第98話 謀将
1548年(豊新2年)8月初旬 安芸国
吉田郡山城 武田晴信
可愛川と多治比川に挟まれた吉田盆地の北に位置する郡山、その郡山全山を要塞とする巨大な城郭が、嘗て尼子晴久率いる3万の尼子軍をも撃退した、毛利家の居城
・吉田郡山城だ。
その堅牢な城は今、盛夏の太陽の容赦ない光を浴びながらも、独特の活気と熱気に包まれていた。
「安芸守護代・弘中隆兼が、此方側に付き申した。」
「フフフ。流石は智将と名高き毛利元就殿。頭崎城の平賀 隆保、己斐城己斐直之、桜尾城・佐伯景教に続き、大内が重臣安芸守護代・弘中隆兼までも、これで安芸は粗方、長尾方に染まりましたな。」
枯れ木のように痩せた参謀局副局長・宇佐美定満殿と、新たに長尾家の旗下に加わった安芸の有力国人・毛利元就殿が悪そうな笑みを浮かべながら話している。
宇佐美殿は優雅に煙管をふかしながら、毛利殿は年の功か、どこか達観したような雰囲気がある。
謀将と呼ばれる者同士で、随分と気が合う様だ。
俺と宇佐美殿は、長尾方への旗幟を鮮明にした毛利家の要請により、先遣隊として北国軍5千を率い東海水軍の輸送船に乗って安芸に上陸した。
その後、毛利家の居城・吉田郡山城に入城し、毛利家と協力し大内家に圧力を掛けると共に、周辺の国人衆の調略を行ってきた。
殿が、大内征伐に出陣される前に、調略や周辺を攻略し、ある程度の道筋を造ると云う事が、此度の我等の御役目である。
我の心の師と慕う殿の期待に応える為にも、気張らねばならぬ。
それにしても、毛利家がやけに我等に協力的である。予め準備していたのであろうが、僅かの間に安芸の国人衆の大半を長尾方に靡かせたばかりか、大内家の重臣の安芸守護代・弘中隆兼までもが此方に取り込んでみせた。流石は、大内、尼子と云う大国の狭間にて長年、巧みに生き抜いて勢力を伸ばして来た毛利よ。その手腕は大したものよ。
俺も、負けてはおれぬな。
「毛利殿、ご苦労であった。特に桜尾城の攻略は大きい、これで桜尾城の対岸に在る厳島も我等の勢力圏と成った。俺の方から、毛利殿の御活躍はしかと殿にお伝えさせていただく。」
「うむ。この定満からも殿の御耳に入れておこう。最も、殿は公正な御方儂が言わずとも、家臣の功績はしっかりと評価してくれるじゃろう。」
「ありがたきお言葉、毛利は長尾家に於いては新参者故、正直助かりまする。よろしくお伝えくだされ。」
「さて、これで安芸はほぼ当家の勢力圏と成ったが、次は大内が本国、周防・長門が控えておる。殿よりの御指示は、安芸より大内家中に圧力を掛けろ。との事だが…」
「大内には、安芸守護代・弘中隆兼の他に周防守護代・陶 隆房と長門守護代・内藤 興盛、石見守護代・問田 隆盛豊前守護代・杉 重矩、筑前守護代・ 杉 興運5人の守護代がおりまする。その調略に重きを置くが肝要かと。」(元就)
「そうじゃな。まずは、大内本家と各地の守護代の分裂を煽る事じゃ。大内の軍権は各地の守護代が担っておる。各地の守護代の調略が為れば、大内はまともに兵を集める事すら叶うまい。」(定満)
「越後水軍が北海(日本海)を、東海水軍と我等小早川・村上水軍にて瀬戸内の海を制し関門海峡を押さえた今、筑前・豊前そして大友による九州勢の援軍は見込めませぬ。周防・長門を押さえれば、後はなし崩しで此方に、降る事となりましょう。」(元就)
「そうよな。九州よりの援軍が見込めぬとなると、優先すべきは周防守護代・陶 隆房と長門守護代・内藤 興盛が、此方の調略を最優先となろうな。」(定満)
「毛利殿、その周防守護代・陶 隆房と長門守護代・内藤 興盛とは、どの様な者達なのじゃ。毛利殿は元大内家臣その辺りは詳しかろう?」
「ふむ……【西国無双の侍大将】と名高き陶の小僧で有るが、確かに戦は強かろうが、激高し易く思慮に欠け、おまけに傲慢の上に猜疑心が強いときておる。儂から見れば、随分と隙の多い御仁で有ろうな……」
ほう。それは、毛利殿や宇佐美殿とは随分と相性の良さそうな相手じゃな。
「……内藤殿は、大内家中随一の大身にして大内家の宿老。その娘は我が愚息・隆元の正妻となっておる。温厚な気性で文化人、教養人としては家中の者達からの信望も厚く、家中の取り纏め役では有るが、その反面、戦等の荒事は苦手としており決断力は無いの。後付け加えるなら、現状では、陶、内藤、両宿老と大内家当主・大内義隆の関係は、最悪と言って良いじゃろう。その関係は最早、破綻しておる。」
殿が仰っておられた、大内家中で燻る武断派(守護代)と文治派(当主派)の争いか……
大内家中で軍権を握り家中での発言力を増す各地の守護代達に対して、その統制を強めようとする文治派、その対立構造の解消は難しかろう……
人は、一度手にした権力を中々手放せぬモノよ
大内家としても武断派の討伐をしようにも、その肝心な軍権を守護代達が握っている中、それを行うは不可能に近い難事
西国一の大国と云われる大内家の、その支配体制には致命的な欠陥が有る
大内家は本来であれば、地方の代官に過ぎぬ守護代に過分な権力を与え過ぎた。
勢いが有るうちは、そんな欠陥も目に付かなかかったのであろうが、尼子との戦での大敗(第一次月山富田城の戦い)、それによって勢いを失った大内家は、その欠陥が露わとなった訳だ。
此度は、その辺りを存分に突かせて貰うとしようか。
「それでは我等は、周防守護代・陶 隆房と長門守護代・内藤 興盛の調略に全力を傾けると致そうか。各守護代と大内家当主・大内義隆との関係を、完全に破綻させる。それと、ご両人……」
「如何なされた、武田殿?」
「何か気になる事でも?」
「殿からは『安芸より。大内家中に圧力を掛けろ。』仰せ付かっておるが……
別に我等だけで大内を屈服させて、此方に参られた殿に大内領を献上しても構わぬと思わぬか?殿は、何かとお忙しい御方じゃ。その御手間をなるべく解消するが、忠臣の役目よ。」
「フフフフ。殿が此方に御出になる前に、周防・長門をある程度、耕して置けば、後は種を蒔くだけ。それは、面白う御座るな。」
「カカカカカカッ。この元就、その策に乗らせて頂きまする。妻の件では殿にお世話に成り申した。その恩返しに丁度良いわ。それに長尾家中に、毛利の名を轟かす絶好の機会で御座いますな。」
定満殿と元就殿、この時代を代表する2人の謀将達の眼が〈ギラリ〉と光ったのが判った。
殿が此方に参られるまで、後2カ月余り、随分と忙しくなりそうだな。
この日、戦国乱世を代表する、3人の謀将達のこの会談は、夜が更けるまで続いた。




