第99話 結末
1548年(豊新2年)8月下旬 周防国 富田若山城 陶隆房
「おのれ、あの糞ジジイが!!」
怒りの余り、手に持った扇子を壁に叩きつける。鈍い音と同時に、雅な意匠を施された扇子が床に転がる。
現状、俺の置かれた立場は非常に不味い。
あの時までは、何もかもが順調であったのだ。
文治派の相良 武任等を重用し我等を圧迫する御屋形様(大内義隆)を見限った俺は、密かに御屋形様への謀反を計画した。
その計画とは御屋形様を廃して、代わりとして豊後の名門大友家当主・大友 義鑑の次男・大友晴英を大内氏の家督に据える。と云うモノだ。
晴英様は先代大内家当主・義興様の血を引き継ぐ上に、一時期は御屋形様の猶子と成っておられた。血筋に問題は無い。
決意したその計画には、大内家のの重鎮である長門守護代・内藤 興盛殿の賛同を取り付けた上で、豊前守護代・杉 重矩、石見守護代・問田 隆盛、安芸の毛利元就等、各国の有力者にも根回し済みであったのだ。
それが………
『良き儲け話が有りまする。』
と、言って
豊前守護代・杉 重矩に連れられてやって来た、博多の豪商・神屋 寿貞に唆されて、偽銭の鋳造に手を出したのがいけなかった
主家への謀反に必要な軍資金確保が目的で、あまり深く考えずに実行に移したのだが、直ぐに、強烈なしっぺ返しを喰らう事と成った。
その偽銭の鋳造が長尾にあっさりと露見し結果、長尾家による大内討伐の呼び水となってしまったのだ。
大内領の湊は長尾家の越後水軍に北海(日本海)を、東海水軍と長尾に組した毛利・村上水軍により瀬戸内の湊を封鎖された結果、関門海峡を完全に封鎖され九州との行き来さえ不可能な状態に陥る事となったのだ。
そして、大内家を離反した安芸の毛利と合流した長尾軍軍長の一人、武田晴信の率いる長尾家の先遣隊の動きも活発だ。
瞬く間に安芸の大内方の国衆を駆逐したかと思えば、直ぐに我が家の本拠地周防にまでも進出の構えを見せてきている。
既に、周防西部の玖珂郡熊毛郡大島郡の主だった国衆達は粗方毛利のジジイと長尾家の調略により膝を屈しておる。
未だ、陶家の家臣である玖珂郡高森城主・宮川 房長は進軍する長尾家の軍勢を中核に安芸勢を加えた1万5千の軍勢に対し城に籠り抵抗を続けてはいるが、城に籠る城兵は500に満たない。
力攻めされれば、長くは待たぬであろう。
城が未だ落ちずにいるのは、長尾家に急ぎ城を落とす理由が無いからに過ぎない。
城をじっくり包囲し、大内家中の動揺を誘う、もしくは援軍を待ち受けて、その撃破を目論んでいるのだろう。
要は高森城の将兵は、我等に対する生餌に等しい。
かといって、見捨てれば俺の求心力や名声は地に堕ちる
クソが……毛利のジジイが考えそうな厭らしい手だ。
援軍を送ろうにも、瀬戸内の海を敵方に制されているいる現在では、留守にした居城を何時攻められるかも判らぬし合戦時に何時、背後を襲われるか判らん。迂闊に兵を動かす訳にはいかぬ。
そもそもにして、この居城若山城に現在集まっておる兵は3千に過ぎず、援軍が必要なのは寧ろ俺だ。そんな寡兵で、のこのこ出向いても、とても精強と名高き長尾家の軍勢に勝てるとは思えん。
援軍にと頼りにしておった、長門守護代・内藤 興盛からは先程、援軍どころか俺宛に御屋形様との連名にて偽銭鋳造に対する糾弾の書状が届いた。
どうやら、あのジジィも、あっさりと俺を切り捨てやがった
敵対関係となっておった御屋形様と組んで、俺を生贄として、なんとかしてこの危地を乗り切る心算の様だ
主家からも、配下の国衆からも、同士と頼んだ者からも見捨てられては、
最早手の施し様が無い。
完全に詰んでいる。
正直、銭の鋳造ごときで、此処まで長尾家が激怒するるなど考えもしなかった
俺は、知らぬ間に龍の逆鱗に触れていたのだ……
……しかし、俺も【西国無双】と称えられた男よ。
そう簡単に諦めて為るものか……
……御屋形様に詫びを入れて、共に長尾家と戦うか……?
いや、首だけにされて長尾家に送り付けられがオチか……
……いっそのこと、長尾家に降るか……?
長尾家の風聞を聞くに、長尾家は降伏した者にも随分と寛大だ。敵対者を重臣に抜擢する話も多い【西国無双】と称えられる俺ならば、きっと重宝してくれる事だろう。
問題は偽銭の鋳造の件だが、其処は大内攻めの先陣を切る事によって帳消しにでもして貰うとしようか……
チッ。クソ商人の口車に乗った事が、此処まで祟るとは……
まだ、終わらん。俺は決してこの様な結末は認めぬ。
必ずや俺は、長尾家でも成り上って見せようぞ!
1548年(豊新2年)9月初旬 周防山口 大内氏館 大内義隆
「周防守護代・陶隆房が謀反!長尾勢を先導する形で、此方に迫っておりまする!」
早馬によって齎された凶報に、評定の間がざわついた。
ここ暫くの間に凶報は嫌という程に聞いてきたが、確かにこれは格別よな……
「……それで、敵勢の数は……?」
震える声で物見に尋ねたのは、長門守護代・内藤興盛、家中一の大身にして宿老では有るが、こ奴が隆房と組んで儂に謀反を企てていた事を、儂は既に知っておる。
この危地に盟友の隆房を売り、再び儂に擦り寄って来た様じゃが
隆房の首を長尾に送り付けて、事態の収拾を図ろうと云う目論見はやはり、上手くはいかなんだな。
それにしても、五郎(隆房)の奴は相変わらず直情的に動く奴よな。
「武田晴信率いる長尾勢に加え、毛利元就が率いる安芸勢に陶隆房に周防の国衆も加わってその数2万を超える勢い……」
対して、この山口に詰める兵は5千程度……未だ長尾家の本隊すら到着しておらぬと云うのにこれは、勝てぬな
「筑前、豊前、石見よりの援軍はまだなのか!?」
今更、何を言っておるのだこいつは?
我が大内の水軍はとうの昔に、長尾の水軍と交戦し壊滅しておる。
関門海峡を押さえられては、九州よりの援軍など望める訳は無かろうに。
それに加えて、筑前では古処山城主・秋月文種が豊前では城井谷城主・城井 長房が反乱を起こしている上に、龍造寺を中心とした肥前の国人衆が筑前に雪崩れ込んで居る。とても、援軍どころの状況に有るまい。
そして、石見の状況は九州以上に悪い。
石見の有力国人である七尾城主・益田 藤兼が、毛利のジジイか長尾か尼子誰に唆されたか知らんが、周辺の国衆と共に大内に対して大規模な反乱を起こした。
此方に援軍どころか、石見守護代・問田 隆盛からは此方に援軍の要請を送って来る有様よな。
これは、もう何ともならぬ。
この絵図を描いたのが、かの神童か、毛利のジジイか、武田の小増かは知らぬが、実に見事な手際よ。
此処まで完璧にやられたならば、最早怒りを通り越して達観、感心の情しか涌かぬわ。
まさか、この大内が此処まで完膚なきまでしてやられるとはのぉ。
「……御屋形様、此処は一旦退いて、再起を計るべきかと……」
側近の相良 武任が悲壮な面持ちで告げるが……
「周囲の海は長尾の水軍が制し、九州にも逃れる事は叶わず、長門も長くは持つまい。石見も此処と状況はそう変わらんぞ。一体、何処に退けと言うのじゃ?」
「されど……」
「もうよいのじゃ。武任。」
「此処は潔く、長尾家に降るべきじゃろう。それが、この山口の街や民を護る事に繋がろうよ。」
長尾軍の軍規は厳 しく、民に無体を働く事は無いと云う。儂が腹を切って大内家が滅ぶ事に為ろうと、儂が心血注ぎ築き上げたこの山口の街が、後世にまで残ると云うなら、最早それでよい。
もしかすると、家臣等に謀反を起こされて滅びるよりは、長尾家に降った方が余程マシな、結末やもしれぬしな。




