第23話 ディエゴ・ボステッソ
「つ、着いた……」
地下研究所をひた歩き、ようやく地上の廃墟に戻ってきた頃には既に夜は明けてしまっていた。
目も眩むような日差しから逃げるように僕達はビルの日陰に入り、一息つく。
僕は転がっていた鉄パイプを手に取って杖代わりにし、その場にへたり込んでしまうのを必死に我慢する。この状態で腰を下ろしたら、2度と立ち上がれなくなってしまう様な気がするほどに疲弊していたのだ。
さすがのサイコさんにも疲れが見え始め、脱いだ白衣を肩にかけて額に滲んだ汗を拭っている。
「一気に街まで戻りたいところだが、この状態で徘徊者に襲われたら全滅必至だな……」
「ならば、一旦どこかで休憩しませんか。年寄りにあの階段の数は少々キツイものがありまして」
ふふ、と笑うディエゴさんの膝はブルブルと震え、今にも崩れ落ちそうだ。
「階段?そういえば……!!」
「どうしました?ルカ君」
「あ!!いや、な、なんでもないです」
言えない。カプセルのあった部屋から"地上へ一直線に続く階段があった"なんて、今更言えない……!
それとなくディエゴさんから視線をそらし、ひっそりと己の罪悪感と闘う。
「休憩したいんなら、オヤピン家寄ってく?お菓子もジュースもあるよ!」
一人元気なオヤピンが指差す先にあったのは、大凶区のほぼ中心、倒壊を免れた高層ビルの一つだった。
まるで小学生が友達を誘う時に言うようなセリフだが、今の僕達にとってはこの上ない救いの言葉に聞こえた。
「そうしましょうよ、サイコさん。僕達、昨日の朝からほぼ歩きっぱなしですし」
「私もルカ君に賛成です。ひ、膝が……」
ディエゴさんの笑みは苦笑いに、そして次第に苦悶の表情に変わってゆく。
「ほらほら、ボス爺もしんどそうだし、早くオヤピン家行こっ!」
「ボ、ボス爺!?」
どうやら僕が眠っている間、オヤピンとディエゴさんは随分と仲良くなっていたようだ。僕とディエゴさんはオヤピンの提案に従ってビルに向かおうとするが、サイコさんは疑いの目を向けてその場から動かない。
「まさか罠じゃねーだろうな?」
確かに、案内役を買って出たとはいえオヤピンが完全にこちらの味方になった確証は無い。深読みすれば罠である可能性も捨てきれず、襲ってきた相手の懐にわざわざ自分から飛び込むようなものだ。
オヤピンはくるりと後ろを振り向き、サイコさんを見つめる。
「罠だと思うなら無理して来なくていいっスよ?あ、そういえば、冒険家気取りのバカな金持ちから奪った戦利品の中に、高そうなお酒も混じってたような……」
「ルカ、ディエゴ、もたもたすんな。行くぞ」
「変わり身が早い!」
「ばっかやろー。感染者にとって"食"は一般人以上に大事なエネルギー源なんだよ!」
サイコさんは意気揚々とオヤピンの肩を掴み、案内を促す。なにはともあれ、オヤピンの自宅に向かう事に決めた僕達は大凶区の廃墟群を進んで行く。
「ディエゴさん、これ使って下さい。いくらか歩きやすくなるかもしれません」
「おや、よろしいのですか?」
「はい。目的地が近くなったせいか、歩く気力も少し出てきたので」
「では、お言葉に甘えて。おお、これは良い」
先ほど拾った鉄パイプを渡すと、ディエゴさんはその感触や使い心地を確かめながらゆっくりと歩き出す。しかし、反対の手に持ったままのガンケースを代わりに受け取ろうとすると、その手を遮られてしまった。
「ルカ君。この中には私の血液が混じった弾薬も入っています。危険という点もありますが、弾薬も私の身体の一部、なんとなく肌身離さず手にしておきたいのですよ」
「そうだったんですか。でも、辛くなったら遠慮なく言って下さい」
「有難うございます。全く、君のような優しさをあの人にも見習わせてやりたいものだ」
ディエゴさんが向けた視線を追うと、サイコさんとオヤピンの姿ははるか前方、米粒のように小さくなってしまっていた。サイコさんはがっちりとオヤピンの肩を抱いて、引きずるように歩いている。
そんな二人の後ろ姿は"友達を家に誘う"というよりも"近所のガキ大将と、それに無理やり連れ回される子分"と言った方が正しいのかも知れない。
僕は二人の姿を見失わないように気を配りつつ、ディエゴさんの歩行ペースに合わせる。
「ボス爺〜〜……あともうちょっとだから頑張るっスよ〜……!」
目的のビルがようやく視界に入り、オヤピンの呼ぶ声が微かに聞こえてきた時だった。 廃墟に散乱した石ころで鉄パイプの重心が崩れ、ディエゴさんはその場に転倒してしまった。
「ディエゴさん、大丈夫ですか!?」
「おぉ、痛てて……」
裂けたアスファルトに顔面から倒れ込んだせいで、頰の擦り傷から血が滲み出ている。
「ボス爺、大丈夫ッ!!?痛そう……」
転倒した姿に驚いたオヤピンが、相変わらずの猛スピードでディエゴさんの元に駆け寄って来た。
「「触るんじゃないッ!!」」
「ひっ!?」
オヤピンはディエゴさんの血の危険性をまだ知らない。傷の具合を心配して頰を触ろうとしたのだろうが、反射的に出てしまった僕達の叫び声に驚いて毛を逆立たせたまま身体を硬直させる。
「あなたには説明していませんでしたが、私の血液は大変危険なものなのです。心配して駆けつけてくれたのは有難いのですが、うかつに触らない方が良い」
「は、はい」
ディエゴさんはガンケースの中から小さな救急セットを取り出し、手慣れた様子で応急手当てを施す。しかし、転倒の際に痛めていた膝を更に悪化させてしまったようなので、僕はオヤピンと協力してディエゴさんに肩を貸し、ビルへと急いだ。
「……ボス爺の血って、毒なの?」
オヤピンがおもむろに呟いたその言葉を笑顔で返して、ディエゴさんは語る。
「その通り。私の血は、一言で言ってしまえばまさしく"毒"そのものです。
感染戦争当時、私は祖国周辺で勃発した内戦に少年兵として参加していました。敵地に向かって進軍していたある日、通称『B3』という爆弾が私の部隊に直撃したのです」
「B3爆弾……」
「"対バイトウィルス感染者用毒ガス兵器"です。
『定義』の力を宿した兵士達には、従来の重火器では到底太刀打ち出来なかったのです。戦争が長引くにつれて世界のパワーバランスは完全に崩壊し、大国は倫理や人道などを重んじる余裕さえ無くなった。そのため、当時は感染者を効果的かつ効率的に抹殺する事が出来る"非人道的殺傷兵器"が大量に開発されていたのです。
ちなみに、私の部隊にいた感染者の数は半数にも満たなかったのですがね」
破れた衣服から垣間見えるディエゴさんの背中を見ると、爆風を食らった時に負ったと思われる火傷の跡が見え隠れしていた。
「一個小隊だったにも関わらず、生き残りは僅か数人程度だったと記憶しています。奇跡的に一命を取り留めた私は野戦病院で応急処置を受け、搬送された医療機関で治療を施してもらいました。しかし、身体中に巡った様々な化学物質は完全に取り除く事が出来なかった。
私はいよいよ諦めました。復讐や恨みの気持ちなど湧く余裕も無かった。この苦しみから解放されるなら、一刻も早く息の根を止めてくれ、と」
「「…………」」
「そこに現れたのが、この人です」
「えっ!?」
項垂れていた頭を上げると、呆れた顔で仁王立ちするサイコさんが目の前に立っていた。
「全く、あんまり遅すぎるから迎えに来ちゃったわよ。てか、どうなってんの?この状況」
負傷したディエゴさんの肩を抱いて歩く僕達の姿を見て、自分がいない間に何が起こったのか見当もついていない様子だ。
「いやぁ、つまらん思い出話をしていただけですよ。このような無様な格好で歩いていたら、昔を思い出してしまいまして」
「昔?……ふぅん、なるほどね」
何かを察知したサイコさんはおもむろにディエゴさんに近づいてしゃがみ込み、おんぶのような体勢をとった。
「オヤピン家はすぐそこだ。ほら、おぶってってやるよ。これならもっと思い出せるんじゃない?」
「な……うぉっ!?」
顔を赤らめるディエゴさんを尻目に、僕はオヤピンと目配せして肩から同時に手を離した。よろけたディエゴさんが見事に背中へ倒れこんだかと思うと、サイコさんは即座に両足を掴んで立ち上がり、歩き出す。
「懐かしいね〜。あの頃もこうやって外に連れ出してやってたっけ」
「…………」
「アタシは神様とかそういうのは信じないけど、あんたは生きるべくして生きているんだと思うよ?あの時、止むを得ずアタシが投与したバイトウィルスが奇跡的に『耐性』として変異してくれた、なんてさ」
「……感謝してもしきれませんよ。あの時あなたが私を救ってくれなければ、私の人生は十数年で幕を閉じていたのですから。
たとえ"毒人間"になろうとも繋いでくれたこの命、あなたの支えになれるように全て捧げると決めました。バイトウィルスの研究、そしてルカ君の捜索。世界中を飛び回るあなたがいつでも帰って来られるように、そのためにテンテットがあるのですから」
「まぁ、命を救ってやったんだからそれくらいは協力してもらわないとね〜。
しかし、吸収した化学物質とウィルスから新しい化合物を身体の中で生成出来ちゃうなんて、便利な能力だよなぁ……
今度さ、実験させてくんない?その能力を上手く活用すれば、もしかしたらブロックバスター(爆弾)を食らった人間からブロックバスター(新薬)が生まれる、なーんてちょっとした珍事件になるかもしれないよ?」
「被害者に向かって不謹慎なジョークをかますのはやめなさい。実験もお断りします」
「なんでよー!?支えになるって言ったじゃんか!!」
「勘違いしないで頂きたい。私はあなたの願望を全て叶える、などとは一言も言っていません。協力するかしないかは、あくまで私が決めます」
「ちぇーっ!よくもまぁ、こんな体勢で偉そうな口利けるよな!」
「ふふふ、私は昔からこういう性格ですよ。少しは思い出しましたか?」
始めは照れ臭そうにしていたディエゴさんだったが、今はそのような様子は無い。
壮絶な過去の苦しみを救ってくれたサイコさんへの恩返し。しかし、それは単に彼女の要望を全て鵜呑みにして動く駒のような立場に成り下がった訳ではない。
対等な関係だからこそ、今までのように歯に衣着せぬ口喧嘩も出来るのだろう。
「気づいてないと思うけど、ディエゴ君。後ろのガキ共にニヤニヤされてんぞ?」
「 ハッ!?い、いやいやルカ君、オヤピン!一見してみれば若い女性に老人がおんぶされているように見えますが、実年齢で考えれば彼女の方が歳上なんですからね!?その点を考えれば何ら不自然な事もやましい事もありませんし、それに脚を負傷していなければこんな状態にはなり得ない訳でありまして……」
顔を赤くして必死に釈明しようとするディエゴさんだが、二人の間に確固たる信頼関係があるのは既に伝わっている。
ディエゴさんを背負う際、何の躊躇も無くサイコさんが手に持ったガンケースも、しっかりとそれを物語っているからだ。
「分かってますよ、ディエゴさん!」
「ボス爺、顔真っ赤っかにして可愛い〜!」
凄惨な過去を慰撫するかのように、朽ち果てた廃墟と僕達を太陽が照らす。研究所から出た時、あんなに恨めしいと思った光が今は心地良い。
アスファルトの隙間に咲いた小さな花がビル風に揺られ、僕達の笑い声に合わせるようにさわさわと揺れる。
これから向かうドアの先には、不安など無い。
空腹も疲労もとうに限界を超えているはずなのに、不思議と身体が軽くなったような気がした。




