第26話 汚れゆく惑星
第一印象だけで人間の何もかもを決めつけるのは良くない事だ。もちろんそんな事は理解している。
だが、僕の感じた"胡散臭い"という印象を覆す要素がこの男を形成する全てをもってしても何一つ感じられなかった、というのもまた事実だった。
男は腐肉を狙うハイエナのような動きでじわりじわりとカウンターを回り込み、僕達に近づく。
(組織の追っ手かも知れない)
そう思った僕は、ソファの背もたれに隠れたサイコさんが男に勘付かれないよう細心の注意を払う。
「この街の中にある店にしちゃ、なかなか趣があって良い店じゃないの。ただし防犯対策の面で言やぁお宅、ど田舎の駄菓子屋並みだぜ?」
「やはり鍵を開けて侵入したのは貴様か。許可証を所持している者ならば、この街で犯罪行為を働けばどうなるか分かっているはずだぞ。それともセキュリトピア内の者が告発の報復にでもしに来たか?」
「セキュリトピアァ?
まぁ落ち着きなって、マスター。ちょいと長旅の疲れを癒そうと思って寄らせてもらったまでさ。それに俺はこの街に住む人間じゃない。このタバコを吸ってる女に用があるだけなんだよ。で、あんたら心当たりあんの?無いの?」
「無い。タバコを吸う女など山ほどいる。他を当たれ」
「そうかい?おかしいねぇ、この店のはずなんだが。まぁ知らねぇってんならしょうがねぇか。ほら、酒代だよ」
そう言って男は、ディエゴさんめがけて一枚のコインを指で弾いた。
「……消えた!?」
ほんの一瞬。
僕達の目線がコインに集中したほんの一瞬のうちに、なんと男の姿は跡形もなく消えて無くなっていた。
「オヤピン!男の臭いは!?」
「ダメ!そこら中に変な臭いが立ち込めてて、動く気配が感じられないっス!」
「定義の能力を使用した犯罪行為は、最も重い罪に処される事になっています。だがあの男は……」
焦りと緊張の中、僕達はサイコさんのいるソファを囲むように陣取り、身構える。
「や〜っぱり、こんなとこにいた」
背もたれ側にいたディエゴさんは背後からの声に反応し、振り向きざまに銃を構える。
いつの間にか男は、テーブルを挟んだ向かい側のソファに頬杖をつきながら座っていた。
「おいおい、物騒だな。あんたらさしずめこの人のボディーガードってとこなんだろうが、俺は別にあんたらの敵対者ってワケじゃないんだからな?」
男は銃を向けられているにも関わらず、へらへらと笑いながらわざとらしく両手を上げる。
「生憎、私は不法侵入者の言葉を簡単に信じるほど短絡的ではない。監視の目が届かなかったのならば、こちらから呼び寄せるまでだ!」
ドン、と大きな銃撃音が辺りに響く。
「銃声を感知したドローンと警備兵が即座にここへ向かってくるだろう。捕縛されたくなければ、穴の空いたその腹を抱えてとっとと失せろ!」
「ぐうぅぅ……」
銃弾を腹に食らった男は、うずくまったまま呻き声を上げている。
「なーーんちゃって!」
「!?」
男はむくっと上体を起こし、自らの腹部を僕達に見せつけた。
確かに穴は空いている。だが、それはどう見ても銃弾で傷ついたものではなかった。へその上からみぞおちにかけて円形にぽっかりと空いたそれは、文字通り"穴"そのものだったのだ。
ソファに付いた銃弾の跡が腹部の穴越しにはっきりと確認出来るという事は、少なくともディエゴさんが発砲してからこの瞬間まで、男の腹部はまるきり存在していない事になる。
「話を聞かずに鉄砲撃つだけでも充分短絡的だと思うがね。俺は今、あんたが殺人罪で逮捕されるのを免れさせてやったんだ。感謝しなよ」
一瞬、唖然とした表情を浮かべたディエゴさんだったが、再び顔を引き締めながらもこれ以上の発砲は無駄だと思ったのかゆっくりと銃の構えを解く。
その僅かな間に、再び男の腹部は元どおりになっていた。もはや透明化、としか言いようが無い。
「至近距離でぶっ放されても起きないなんて、この人も相変わらずだねぇ。おっと、そこの二人もこれ以上変な気を起こさないように」
次の一手を決めあぐねていた僕と、今にも飛びかかろうとしているオヤピンに向かって男は睨みを効かせる。更に男はコートの裏に手を伸ばし、サイコさんの持っていたようなものと同じスキットルを取り出す。
そして、こう叫んだ。
「あっれぇぇ!?こーんなところにレミーマルタンの最高級コニャックがあるぞぉぉ!!」
「ぬぁんだとうぅぅ!!!?」
叫ぶや否やガバリとサイコさんは起き上がり、あっという間にスキットルを男の手から奪い取る。その勢いのままそれを口元に運んだところでサイコさんの手は止まった。
「……って、なんであんたがこんなとこにいんの?は?てゆーかどうなってんのこの状況?ああ美味し」
ちゃっかり酒を飲む手を再開させているサイコさんの目の前で、男は笑う。
「いやぁ、お久しぶりです。ちょっとばかり行き違いになっちまってたみたいだから、ちょいとお仲間のところで待たせてもらってたんですよ」
ふーん、と相槌を打ちながら、サイコさんはようやくスキットルの口を離して僕達の方を向く。
「あぁ、身構えなくても大丈夫。こいつは敵じゃないよ。味方でもないけど。まぁ、とりあえずみんな座って座って!」
警戒心の解けぬままにサイコさんに促され、嫌々ながらも僕達はテーブルを囲むようにソファに座った。オヤピンに至っては未だに引きつった顔のままだ。よほどの悪臭がこの男から漂っているのだろうか。
「こいつは……」
「ちょっと待って下さいよ。俺はあんただけに用があって来たんだ。客以外の連中に余計な情報を流されたら困るんですよ」
男は少し焦った様子でサイコさんを遮り、声を張った。客という事は、この男とサイコさんは何らかの顧客関係にあたる間柄のようだ。
「ふふふ……なるほど。君もそういうタチか。気持ちは分かるよギャン君、恥ずかしがらなくても大丈夫。このサイコさんに任せなさい!」
「へ?」
サイコさんはその場に立ち上がり、いつもの仁王立ちを構えたかと思うと、男に片手を向けてこう言い放った。
「こいつは情報屋のギャン。世界中を飛び回り、様々な裏情報を仕入れてくる公安警察の諜報員だ。おまけに自分の身体から変異したバイトウィルスを撒き散らし、それが付着した人間に幻覚、幻聴などの様々な症状を発生させて撹乱する厄介な能力の持ち主さ。身長は目算161センチ、体重は推定44キロ、好きな物は度数の高い酒、弱点は同じく度数の高い酒。調子に乗ってすぐぐでんぐでんに……」
「うおぉぉぉぉい!!!!ここぞとばかりにバラしまくってんじゃねーよ!!どう解釈したらさっきの会話からそうなるの!?なんなの、俺の言い方が悪かったの!?」
「え?あんたもこーゆーの苦手なタイプだったんじゃないの?だから代わりにアタシが説明してやろうかなーって思ったんだけど……」
「公安の諜報員が外部の人間に素性とか、ましてや定義の力までべらべら喋るとでも思ってたのか!?」
「なによー!お得意様の善意を無下にするなんてプロ失格だぞ!そこまで言うならサービスって事にしとけば良いじゃん。ね!」
「サービスするのもサービスする相手も、客が決める事じゃないでしょオ!?」
最終的に二人の小競り合いは、ディエゴさんの『何を言っても無駄だ。この人にとっての思いやりは、私達の思うそれらとは著しくかけ離れている』という言葉で締めくくられるまで続いた。
サイコさんが代理を務めた自己紹介を加味して思い返すと、先ほどディエゴさんの銃弾が貫いたのは、男から放たれるバイトウィルスが見せた幻影だったようだ。
更にその後を思えば、目の前にいた僕達が気づかないほどの速さで幻影と本体を入れ替える技術を持ち合わせているとしか考えられない。
「それで、その……ギャンさん?そもそも、なぜディエゴさんの店に忍び込むような事をしたんですか?」
とりあえずこの男を敵視するのをやめて(二人の言い合いが余りにくだらなかったのもあるが)、僕は尋ねてみた。
「えぇ?あぁ……そりゃ坊ちゃん。この店がこの人との待ち合わせ場所だったからさ。例によって"ある情報"を仕入れた俺はサイコさんにそれを伝えるべく、遠路はるばるここまで飛んできたってワケだ」
「ドローンに見つからずに浸入出来たのはなぜ?」
「腐っても俺は公安の人間だ。監視の穴が出来る隙は熟知しているし、万が一警備兵に咎められても、いち警備会社の人間が公安警察に楯突くようなマネは出来ねぇさ」
そう言ってギャンは携帯電話を取り出し、誰かと話し始めた。会話を聞く限りでは、先ほどの銃声で警備兵が集まるのを阻止させたような内容だった。このまま警備兵が来なければ、少なくとも彼が本当に公安の人間だという証明にはなる。
「しかし、それだと僕達が大凶区へ向かう準備をしていた時には、既にあなたは店内にいたことになりますよね?」
「……ま、まぁな……」
「?」
ギャンという男、急に歯切れが悪くなった。
やはり、何か他に企んでいる事があるのだろうか。
「実は……」
「これ、ですね」
ギャンが切り出そうとしたその時、ディエゴさんがテーブルの真ん中に空になっている酒瓶を置いた。
「レミーマルタンと聞いて嫌な予感がしたんだ。これは私が非売品として厨房に保管しておいた物……!!
貴様!!全部飲んだな!!私のコニャックを!!」
「わわ、悪かったって!仕事柄、どこに何を隠すか自然と分かっちまうもんだからよ!たまたま厨房でそれを見つけたもんだからどうにも手が止まんなくなっちまって……あの、その、すみませんでしたァ!」
弁明のついでにギャンが語った事の真相を要約すると、確かにあの時、テンテットの店内にギャンはいた。
だが、厨房で拝借した酒を飲み進める内にいつの間にか酔い潰れて眠ってしまっていたというのだ。厨房で朝食のサンドイッチを作っていたディエゴさんは、ギャンの存在に全く気づく事が出来なかったという。
「いつ頃からだったかなぁ。どうやら俺は眠っている時でさえも無意識の内に自分のウィルスを周囲に撒き散らしちまうみたいなんだ。職業病ってやつかねぇ?へへへ」
「ふむ……ならば気絶した状態でも果たして透明になるのか、試してみるとするかね」
「ヒェッ!?」
「まぁまぁ!ここはアタシに免じてこのバカを見逃してやってよ!結果的に最高級の酒を振る舞うという約束は果たせたんだしさ!」
ギャンの血の気が引いたところで、ようやくサイコさんが間に入った。ディエゴさんが猟犬の眼光に変わりつつあるのを察知したようだ。
「二人とも一旦落ち着いて。とりあえず話を整理すると、まず明け方、テンテットにギャンが到着。仕入れた情報をアタシに伝える前に店の酒を盗み飲みして泥酔、周りの人間が認識出来ない状態になった。
いざ意識を取り戻した頃にはアタシ達が大凶区へ向かった後で、店内はもぬけの殻だった。しかし、ここで待っていればアタシ達が戻って来ると判断したアンタはそのまま店内で待機していた、と。まぁこんなところ?」
「そうっすね」
「全く、職務怠慢もいいところね」
「……んん?」
「いや、だから、どう考えても酔い潰れてアタシに情報を売らなかったアンタが悪いでしょ!」
「あのですね、お客様。ご自分からここを待ち合わせ場所に指定しておいて勝手に外出されたとあっては、こちらとしても対応しきれないところがありましてね」
「……んん?」
「完全に忘れてたでしょ、あなた」
「……んん〜?」
「この悪質クレーマーが!!」
ターンは完全にギャンのものになり、サイコさんはすっかり肩をすくめてしまった。
仕事の運びとしては、依頼された情報をギャンが独自のルートを活用して収集。そのつどサイコさんに指定された場所で落ち合い、普通の人間では知り得ない情報や個人では調べきれない事を報酬と引き換えに直接伝える。
不効率極まりないが、世界中に張り巡らされた監視をかいくぐるにはこのような原始的な方法が一番効果的なのだそうだ。
「"電子機器を用いた連絡は最小限にとどめてほしい"って、あなたが言い出した事でしょうに。二度とこういう事は無いようにして下さいよ!」
「反省してまーす。で、肝心の情報はちゃんと手に入れられたの?」
「あんたって人は……まぁ、いいや。
それはもちろん、こう見えてもプロなんでね。でなきゃこんなにでかい態度とってませんて。ひとまず……」
改めてギャンはソファに座りなおし、こちらを向く。
「あくまでも客はサイコさん、あんただけだ。坊ちゃん達をどこか別の場所へ移してもらいたいんだがね?」
それを聞いてサイコさんは携帯端末を取り出し、なにやら操作し始めた。更にその画面をギャンに突きつけてこう言った。
「たった今、四人分の報酬をあんたの口座に振り込んだ。これで文句ないでしょ?」
「サイコさん……」
「いーのいーの。アンタ達にとっても、まるっきり関係の無い話ってワケじゃないんだから」
ギャンはニヤリと笑い、手を前に差し出して僕とディエゴさんをこの場に留まるよう促した。
「貰えるモン貰えるなら文句は言えねぇや。ただし、報酬は三人分でいい。たまにはサービスしとかないとな」
ギャンは、ちらりとオヤピンの方を見てそう言った。
目を瞑ってはぁはぁと寝息をたてている。どうやら僕達が話し込んでいた内に、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
「口呼吸の睡眠……嗅覚で脳を刺激しないためか。お嬢ちゃんもいろいろ苦労してるみたいだな。
さて、本題に入ろうか」
ギャンは身を乗り出し、囁くように、だがはっきりとした口調で語り出した。
「率直に言うと、あんたの推測通り"地球そのもの"にもバイトウィルスの感染が確認された。
最近の度を超えた異常気象や地殻変動、増加する隕石の落下も全部そのせいだ。 地球環境に関するどの研究施設でも、ある時期を境に軒並み異常な数値を示している」
「地球が、バイトウィルスに感染……!?」




