴァルが腰のポーチから杖を取り出した。
それは木の枝を加工したようなシンプルな杖で、持ち手の少し太めの部分に翡翠色の魔石が埋め込まれており、細くなっていく先端部分は危なくないように丸く潰されていた。
杖の先から風が走って結界具に取り付けられた石が砕ける。
それと同時に渦を巻くように風が吹き溢れて、街と『魔』を遮るような結界が構築されていった。
じりじりと近づく『魔』が結界に触れて、弾かれるようにその霧が散る。
「フワワ。私達も今の内に避難誘導を」
「ソノラちゃん」
結界が出来た事でホッとひとまず一息吐いたソノラがフワワに次の行動を指示しようとしたものの、それよりも先にフワワがソノラを呼んで遮られる。
フワワの視線は不安そうに『魔』を見つめて、おそるおそるとそれを指差した。
「なんだか、さっきよりも濃くなってるよ?」
「―― え?」
フワワがそう言って指差した『魔』をソノラも見上げる。
散って、集まって、漂って、けれど目の前に留まっている黒い霧。
確かにフワワの言葉通りに濃く ―― 否、集まっているのに留まる範囲が大きくなっている。
そうして再び結界に迫る『魔』が、いくつかの霧を散らしながら、今度は結界を押した。
「っ!」
バッとフワワの前に出たソノラが青く輝く本の中を『魔』へと向け、結界に沿って水の壁を作る。
「まさか、昇格期間が過ぎた……?」
「ウィザードの攻撃が通らないならお二人も危っ」
顔を引きつらせるヴァルと同様に蒼褪めながらもシャリアがフワワとソノラに後退を促すよりも先に、軋む音が鳴り響く。
「フワワ! 自分を防御してください!」
「で、でも!」
「私よりもフワワが無事な方が、良いでしょう!」
―――― 明確には言わないがそれはフワワのギフト魔法のことだ。
絶対数の少ないヒーラーの代わりを務められるほどに稀少な上級の治癒魔法。
けれどそれはフワワが無事でなければ意味がなくなる。
本職のヒーラーであっても、常にその身をパーティーメンバーが護衛するのが当然なのだから、こういった状況でヒーラーの代わりが出来るフワワが護られることはおかしなことではない。
フワワも、そのことについてはカナカ達からも言われているから、でも、ともう一度小さく零したものの、ギュッと強く目を瞑って、どことなく悔しそうな表情を浮かべながらも青い目を開いて風を身に纏うように周囲に留める結界を張った。
フワワのステイタス値ではさした強度ではないものの、それでもないよりはマシになるだろう。
亀裂の入った音が聞こえた。
結界具で作られた結界が粉々に砕けて、その先にあるソノラの水の壁が飛沫となって飛び散って消える。
結界と水の壁を吹き飛ばした黒い霧がそのままの勢いで雪崩れ込むように迫る。
「……っ」
身構えたソノラの後ろで、杖を握りしめたフワワの耳に何かが弾けるような音がした。
「【雷霆砲】」
バチバチと断続的に爆ぜる音と何かが走り抜けていく突風。
目が眩むほどの閃光を纏って、一瞬で誰よりも最前に辿り着いたネスタが自らの大盾を形もない黒い霧めがけて殴るように突き出す。
その盾が突き出された先から雷が撃ち出された。
広がる黒い霧の中心に大きな穴を開けた雷撃 ―――― ネスタのギフト魔法【雷霆砲】は、雷が撃ち出された付近の地面などを抉って、削って、壊しながら遠く、山へ続く丘陵を抉り取って洞穴と呼ぶには小さなものを作り上げている。
ふぅ、と一息ついたネスタが、ガクリと膝をつく。
「ネ、ネスタっ!? 大丈夫ですか!?」
「ネスタくん、怪我したのっ!?」
慌ててソノラとフワワが駆け寄って尋ねれば、ネスタは小刻みに震えた手で自分に触れないように制止した。
「ち、ちが…………。俺のギフト魔法、使うと痺れて……しばらくビリビリする」
「…………連続で使用できないギフト魔法って本当に存在してたんですね」
小刻みに震えているのは痺れによるもので、本人の言葉通りにほのかに全身にバチバチと雷が爆ぜた音を立てているのを見たソノラは、そっと離れて感心する。
神に与えられたギフト魔法は、エレメンターに取って最も重要な武器で、才能で、切り札となるものだ。
与えられたその魔法の名を口にするだけで効果を発揮するギフト魔法は、通常威力の大小はあれど、基本的には制限がない。
けれどネスタに与えられたギフト魔法は、望んだ場所を狙ってそれなりに広い範囲へと撃ち出せる代わりに雷を纏った反動による痺れが起き、パーティーメンバーも触れば残った雷に火傷を負う危険がある代物だった。
周囲にも被害がある事で前リーダーから「使うな」と怒鳴られて以降、滅多に使わなくなったネスタは久々の痺れた感覚のまま、緩慢な動作でなんとか立ち上がる。
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次話の更新は6/20(土)の予定です。
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