第28話 ホーム
続く!
思わず耳を疑った。
"地球のバイトウィルス感染"などという返す質問も思いつかないほどのスケールの大きさに、僕達は顔を見合わせてうろたえるしかなかった。
唯一、依頼元であるサイコさんはギャンと何やら言い合っていたが、聞き覚えの無い言葉ばかりで理解する事が出来ない。僕が水鏡に植え付けられたものはあくまで一般常識の範疇であり、残念ながらサイコさんの手助けとなるような知識を披露する事は出来ない。 それはディエゴさんも同じようだった。硬く腕を組んだまま動かない。
「事実を知っている研究機関の連中が被害を食い止める手段を血眼で探り当てようとしてるみたいだが、あまり進展はしていないようです」
「なるほど、話は人類滅亡どころじゃなくなってきてるワケね。おまけにいつ地球が暴走してもおかしくない状況ときたか」
「現在、確認されているのは自然災害の増大と局地的な重力異常。安全地帯に引きこもってる連中には少々信じられない話だが、そこら中で大寒波、大干ばつ、ハリケーンのオンパレードですよ。このままウィルスの侵蝕が進めば、大規模な地震や火山噴火の増加なんてのも危惧されているらしいし」
「…………」
「どうやら、これ以上話を聞いていても一般市民の我々にはどうしようもない事態のようですな。ルカ君、せっかく帰ってきたのですから、そろそろシャワーを浴びて清潔な服に着替えた方が良い。サイコさんがいくら積んだのかは分かりませんが、今は地球が危ないといった事が分かればそれで充分でしょう」
「……お借りします」
その言葉に従い、僕はシャワールームへ向かった。ディエゴさんの言う事ももっともだと思ったし、何より疲れ切った身体で話を聞き続けても、ただでさえ難しい話の内容も入ってこない。
ボロボロになっていた衣服に身を包み、ところどころに汚れがこびりついた自分の姿が鏡に写る。こんな外見にも関わらず身体のどこを見ても傷口が綺麗に塞がっている事に、頭では分かっていても少し違和感を覚えた。
とにかく全身の汚れを落とし、ディエゴさんが用意してくれた清潔な服に着替えて僕はシャワールームを出た。
「あれ、ギャンさんは?」
店内に戻ってみると、ギャンの姿は見えなくなっていた。
「次の仕事に取り掛かるんだってさ。あのヤロー、しばらく依頼は受けられないとか抜かしてサッサと出て行きやがった。ルカ、ちょっとこっち来て」
サイコさんに言われるがまま、僕はソファに座る。ディエゴさんは食事の準備に取り掛かっていたらしく、厨房からトントンと包丁の小気味良い音が聞こえる。オヤピンは相変わらずぐっすりと眠ったままだ。
「何ですか?」
「率直に言うと、今すぐにでもアタシはここを出て行く事に決めた。アンタは前に言った通り、アタシの師匠の所に会いに行け。店の出入りはディエゴに了解はとってあるけど、長居はするなよ?じゃっ!」
「え!?ち、ちょっと待って下さい!!」
僕はあまりに唐突過ぎる別れの挨拶に動揺しながら、颯爽と立ち去ろうとするサイコさんの手を無意識の内に掴んでしまった。
「ふぅ」
仕方がない、といった具合でサイコさんはため息混じりにソファに座りなおし、こう語り始めた。
「さっきの話、聞いてたでしょ?どうやら事態はあのバカを見つけ出すだけじゃ収まりがつかないところまで来ちまってるみたいなんだ。まぁ、そこはアタシも科学者の端くれ。世界のために一肌脱ごうって思ったワケよ」
「感染した地球を、治すつもりなんですか?」
「そりゃそうよ。あんたが思ってるより地球ってのはデカいんだよ?世界中駆けずり回ってあの手この手試してたらとても時間が足りない。だったら、その手の類に一番都合のいい場所に戻って研究した方が効率が良いからね」
「都合の良い場所って、まさか」
「そっ。アタシが所属してた世界最大の研究機関『PANGAEA』に戻って、地球を救う方法を見つけるの!」
「『PANGAEA』……」
不老不死の実現を求めて、遥か昔からあらゆる研究と実験を続けていた機関。
サイコさんによって発見された、僕とその脳内に潜んでいたバイトウィルスから『不老不死の定義』という能力を作り出した機関。
そして、かつて水鏡キョウスケがサイコさんの直属の上司として在籍していた機関。
「でも、サイコさんはその人達に追われてるって……」
「まぁね。でもさ、もう逃げ回る必要も無いのかなー、って。
アタシが一番恐れていたのは、アンタがもう一度パンゲアに捕まって、外の世界も知らぬまま永久にバイトウィルスの実験をさせられる事だったの。アンタからすれば、施設に押し込めた当の本人に言われてもって感じだろうけど」
髪の毛をかきむしりながら、サイコさんは苦笑いを浮かべる。
「ホントはね、不老不死の実験が成功した後はアンタを故郷に送り返すつもりだった。でも、それがあのバカのせいで出来なくなった。だからアタシは何十年も世界中を飛び回って死ぬ気で探した。まさかアタシの生まれ故郷の、しかも昔の職場の地下で眠っていたなんて、笑い話にもならないけど」
「サイコさん……」
「というわけで、アタシの目的は半分達成されたようなもんなの!アンタにこうして外の世界を見せる事も出来たし、アイツをぶん殴って記憶を取り返した後は普通の人間として生きていく事も出来る。
それなのに"間もなく地球が崩壊します"なんて、やりきれないでしょ?」
そう言って、サイコさんはソファの隅に置いてあったスーツケースをポンポンと叩く。
「白い部屋から押収したこの研究資料と、実験棟の存在。これを手土産に持っていけば組織の連中もアタシをぞんざいに扱ったりはしないだろうし、あの部屋の事も然るべき研究班を派遣させれば更に詳しく調べられるはず。まぁ崩壊の危機を乗り越えた後も、十中八九缶詰状態にされて一生"良からぬ実験"に加担させられるんだろうけどさ」
「…………」
あーあ、と大きなため息を吐きながらサイコさんは腕を伸ばして小さく伸びをする。僕はそれを眺めながら、ついに何も言いだすことが出来なくなってしまった。
もちろん、サイコさんが現時点で自分が思う最善の選択をした事は理解している。確かに、再び組織の傘下に加われば一人で研究する何倍もの成果を得られる事が出来るだろう。水鏡が在籍していた組織ならば、彼について何らかの有益な情報を得られる可能性も充分にある。それでもサイコさんの置かれるその後の状況を思うと、どうしても大手を振って送り出す気持ちにはなれなかった。
そんな時、僕の脳裏に"ある選択肢"が浮かんだ。それは誰の手をわずらわせる事も無く、実験も研究も必要としない、合理的な選択だった。決して軽々しい気持ちで口にできる事ではないし、サイコさんの僕に対する思いを無下にしたかった訳でもない。
それでも僕の思う最善の選択を、口にせずにはいられなかった。
「サイコさん。記憶の映像の中で、当時の僕が言っていた事を覚えてますか?」
「ストップ」
「え?」
僕の意見は、サイコさんの掌と共に早々に遮られてしまった。半ば無理やりに作り出された沈黙の合間を縫って、サイコさんはこう続けた。
「"種が消えれば根も消える"だっけ?大方、自分が死ねば地球を救えるとでも思ったんだろうけど、そんな確実性の無い事にアンタの命を無駄にするなんて、そんな事絶対にさせないからね」
「でも……!」
サイコさんには僕のような未熟な人間の考える事など全てお見通しのようだった。だが、たった一人の命と引き換えに人類と地球を救う事が出来るというのなら、それは誰が思っても秤にかけるまでもない決まりきった事だ。少なくとも、僕はそう思っていた。
しかし、サイコさんは僕の肩をがっしりと掴んでこう言った。
「 ルカ、目的を見失っちゃいけない。記憶を取り戻して普通の人間として生きていきたいんでしょ?だったら、まずは世界を救う前に自分を救う事を考えなきゃ。
地球の事はアタシ達、科学者様に任しとけって!」
やがてサイコさんはスーツケースを手に持ち、スタスタと出口に向かって歩いてゆく。
ここでようやく気がついた。
僕は勝手に思い込んでいたのだ。この日を最後に、ひょっとしたらもう二度とサイコさんと再会する日は来ないのではないか、と。
しかし、それはただの思い違いだった。
最初からこう言えば良かったのだ。
「記憶を取り戻したら、僕がサイコさんを迎えに行きます」
サイコさんの足音がピタリと止んだ。
「水鏡に負けないくらい強くなります。記憶を取り戻して本当の"一人前"になった僕をあなたに見せに行きます。だから、それまで待ってて下さい」
「……迎えに来なかったらタダじゃおかねーからな?」
その言葉と共に、テンテットの扉が静かに閉まった。
「一足遅かったみたいですね」
厨房から出てきたディエゴさんは色鮮やかな料理を次々と手に持ってきては、それらをテーブルに並べてゆく。
「旅の支度は私にお任せ下さい。サイコさんに何を言われたかは大体想像がつきますが、くじけそうになったらいつでも帰って来なさい。これからはここが君のホームです」
「ディエゴさん、本当にありがとうございます」
「なぁに、若者の話し相手が出来て腐りかけた脳みそも活気付くってもんですよ。さぁ、気持ちを切り替えて。何よりも穏やかな気持ちで味わうのが一番美味しく食べるコツですよ」
「そう、ですよね。僕もこの世界のいろんな事、もっとよく知りたいです!スプーンとフォーク持って来ますね」
次第に無骨な木製のテーブルの上は豪華な品々で綺麗に彩られてゆき、僕達は席に着いた。
「ディエゴさんは、別れの挨拶はよかったんですか?」
僕がそう言うと、ディエゴさんはグラスに水を注ぎながらこう言った。
「挨拶がわりになればと思って作ったんですがね。まぁいいでしょう、そもそもあの人とは一緒にいる時間の方が短いですから。ああ見えて以外と人付き合いの苦手な人なんですよ」
「あの性格に耐えられる人も、あんまりいなそうですしね」
「はっはっは、そういう事!さぁ、冷めないうちに頂きましょうか。オヤピ……」
「いい匂い!!」
「うわっ!?」
「ぷっ……あはははは!ディエゴさんでも驚く事あるんですね!」
「いやぁ、お恥ずかしい」
カッと目を見開いたかと思うと、オヤピンは目の前のご馳走に早くも釘付けだ。そして、笑いあっている僕達にキョトンとしながらも、つられて笑う。
事情を飲み込めてないとはいえ、目の前の事に真正面な感情をさらけ出せる彼女の姿を見ていたら、僕は何故だか胸のすくような思いがした。
そして、そんな彼女が記憶を取り戻す旅に同行してくれるなら、それはとても心強いものになる、とも思った。
世界はサイコさんが救ってくれる。
ディエゴさんがテンテットで待ってくれている。
オヤピンは、凝り固まった僕の思考を解きほぐしてくれる不思議な力がある。
「それじゃあ、いただきます!」
僕の人生は、ここから始まる。
きっと食事の途中で思うような事ではないのかもしれないが、全身に力が漲るような絶品のハンバーグを噛み締めながら、僕はそう思った。




