14日目
わたしは鳥のさえずりで目を覚ました。二羽か三羽くらいの会話。近所の大人の噂話なら耳を塞ぐけれど、鳥の鳴き声は心地よかった。時として、意味が分からないものの方が安らぐ時がある。言葉の多くの選択肢に振り回される事もなく、ただひとつの情報として受け入れ、そして向こうもまたありのままをさらけ出してくれる。
カーテンの隙間からは灰色の光が零れていた。下着を着けていないわたしの胸がはだけている。淡い光に晒されたわたしの胸は、わたしの物ではないように感じた。確かめるために、指先で触れた。視覚と肌の感覚が一致する。紛れもなくわたしの胸。わたしは自分で自分を汚した。鳥のさえずりを聞きながら。奥までちゃんと、汚した。それが終わる頃には、鳥の鳴き声は、渇いた笑い声に聞こえていた。その音もまた心地良く、わたしは眠りについてしまった。
――コン、コン――
「りさ、起きてるか。みんなでどっか出掛けないか」
お父さんの声で目が覚めた。時計を見たら十時前。そして、生まれたままの姿の私。
「どした〜、具合でも悪いのか。ドア開けるぞ〜」
「ちょ、ちょっと待ってっ、起きてる。起きてるし出掛けるから、ドアは開けないでっ、お願いだから」
「なんだよ、そこまで言わなくても。分かった。下で待ってるからな」
引きずるような父の足音が、徐々に小さくなっていく。危なかった。起きれて良かった。って髪もぼさぼさ、汗もかいてる。急いでシャワー浴びないと。
どたどたと階段を降りていくとリビングには、お出掛け用の服を着た両親がソファでくつろいでいた。
「なんだ、もう良いのか」
「ま〜だ、ちょっとシャワー浴びてくるっ」
「いいよ、そこまでしなくて。さっさと行こうぜ」
見慣れないポロシャツをパタパタと扇ぐお父さん。これだから男って奴は。
「まあまあ、りさも女の子なんですから」
「そうそう、お父さんもシャワー浴びた方が良いんじゃない、加齢臭が漏れちゃうよ」
「そこまで言うかよ……あ、ほんとだ」
がっくりとうなだれるお父さん。ごめんね、効果は抜群だったみたい。
結局、わたしが髪を乾かしている間にお父さんも浴びたみたい。ほんと、ごめん。
「よし、行くぞ」
お父さんの合図で車のエンジンがかかる。助手席にわたし。その後ろにお母さん。いつ以来だろう。3人でお出掛けなんて。なんでだろう。こんなにわくわくしてるなんて。
「き〜み〜の〜かたに〜、ぼくの〜みぎてを〜」
「お父さん、唄わないで」
「そんな〜、懐かしい歌なんだから、つい唄っちゃうんだよ」
「良い歌だけど、台無し」
「りさ、なんか今日はお父さんに冷たくないか」
「……別に」
後ろでクスクス笑うお母さん。ほんと、久しぶり。可笑しい。
「おいおい、お母さんまで笑うなよ、ったく。わかったよ、分かりましたよ黙ってますよ〜だ」
「お父さん、すねないでよ」
「すねてませんよ、いつものクールなお父さんに戻すだけだよ」
「わかったよ。ごめん、ゆるして、ね。可愛い娘に免じて」
「……自分で言うなよ」
「なによ、せっかく謝ってるのに〜」
「ごめん、ごめん。お父さんが悪かったよ」
「本当に思ってるよ。可愛い可愛いりさを怒らせて、反省してます」
「お父さんっ」
「どした、急に」
「欲しい物があるの」
「……まんまとはめられた気がする。なんだ……何が欲しいんだ」
「ありがとう。さっすがお父さんだね」
「いつもりさには負けてばかりね、あなた」
「りさには勝てる気がしないよ、まったく」
違うよ。わたしはね、お父さんのその呆れた顔が好きなんだ。やれやれ、と言いながら口元が緩んでる、そんな嬉しそうなお父さんが好きなんだ。
「ほれ、着いたぞ。欲しい物ならうちの財務大臣に相談して買いなさい」
「うちって、財務大臣の方が偉いの」
「うちだけじゃないよ、どこもそうだよ。悲しい事にな」
「あなた、どういう意味かしら」
「な、なんでもない。世の平和は財務大臣達のおかげで守られているんだよ」
懐かしいやりとり。
わたしが小学校くらいの時にできたショッピングセンター。この辺りの人間なら、休みの日はだいたいここに集まる。
「ちょっとお父さん、トイレ行ってくるわ」
「早くしてよね」
「頑張るわ〜」
お母さんと二人。人でごった返している入り口付近だけど、なんだか緊張する。
「りさは、何が欲しいのかしら」
「……欲しいものなんてないよ」
「それじゃあ、どうして」
「ただお父さんの、あういう顔が見たかっただけ」
「まあ、そういう事だったの」
「だから欲しいものなんてない」
要らないものならたくさんあるのに。
「でも、りさ。欲しいものが無くてもあなたに必要な物ならあるわよ」
「……何、それ」
「下着よ、下着。あなたちょっと、今のサイズが小さいんじゃないかしら」
「ちょっとお母さん、こんな人前でそんな事言わないでよ」
「あら、ごめんなさい。でも今も窮屈じゃないかしら」
「まあ、たしかに」
「おっす、待たせたな」
「お父さん、ごめんなさい。お小遣い渡すから、ちょっとぶらぶらしてきてください」
「なんだよ、いきなり除け者かよ」
「あら、そしたらあなたも一緒に行きますか」
「どこへだって行くぞ、お父さん」
お母さんも人が悪い。どうなるか分かってるのに。それにしても、昔に比べたらなんだか狭く感じる。前はもっと通路が広く感じたのに。
「はい、着きましたよ」
「こ、ここは。……ごめんなさい、ぶらぶらしてきます」
うなだれたお父さんは眩しい下着屋さんから離れていった。なんか朝にも似たような事があったような。
「ついでだから、りさ。ちゃんとサイズも測っていったら」
「え〜、恥ずかしいよ」
「でも、ちゃんと合う下着をつけないと形が崩れるし、肩が凝ったりするわよ」
「お母さんみたいに、立派な胸だったら堂々と出せるけどさ〜。わたしなんてまだ谷間もできないし」
「あら、お母さんも高校生になってからよ。今ぐらいになったのは」
「本当なのっ。どうしたらそんな大きくなるの」
「ちょっとりさ、声が大きいわよ」
「お母さんの胸ほどじゃないよ」
「……いつの間にそんなの覚えて。……何もしてないわよ、しいて言えば恋をしたくらいかしら」
「……恋。そんなんで変わるの」
「あら、馬鹿にできないわよ。心の栄養は身体の栄養なんだから」
「……恋かぁ」
一瞬、田中くんの顔がちらついた。
「違う違う、断じて違うっ」
「りさは、私よりも早く大きくなるかもしれないわね」
「え、どういう意味」
「まあ、自然に分かるわよ」
はぐらかされたわたしは結局、店員に胸のサイズを測ってもらった。口に出せる数字じゃないから言わないけど、それでもカップのサイズはひとつ上がった。
「どうですか、お客様。今までより締め付けがきつくなくて楽だとは思いますが」
たしかに、ちょっと胸とブラとの隙間は感じるが、圧迫感はだいぶ少なくなった。
「……これにします」
デザインも可愛すぎず、気に入った。見せる相手もいないし。
「決まったみたいね、りさ」
用が済んだわたし達は、ぶらぶらしているお父さんを探す事にした。
「あっ、いた」
思ったよりも近くに、しかも通路の真ん中にあるソファに座っていた。だらしがない。
「お父さ〜ん、行くよ〜」




